覚悟がなければリーダーにはなれない

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責任は皆に任せられるくらい軽いものなのか?

リーダーにとって重要なことは覚悟である。

何となく最近そんなことを考えている。

覚悟さえあれば、あとはどうとでもなるのではないか、というくらいに。

こういう話をすると、「責任はオレが取るから、皆の好きなようにやって構わない」と言うことをリーダーシップだと考える人もいるのかもしれない。

間違ってはいない。

でも、覚悟というのは、「皆に任せる」のとはちょっと違うように思うのだ。

もちろん、「責任を取る」ことはリーダーにとって必要なことであるし、僕もこのブログで何度も言っていることである。

でも、その責任というのは、「皆に任せる」くらい軽いものなのだろうか?

よくわからないかもしれないけれど、今日はそんなことを書いていく。

ポジションを取らなければ、リーダーシップは生まれない

僕は「ポジションを取れ」ということをよく言う。

何かの発言をする際に、どちらの立場に立って物事を言っているのかを明確にすること。

それによって失うものがあることを自覚すること。

そこにリーダーシップは生じる。

嫌われる勇気

そして何かを失うということは、誰かに嫌われることも意味する。

有限である資源や人材を、今やるべき方向に傾けることは、反対側にやらないことを生む。

そこに関わっている人たちは、それを面白くないと思う。

でも、それでも、やろうとするのがリーダーシップであり、そこに反対者であろうと巻き込んでいくのがリーダーシップである。

分かり易く言うなら「嫌われる勇気」を持つことが大事なのだ。

嫌われないように仕事をすると、嫌われるぜ?

これは実際に嫌われることを必ずしも意味しない。

嫌われないことを優先するあまり、嫌われてしまうリーダーというのは本当に腐るほどいるから。

コンプライアンス、ハラスメント、ポリティカルコレクトネス、その種のもの。

それらが幅を利かせている現代において、「嫌われること」は覚悟がいることである。

だから皆「嫌われない」ように仕事を進めようとする。

職階がそこまで上じゃない場合には、それでもいいと思う。

影響力がそこまで大きくない時には、そういう仕事の仕方でも不都合は生じない。

でも、ある程度の職階(例えばマネージャークラス)になると、そんなことは言っていられない。

もちろん、本心から善人であれば違うのかもしれないけれど、そうではない大多数の人は、嫌われる覚悟を持っていないと、リーダーなんて仕事は務まらないのである。

何かを選択しなければ、真の責任は生じえない

何かを選ぶことは、選ばないものを生じさせる。

そしてそれを選ばなかったことによって、成果が生まれないこともある。

選択と責任は裏表の関係である。

だからこそ、「責任はオレが取るから、皆の好きなようにやって構わない」はちょっと違うと僕は思うのだ。

何かを選択しなければ、そこに真の責任は生じえない。

その選択を部下に一任することは、必ずしも上司として素晴らしいことであるとは限らない。

この微妙なニュアンスを感じ取って欲しいのだ。

「任せる」と「丸投げ」の違いとは?

先述したコンプライアンス環境において、現れてきたのがこの種の「お任せリーダー」であると僕は思っている。

そして、多くの人はこの態度を悪いものであるとは受け取らないようだ。

僕だって、責任を取らない人よりは取る人の方がいいし、仕事を任せてもらった方がやり易いのは事実である。

でもさ、と僕は思うのだ。

それって「丸投げ」と何が違うのですか?

戦略は自分で、戦術は皆で?

これはもしかしたら、戦略論戦術論をごっちゃにしているからこそ生まれる誤解なのかもしれない。

もしかしたら「お任せリーダー」は戦術は部下に任せているけれど、戦略は自分で立てているのかもしれない。

そしてその戦略は部下からは見えないだけなのかもしれない。

そうか?

僕にはそうは思えないのである。

でも、議論を進めるために、そうであると仮定しよう。

戦略はあって、そこに自分の考え方(方針)が埋め込まれている、としよう。

ただ、そうすると、「皆に任せる」という言葉が「浮いてくる」のではないだろうか?

覚悟ってそんなに軽いもの?

いや、それでもポジティブに「(戦術は)皆に任せる」ということだと解釈しよう。

それならわからなくはない。

だとしたら、自分が立てた戦略について、もっと話をすべきでは?

自分が取ったポジションを明確にすべきでは?

これが冒頭の話に繋がってくる。

「覚悟ってそんなに軽いものなのだろうか?」と。

「見方を変えれば、それは責任逃れなのではないのだろうか?」と。

「やりたい」と「任せる」は矛盾する

「やりたい!」ということ(欲望)を明確にすることがリーダーの条件である。

そして「やりたい!」と表明することそれ自体は、「任せる」という言葉とうまく調和しない。

僕はそんなことを思うのである。

採用されるか、皆が腹落ちするかどうかは別として、少なくとも戦術面も含めて提示するまでがリーダーの仕事なのではないか?

もっと言うと、それが仮に採用されなくても、皆が腹落ちしなくても、やりたいことをやろうとするのがリーダーシップなのではないか?

行き過ぎれば、トップダウン(独裁型)になりかねない話であることは重々承知している。

でもさ、というのが今日の話である。

覚悟を持つこと。

多少の非難があっても、やり続けること。

それこそがリーダーにとって大事なことだと僕は思っている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

「任せる」という言葉には、「自分で考えられない」というニュアンスが込められていることがあるのではないか?

戦略も戦術も、具体的な手法に落としていく為には、かなりの知的努力が必要になります。

でも、これができない人は物凄く多い。

やりたいことをやる(やってもらう)ためには、任せるだけではダメです。

覚悟がなければ、責任も生まれません。

我が儘に、欲望に忠実に、でもポジションを取っていくことの難しさ。

このニュアンスを感じながら、リーダーシップを発揮していきましょう。