下を見てもキリがないぜ?
相対的地位の確認行為
日本人は相対的地位を気にし過ぎだ。
マネジメントをやっているとよくこんなことを思う。
他人は他人であり、自分とはある種関係ないはずなのに、皆他人と比べて自分がどうなのかによって自分の評価や立ち位置を決めているような気がする。
これは特にチームというような小さな単位では顕著に表れる。
もっと言うと、下方に対して強烈に出てくるのである。
「あの人はどうなんだ?(私に言う前にまずあいつをどうにかしろよ)」という言葉はチームが上手くいっていない時に部下からよく聞かれるものである。
言っていることはわからないでもない。
でも、下を見たって何にもならないのでは?
今日はそんな話をしていこうと思う。
数字は可視化しやすい
営業には目標というものがある。
最近ではノルマという言い方は殆ど聞かなくなったけれど、実際のところは似たようなもので、その目標に対する進捗率(達成率)によって営業マン(ウーマン)の評価は決まってくる。
と言っても、もちろんそれだけでその人の評価が完全に決まるわけではないが(仕事振りなどの定性的な評価もある)、おおよその評価というのは定量的なもので固まってくる訳である。
そして定量的なものというのは、可視化しやすいものでもある。
進捗率がどうなのか、決算日までの日数に対してどのくらいの達成率で来ているのか、がとても分かりやすい。
これは自分もそうであるし、チーム内の他の人間もそうである。
絶対的な進捗率もわかるし、相対的な進捗率もわかる。
自分がチーム内でどのくらいの順位にいるのかもわかる。
そこで今日のテーマの話に戻ってくる。
「あの人はどうなんだ?」という言明である。
それに対して僕はこう思う。
「お前には関係ないだろ?」と。
他人のことをとやかく言うのはマネージャーの仕事
僕は毎週1on1をやっている。
大体はくだらない話をしているけれど、時には数字の進捗について話をすることだってある。
それぞれの営業担当に対して、それぞれの話をする。
そこに他者は関係ない。
目標はあくまでも個人の目標であって、それがどのような状況であるのか、その成否みたいなものは、直接的には他人には関係ないことである。
もっと言うと、それをやるのはマネージャーの仕事であるから。
「お前は自分のことをまず考え、目標を達成してからその他のことを考えろよ」と僕は思う。
でも、殆どの人にはこの話は通じない。
できない営業担当ほど、下を見て、安心感を得ようとするからである。
下へ下へ
そしてこの傾向というのは連鎖していく。
自分のことはさておき、下の人はどうなのかということに意識が向いていく。
僕からすればどんぐりの背比べ的な些末な違いに拘泥したりするようになる。
こうなってくるとチームの運営は結構難しくなるのだ。
というのも、日本企業においては、降格や減給・解雇という手段はなかなか取れないからである。
「長期的には報われる」は通用しない
以前にも書いたとは思うけれど、このような手段が取りづらいということは、一定数の「寄生する人」を生み、その人達を見ていると、本当に頑張っている人たちが馬鹿らしくなってしまう、という現象が起きるのだ。
「やってもやらなくても処遇が対して変わらないなら、なぜ頑張る必要があるのか?」
僕はその通りだと思う。
これに対して、「中長期的には昇格などで処遇が変わってくるのだから、下を見ずに、何とか頑張ろう」と言う人もいる。
その話も間違ってはいないと思う。
でも、現場のマネージャーの立場からすると、そこまで中長期的にキャリアを考えている人は殆どいない(というか、それが考えられるなら、そもそも頑張らないという選択肢はない)し、多くの人間というのは本当に目の前の小さな差に極端にこだわり、そこで喜んだり落ち込んだりする、ということである。
それが日本企業のモチベーションを下げ、生産性を下げることに繋がっている。
僕はそう思うのである。
形だけの平等
構造的な問題、それは本来的には組織が解決すべきものである。
でも、日本企業(社会)というのは、(形だけの)「平等」を必要以上に重んじるもので、中々事態が改善していくとは思えない。
その中で現場のいちマネージャーができることは何なのかを書いて、本稿を終えようと思う。
上がろうとする奴を伸ばす
それは「上がろうとする奴を伸ばす」ということだ。
下を見る人たちを取り敢えず置いておいて、上を見る人にマネージャーのエネルギーを注ぐ。
具体的な処遇改善ができるならそれも行う。
組織内の過剰な平等信仰、ハラスメント環境を鑑みると、できる手段というのはこれくらいだろう、と僕は思っている。
もっと悲しい現実を言うならば、それで「伸びたからと言ってどうなるのか」ということもある。
上を目指したとしても大して処遇が変わる訳でもなければ、そもそも昇格したところで何か楽しいことがある訳でもない中で、頑張る必要はあるのか、という「そもそも論」に繋がってもくる。
ただ、僕はこう思うのだ。
そういう人たちだけで話ができる、そういうコミュニティには行ける、と。
話が通じない人から逃れるために
そこに具体的な意味がある訳ではない。
価値がある訳でもない。
でも、「そういう話が通じる」人たちが多くいる職場に行ける可能性は高まるのだ。
話が通じないほど、仕事がつまらなくなるものはない。
僕はそう自分に言い聞かせて、今日も伸びようとする奴と前向きに仕事をしていこうと思うのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
「お前はクビだっ!」
マネージャーとして1度は言ってみたい言葉です。
でも、そんな願いが叶うことはなく、また今日もモヤモヤしたまま仕事をしていくことになるわけです。
やらない人はやらない人同士で群れ、「ぶら下がる人」を形成します。
何とか真面目に頑張る人たちが報われて欲しいものです。