目を笑わせる

UnsplashAmanda Dalbjörnが撮影した写真

表情と感情のアンバランス

マネジメントの階梯を上がっていくと、目が笑っていない人にエンカウントする確率が上がっていく。

一見すると笑顔のようだけれど、本心は別のところにあって、それが表情とのアンバランスを生んでいる、そんな印象を受けることが増えていく。

これはある種仕方のないことであるとは思う。

役職が上がれば上がるほど本音を出す(出してもいい)場面は減っていき、どんな相手に対しても悪い印象を与えない為に表情を笑顔に(もしくはそれに近い顔に)固定しておかなければならない、それは事実だろう。

でも、だからといって、それで部下がその通りの表情を受け入れているはずだと慢心してはいけないのだと僕は思っている。

もっと言えば、その偽りの笑顔は見抜かれている、と思った方がいい。

そしてできれば、本心から笑えるように、目を笑わせられるように、なった方がいい。

今日はそんなことを書いていく。

100%向き合うことは疲れる

マネージャーになる前となった後で大きく変わったと自分自身思うのは、相手に対して100%の態度で臨まなくなった、という点である。

100%の態度、というとやや大げさかもしれないけれど、相手の言うことを吟味したり、それに対して一生懸命考えたり、こちらもアイディアを振り絞ったり、そのように正面から向き合うことが少なくなった。

「いやいや、マネージャーたるもの、部下に対して全力で挑むべきだろう!」

そうお叱りを受けるかもしれない。

もちろん、「べき論」としてはそれは正しい。

どの部下に対しても、あるいはどの人に対しても全力で向かい合うべきである、それは確かだ。

でも、それではこちらの身が持たない。

ましてや、その相手が全力で向き合うべき対象ではない場合その努力は徒労に終わることが多くなるし。

それを繰り返していくたびに、だんだんと人と接する時に、「おざなりに」なっていく。

手加減をしていてもいい、というか。

自然に任せていたら、表情と感情は乖離してしまう

表情と気持ちは当然ながら連動していて、そこに自分の思考も加味されて、対話というのは進んでいくものだろうと思うのだけれど、そこにはそれなりの体力と精神力がいる。

それをずっと続けることは難しい。

すると、だんだんと、表情と気持ちが乖離していくことになる。

もっと言えば、言葉も離れていってしまう。

気持ちとは裏腹に、口八丁手八丁で、「それっぽい」ことを言い、「それっぽい」表情を作ることになる。

結果、目が笑わなくなる。

幸いなことに僕自身はそう指摘されたことはないけれど、多くのマネジメント層の表情が曇って見える、そこにアンバランスなイメージを感じてしまうのは、こういったことがその背景にあるのだと思う(もちろん、本当に部下を舐めている人も多いが…)。

60%くらいの対話(の連続)。

それはマネジメントをする上では、ある種仕方のないことではある。

でも、そこには感情と表情の連動は必要だとは思うのだ。

連動率の乖離を抑える

マネジメントの階層が上がると、上記した通り、本音を言う機会は減っていく。

それは確かだ。

でも、表情との連動性は失わない方がいいと思うのである。

言っていることがわかるだろうか?

60%の気持ちであれば、表情も60%に揃えるべきなのだ。

いや、せめて80%くらいの表情に留めるべきなのだ。

それを100%の表情でやってしまうから、感情との乖離が大きくなってしまうのである。

建前だけを言うなら、AIで十分では?

もちろん、建前は必要だ。

部下に対して(他者に対して)、色々と思うことはありながらも、それを抑えながら話をするスキルは、現代社会には必要不可欠ではある(すぐにハラスメントだと言われるから)。

でも、それをずっと続けていると、何だか自分がそこにいる意味がなくなってしまうようにも思うのである。

本当は思ってもいないことを、本当は思っていない表情で話すことの連続。

それなら自分でなくても(例えばAIでも)いいのでは?

僕はそんな風に思ってしまうのである。

本音は「効く」

多くの部下(特に若手)と話をしていると、本音を話すことの大切さを実感する。

それは滅多に出せないけれど、「ここぞ」という場面では途轍もない威力を発揮する。

でも、その時に、自分の表情が感情と乖離しているなら、その本音は本音として受け取られなくなってしまう。

本音の力が半減(もしくは0)してしまう。

それではマネジメントは機能しない。

だから、目を笑わせるというか、表情と感情のアンバランスさをできるだけ少なくするよう、日々気を付けておく必要があるのだ。

それが顔に張り付いてしまうから。

イソップ物語はいつだって残酷だ

僕が何年もマネージャーをやって思うのは、結局のところ、その言葉がきちんと部下に届くか否か、それだけの言動や行動を普段から行っているか、に尽きる、ということである。

マネージャーが本当に伝えたいことが、適切な純度を保ったまま部下に届くなら、マネジメントは成功していると言える。

そしてそこには、一定の信頼関係が不可欠である。

目が笑っていないマネージャーは、これができないのだ。

本当に伝えたいことが伝わらないオオカミ少年のように。

その後の物語はご存知の通りである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

本音の効果とその弊害。

それを上手に使い分けないと、マネジメントは上手くいかない。

僕はそんな風に思う時があります。

というか、使い分けようと思っている時点で失敗しているのかもしれません。

「この人は物事がきちんとわかっている」

「状況に応じて言葉を選んでいるだけだ」

そのようなイメージが部下に伝わっているなら、マネジメントは大成功です。

言語と表情の乖離。

変な顔になっていないか、日々確認しながら、真っ当な言葉を吐いていきましょう。