総括なくしてマネジメントなし

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マネジメントには総括が必要だ

決算期が終わった時や、プロジェクトの終了時など、一区切りついた時にはその運営がどうだったのかを検証する必要がある。

具体的な成果などポジティブな面はもちろんのこと、ネガティブな要素についても洗い出す作業。

これを定期的にやらなければ、次のステップに進むことは難しくなる。

でも、あまり為されていない。

何かが終われば、すぐ忘れて、次に進んでいってしまう。

もしかしたらそれは僕たち日本人の民族的特徴(ある意味では長所)とも言えるものなのかもしれない。

ただ、ことマネジメントという仕事においては、それを超えて、一旦振り返ることが必要だ。

虚心坦懐。

フラットな状態。

それでは始めていこう。

第三者的に振り返ること

総括反省は似ているようでちょっと違う。

総括は第三者視点から行うのに対し、反省は当事者として行う、そんな感じである。

外部の批評者と(仮定)して、自分が行ったプロジェクト(戦略なり戦術も含む)が実際にはどうだったのかを査定する行為。

定期点検車検みたいなもの。

それがマネジメントには必要である。

日々のメンテナンスよりも大きな点検

もちろん日々のメンテナンスはマネジメントという仕事に携わっている人ならやっていることだと思う。

微調整しながら、チームを前に進めていく行為。

そうやって日々をやりくりしていく。

ただ、今回のテーマはもう少し大きな点検である。

毎日を繰り返していく中では気づくことができないような、気づかないフリをしているような、誤魔化しているような、その部分に踏み込んでいく。

自分の行ったマネジメントの評価を、自ら第三者的に俯瞰して行う行為。

そうやって次の決算期に向かっていくのである。

感情よりも無感情で

チームマネジメントにおいて、ドラスティックな「改革」というのは、打ち手としてあまり筋が良いとは言えない。

僕はそう考えている。

ただ、同時に、何も手を打たなければ何も変わらない訳で、どのくらいの進入角度と手触りでチームに介入していくかという感覚はとても重要であり、それを理解する為にこの総括というある種のオーバーホールしたデータを利用するのだ。

あまり感情はいらない。

ただのデータ採取。

ああすれば良かった、というような振り返りも大事ではあるけれど、今回の話はもっとドライなもので、整備士みたいな意識を持ってチームを見ていく感じなのである。

ああこの部分が汚れているなとか、こっちのタイヤの方が減っているのはなぜなんだろうとか、ちょっと変な音がしていたのはこれが原因だったのかとか、反省や後悔なしにフラットに探っていく行為。

そうやって、チームのデータを集めることが大事なのである。

コスパ良く、レバレッジの高い打ち手

そのデータから次の期にチームを改善させるための打ち手を考えていく。

何個かの改善点が思いつくと思うけれど、その中でもできるだけ効果の高いやり方はどれなのか、「コスパ」の良い、「レバレッジ」のかかった施策は何なのか、それを探っていく。

欲を言えば、できるだけさりげないものが望ましい。

チームのメンバーには「何が変わったのかわからない」くらいの些細な調整。

でも、実は物凄く燃費が上がっているというか。

そのような変更を加えて、次の期を戦っていくのである。

感情を抜くことの大切さを多くのマネージャーは理解していない

でも、僕から見える多くのマネージャー達はこの総括作業をやっていない。

彼(彼女)らは、「反省」はしていると思う。

「振り返り」もやっていなくはないだろう。

でも、たぶん「総括」はしていない。

繰り返すが、大事なのは感情を抜くことなのである。

あなたの反省や後悔は不要なのだ。

冷静な整備士として、精緻にチームの調査を行うこと。

それを次に活かすこと。

現実を見ようぜ?

以前も書いたことだけれど、僕たち日本人は事前に想定することが苦手だ。

でも、「カイゼン」ならできる。

ただ、その「カイゼン」に臨む際には、客観的なデータが不可欠である。

今回の話は、その客観的なデータ採取に関するものなのである。

これを疎かにしてしまうことのヤバさみたいなものを、多くのマネージャー達はわかっていない。

過去を忘れて未来に向かおう。

僕からすれば、ダサいポップソングにありそうなフレーズを彼(彼女)らは採用しているようにすら映る。

もちろんそれだって悪いわけじゃない。

でも、もう少し現実を見ようぜ、というのが僕からの提案である。

感覚ではなく、データを

過去はデータの宝庫だ。

歴史は繰り返す、とも言う。

僕たちが振り返るのは、それを未来に活かすためだ。

ただ、それは必ずしも悲観的なものである必要はない。

そしてエモーショナルなものもいらない。

感情論や根性論、その類のもの。

それらを徹底的に排除して、AIみたいにデータをただ取っていけばいいのだ。

その結果として、「何も変える必要はないな」という判断も全然アリである。

表面の汚れだけ拭き取ればOK、ということだってあり得る。

無理やり何かを変える必要はない。

ただ、その判断を行う前には、きちんとした根拠が必要なのだ。

感覚ではない、重みのあるデータが。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

「振り返り」=「反省」みたいなイメージが日本社会にはこびりついているような気がして、多くの人は過去を振り返らずに未来へ進むことを「良いこと」だと盲目的に考えているように見える時があります。

もちろん反省するしないは自由なのですが、それよりも大事なのはフラットな評価です。

戦略(戦術)の採点、というか。

それなくして、進化はありません。

無感情にデータを取り、それを分析して、次に繋げていきましょう。