アンチ・プレイング・マネジメント(APM)

管理職=プレイングマネージャー?
日本では「管理職=プレイングマネージャー」という認識が強いけれど、海外ではそうではない。
マネジメントに専念している。
ここに日本の低生産性の原因(の1つ)があるように僕はずっと思っている。
日本人は組織の問題を個人の力で解決しようとし過ぎ。
それを組織も認識しなさ過ぎ。
だからいつまでも本物のマネージャーが育たず、生き残った人は自分のやり方こそがマネジメントであると信奉し、自分と同じようなプレイングマネージャーが量産されていくのである。
では、管理職はマネジメント以外やってはいけない、という縛りを入れてみたらいいのではないか?
そんなことを思ったので、今日はアンチ・プレイング・マネジメント(APM)について書いていこうと思う。
停滞からの打開策を真剣に考えたことがある人は殆どいない
マネージャーには成果が求められる。
ここに疑問を持つ人はそう多くないだろう。
では、自分のチームが停滞している時に、どうやったら成果が出せるようになるのか、をきちんと考えたことがある人はどれくらいいるだろうか。
僕から見える多くのマネージャーは、これを殆ど考えたことがないようだ。
「いや、そんなことはない。私はきちんと考えている」
そう反論する方にもう一つ質問を。
「それって、事前に仮説を立てましたか?」
走りながら考える?
成果を上げるプレッシャーからか、多くのマネージャーはチームの問題点を見る時に短期的な視野に留まりがちで、現状分析に特化しすぎである、と僕は思っている。
もちろん、現状分析は悪いことではない。
でも、そこから未来に目を向けた時に、現状からの延長線上の未来を描いているだけではなかなか成果というのは上がりにくいものである、ということを理解している人は少ない。
もう少し丁寧に言うと、現状分析の前に仮説を立てられる人は殆どおらず、「走りながら考える」ことを良しとしている人が多すぎるのである。
今日のテーマであるアンチ・プレイング・マネジメント(APM)というのは、この「走りながら考える」思考に対するアンチテーゼである。
走るのをやめる
「なぜ走りながら考えることが悪いのか?」
そう青筋を立てる方もいらっしゃるかもしれない。
日本ではそれが尊いもの、素晴らしいものだとされているから。
いやいや、ちょっと待って欲しい。
それではいつまでもプレイング・マネジメント思考から抜け出すことはできない。
走るのをやめるのだ。
止まってチームを見るのだ。
脳と体を切り離すイメージ
思考実験をする。
あなたはチームに手出しができない状態だとする(例えば椅子に縛られていて身動きが取れないとする)。
さて、あなたは何をする?
どうやってチームに貢献し、成果を上げる?
この思考がアンチ・プレイング・マネジメント(APM)である。
あなたが動けないと仮定する。
その際にできることは、脳を使うことだ。
そして部下には体として動いてもらうことになる。
脳と体は別。
それがマネジメントの基本である。
そして脳と体を切り離した時に、その動き方を(他者に)説明するには、自分に説明する以上に丁寧に言語化する必要がある。
更にその動き方は、仮説に基づいている必要がある(腹落ちさせられるような、筋の良いものであることが望ましいことは言うまでもない)。
これが今日の話の要諦である。
プレイングマネージャーで満足してますか?
チームの脳として働くこと。
それがマネージャーの仕事である。
「そうは言っても、部下は仕事しないし、業務は山のようにあるし、業績向上へのプレッシャーは半端じゃないし」
確かにその通りである。
でも、自分の体を動かして解決しようとするから、いつまでも問題が解決しないのである。
「いやいや、現実はそんなに甘くないよ」
それもその通りだ。
じゃあ、質問するが、それであなたは満足なのか?
というか、そのような組織の流れにあなたも加担するのか?
自分も加担している自覚を
組織の問題を属人性で解決しようとすることが日本の問題点であると冒頭に書いた。
それをあなたも肯定するというのか?
そうせざるを得ない、それもよくわかる。
僕だってそういう組織の中でずっと働いてきたから。
でも、それではいつまでも変わらないのでは?
僕たちの働き方の累積が組織の働き方になる
僕たちはすぐに「組織」というものを自分の問題と切り離して考えがちだ。
何か別のもの、外部にあるものが僕たちの理想の働き方を阻害している、と思ってしまいがちである。
それが間違っているとは言わない。
そしてそれが実際に理由の大半であるだろう、とは僕も思う。
でも、僕たちの働き方の累積が組織であることも事実なのだ。
合成の誤謬。
そこに自分の責任がないとは言えないのでは?
僕は(厳しいようだけれど)そう思うのだ。
流れを変える為に
組織は変わらない。
日本社会は変わらない。
それはきっと事実だろう。
でも、その勢い、流れみたいなものに、一石を投じることはできるのでは?
自分のチームにおいて、圧倒的な成果を上げることで、マネジメントに専念するということの凄みを見せつけられるのでは?
管理職が疲弊せず、自殺もせず、チームのメンバーも機嫌良く働ける環境が作れるのでは?
僕はそんなことを夢想している。
その仲間が増えることを願っている。
だからこんな青臭いブログを書き続けているのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
「オレもプレイングマネージャーをしている時があったよ」
そう多くの人が笑いながら言える日を夢想しながら、僕はこのブログを書いています。
成果を求められるのがマネージャーの仕事ではあるのですが、日々の仕事を回していく過程で、だんだんと成果よりも目の前の仕事を片付けていくことそれ自体に意識が向いてしまって、その処理速度こそが成果とイコールなのだ、というように倒錯してしまうところにプレイングマネージャーの罪深さがあるように僕は感じています。
現実はそんなに甘くないよ。
その言い分もわかります。
でも、それなら、なぜプレイングマネージャーという働き方に不満を覚えているのでしょうか?
あなたの働き方はあなたが決めています。
もちろん外部要因によって、やむを得ない部分は多分にあるでしょう。
でも、最終決定をするのはあなたです。
マネジメントに特化できないのは、甘えですらある。
そんな厳しいことを言いながら、でもその大変さも十分に理解しているつもりです。
つらいよな。わかるぜ。
でも、それだけでは何も変わりません。
プレイせず、成果を上げる。
少しずつでも変えていきましょう。