どうやったら「厚み」が生まれるのだろうか?

UnsplashTowfiqu barbhuiyaが撮影した写真

好悪や優劣でなく、厚薄

たまたま昔の上司に会う機会があって、小一時間くらい話をすることになった。

その時に感じたのは、今の上司との違いである。

その違いというのは、優劣ということではなくて、人間としての「厚み」みたいなものだ。

別にどちらの上司も好きでも嫌いでもないし、優れているとも劣っているとも思わない。

でも、上手く表現できないのだけれど、その人に限らず、昔の上司には現代の上司とは異なる「厚み」や「幅」みたいなものがあったように思うのだ。

普段は意識されないのだけれど、そのように直に比較させられると気付かざるを得ない、というか。

そして、マネジメントをある程度経験してきた自分からすると、「好悪」や「優劣」ではなく、「厚薄」が重要なのではないか、と思ったので、今日はそれを文章にしていこうと思う。

では、始めてみよう。

過去は美化されるものではあるが…

昭和への郷愁。

(僕を含めた)おじさん世代が時々語るものである。

もちろん、全体的に見れば昭和というのはかなり問題がある時代で、僕は現代の方が数倍も好きではあるのだけれど、ある一部においてはとても優れている部分があったのではないか、と思うのだ。

過去は美化されるものではある。

ただ、今日のテーマである、「人間の厚み(度量)」みたいなものについては、やはり現代とは比べ物にならないような気がしているのである。

端的に言えば、「くぐってきた修羅場の数が違う」というか。

暴力と引き換えに失ったもの

僕が昔の上司に感じる「ボス感」「親分感」というのは、この辺の「怖さ」みたいなものが関係しているような気がする。

それも「威張っている」とか「怒鳴っている」ということではなくて、そこから漏れる「オーラ」「迫力」みたいなもの。

生物としての「怖さ」というか。

そういうものを現代の上司に感じることはまずなくなった。

それは良いことであるとも言えるのかもしれない。

余計な暴力や恐れを感じずに仕事ができるようになったから。

でも、それと同時に失われたものもある。

そして、その失われたものは結構大きい。

そんなことを感じたのである。

結局は人間性

マネジメントは小手先のものが語られることが多いような気がしている。

僕が書いている数々のことも、そのような種類のものである。

でも、本当に大事なのは、そのマネージャーが信頼に足る人物かどうかである。

ブログの初期に「結局は人間性」という身も蓋もないタイトルの文章を書いたけれど、本質の部分はこうなのだと今でも思っている。

ただ、人間性を高めるのは困難であるし、一朝一夕でできるものでもないし(もしかしたらそもそも不可能であるかもしれないし)、だから小手先のもので何とかやり繰りしようとするわけだ。

良いとか悪いとかではなく、ただ仕方なくそうせざるを得ない、というか。

でも、繰り返しになるけれど、大事なのはマネージャーの「厚み」なのである。

何が来ようが動じないだけの胆力酸いも甘いも経験してきた者だけが出せる余裕、その種のもの。

「この人がいればまあどうにかなるだろう」と思わせられるような人間的な強さや魅力

そういったものがあればマネジメントは上手くいくし、逆にそういったものがなければどう繕ったってマネジメントは上手くいかない。

そして、この議論は、「じゃあ僕たちはどうしようもないのか?」というところに向かっていく。

「本物」には敵わない

人間力がなく、信頼に足る人物でない僕のような人間は、マネジメントにおいて大成することはできないのか?

答えは、Yesなのだ。

でも、そのような卑小な人間であっても、マネージャーとして様々な経験を繰り返していくことで、何となく「それっぽく」はなれる。

そしてその経験を繰り返していくためには、ある程度の小手先のスキルも必要である。

だから、僕は僕なりの経験談をこのブログに書いているわけである。

しかしながら、「本物」にはやはり敵わんな、と思うのである。

普段は意識されないけれど、並べられて比べられてしまうと露見してしまうもの。

それが「厚み」なのだろう。

クセがない=ポジティブ?

世の趨勢なのかもしれないけれど、「器用な人」が増えているように思う。

これは年齢関係なく、若手もベテランも、そつなくこなせる人の割合が多くなった印象を僕は持っている。

ある種の癖(クセ)みたいなものは、ネガティブなものとして捉えられるというか。

クセがないことが、ポジティブなものとして評価されるというか。

マネジメントにおいても、そのようなイメージを持たれている人は多い気がする。

人間臭さと消臭スプレー

でも、7年以上マネージャーをやってきて僕が思うのは、適度にクセがないと、部下はある距離以上ついて来ないし、高い成果を継続的に上げることは難しい、ということである。

クセというのは人間味と表裏一体で、その種の「人間くささ」がなければ、チームビルディングは困難になる。

でも、僕たちは消臭スプレーを使って、それを何とか消そうと日々奮闘している。

それは必ずしも間違いではないけれど、合っているとも言えない。

クセは厚みにつながる可能性があるから。

それが今日の結論である。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

苦みやえぐみ、変な臭い。

その種の珍味みたいなものが、マネジメントには必要なのではないか?

今回のテーマを書いて僕が思ったことです。

メリットとデメリットは表裏一体で、良いものだけを抽出するのは難しいのかもしれません(本文にも書いたように、昭和はかなり問題のある時代でもあるから)。

でも、そちらの方向に意識を向かせることはできます。

適度にクセを出しながら、「厚み」を意識しながら、これからもマネジメントをしていこうと思っています。

初見で顔を背けずに、何度か味わって頂けたら幸いです。