「そもそも論」で考える

UnsplashYosep Surahmanが撮影した写真

どちらを見てもムダなことばかり

マネジメントとは削減することだ」と僕は考えている。

加算よりも減算の方が楽だし、コスパが良い。

その際の考え方のガイドラインとなるのが、「そもそも論」である。

僕が新しいチームに赴任したり、他チームの指導を頼まれたりした時に感じるのが、「多くのチーム(マネージャー)は、惰性(脳死状態)で仕事をしているのだな」ということである。

外部の人間からすれば「なぜこんな(ムダな)ことを…」と思うような仕事が、何の疑問も持たれずに繰り返し行われている(それもかなりの体力をかけて)、というのは、「日本の職場あるある」なのではないか、と思えるくらいどこに行っても無駄なことばかりしている。

その惰性(慣性の法則)を止める為には、枕詞に「そもそも」をつける習慣が必要である。

今日はそんなことを書いていこうと思う。

僕たちは繰り返すことに安心感を覚える生き物だ

人間は習慣の生き物だ。

昨日やっていたことを今日繰り返すこと、に安心を覚える。

逆に、違うこと、イレギュラーなこと、には警戒感や緊張感が生じる。

そういう意味では、当初は「おかしいな…」と思っていたことも、毎日続けていくうちに、それが当たり前のもの(日常)に変化していってしまうのだろう。

ただ、その日常にはたくさんの無駄がある。

そこにメスを入れる際の思考方法が「そもそも論」である。

惰性を「一旦停止」させること

僕は新しいチームに赴任した時や、他チームの指導にお邪魔した際には、アホ面しながら、「これってそもそも何のためにやっているんですかぁ?」と能天気に聞くことにしている。

すると、彼(彼女)らは、一旦停止する。

そこから様々な理由や言い訳みたいなもの(時には妥当な答え)、が返ってくる。

ここで大事なのは、この「一旦停止」させること、である。

もちろん、その仕事をやっている理由や言い訳みたいなものが大事じゃないとは言わない。

そこから変化をもたらすためには、理由や言い訳みたいなものを聞くことは必要である。

でも、今日の話はその手前の話で、まずメンバーやマネージャーに考えさせる、というところがポイントなのだ。

なぜそれをやっているのかを考えていない人ばかり

冗談みたいな話だけれど、本当に多くの人たちは自分たちが何をやっているのか、それもなぜやっているのか、ということをわかっていないし、考えたこともないようである。

僕からすれば「マジか?」と思われる事態ではある。

でも、「何となく…」とか「習慣で…」とか「前任者にそう教えられたから…」とか、その程度の理由で、何にもならない仕事をかなりの時間を割いてやっていることが殆どである。

それが生産性の低下に繋がっていたり、チームの活力を削いでいたりする。

そのような「気づき」を与えるのが、「そもそも論」である。

惰性を止めることだけで意味がある

ここからそれを止めるとか変更するとかに移行するのは、それなりの体力がいるし、別のテーマで書いているので、そちらを参照して頂きたい。

今日の話はあくまでもその前段、「一旦止まって」「考えさせる」というところに焦点を当てているのだ。

疑問の種を蒔く、というか。

後はメンバーなりマネージャーなりに考えさせればいい。

もちろん、自分が手を入れなければならない場合もあるけれど、ある程度時間を貰えるなら、そのチームに所属する人達が自分たちで考えて決める方が、効果が高く持続する場合が多いように僕は思っている。

そして、その後のことは(乱暴に言えば)別にどうなったって構わない。

惰性をやめること、が大事なのである。

自分たちの仕事を自分たちで主導すること

日本人の習慣なのか、上から言われたことに従順に(盲目的に)従うことが良いことであると、無条件に考えている人がとても多い気がする。

もちろん、組織運営上はその方が楽だ。

でも、それでは何も変わらないままだ。

何らかの不満があり、改善策が思いつくなら、それをやってみた方がいい。

トヨタの「カイゼン」が殊更取り上げられるのは、現場レベルのそのような重要な気づきが、日本企業(もしかしたら世界企業においても?)において取り入れられることがあまりにも少ないことの証左であるような気さえする。

ボトムアップという言葉は、行き詰ったチームや企業において使われ始めると危険だと僕は思っているのだけれど、そういうスローガン的なものではなく、自分たちの仕事を自分たちで主導すること(自治)はとても大事なことだと思うのだ。

楽しく仕事をする為に

もちろん大前提としての会社のやり方チームのやり方は尊重すべきではある。

ただ、そこに何らかの納得感がないなら(ただの惰性でやっているなら)、一旦立ち止まって「本当に必要なのか?」は考えた方がいい。

メンバーが単独で考えることができないなら、マネージャーがそこに入って、「これって必要なの?」ということ聞き、アシストしてあげたらいい。

そうやって、少しだけ自分の方に仕事を「寄せていく(取り戻す)」のだ。

誰かに言われてやる仕事、そもそも誰かに言われた訳でもなくただ繰り返している仕事、よりも、自分で考え、工夫した方が楽しい。

そんな当たり前のことを、そもそも論はもたらしてくれるはずだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

僕は「自治」という考え方が好きです。

それは「ボトムアップ」とはちょっと違います。

別に「アップ」する必要はない、というか。

自分たちの仕事を自分たちで決めること。

そこに上の許可なんていらない。

ホッブス的な考え方(万人の万人による闘争)に僕は共感ができません。

自分たちのことくらい自分たちで決められるはずです。

アナキスト的に仕事をしていきましょう。