管理職は無理ゲーだ
無理ゲーと死にゲー
管理職になって8年くらい経つ。
そしてふと思う。
管理職は無理ゲーだと。
さらに言えば、その無理ゲー感は年々強まっていると。
ここでのポイントは、この管理職というゲームは無理ゲーであって、死にゲーではないというところにある。
死にゲーは難易度が高く、何度も死ぬけれど、クリアした時のカタルシスがある。
でも無理ゲーは単なる無理ゲーである。
理不尽しかない。
今日はそんなことを書いていく。
無理ゲーの縛りプレイ
「今期の目標は必達!」
「部下の育成も当然!」
「ハラスメントはもってのほか!」
「コミュニケーションの改善も当たり前!」
「ただ残業は不可!」
「人員もコストも削減する!」
「そして明日の飯のタネも当然作る!」
「イノベーションを忘れてはならない!」
といった、「縛り」の数々。
元々のゲーム自体が無理ゲーなのに、さらにそこに「縛り」を入れさせられながら、現代のマネージャーはプレイをしている。
そのように感じることがある。
誰かできる人おるん?
上から降ってくる様々な無理難題。
膨大な数の要求事項。
それに応えるのは不可能なのでは?
それができる人なんていないのでは?
僕は最近そう思っている。
レベルアップと、追いつかないステータス
様々な経験を積んで、こちらもそれなりにレベルは上がっているはず。
でも、そんな程度のステータスではにっちもさっちもいかない。
何らかのドーピングアイテムがないと、ただ詰んで終わり。
そしてそれは必ずしも我が社だけの問題ではないような気がしている。
日本社会全体がそんな感じになっているように思うのだ。
グレー領域の仕事をすることの弊害が目立ってきた
僕は最近、背負わなくていいものは背負わなくていいかな、と感じ始めている。
(自分で言うのもなんだが)それなりに責任感のある僕は、今までできるだけチームの為になるように、自分の仕事の領域を超えて、働いてきたつもりである。
そしてちょっと前までは、それがそれなりの効果をもたらしたというか、やっただけのプラス面があったように思うのだけれど、どうも最近はその弊害というか反作用というか、とにかくマイナス面が目に付くようになってきてしまっているように思う時がある。
その原因はもちろん僕にあるのだろう。
でも、全てが僕が原因とも言えないのでは?
そう思うのである。
そっちがその気なら…
多くの人が様々なプレッシャーの中で仕事をしていて、端的に言うなら余裕がなくなってしまっている。
その結果、他人に対して必要以上に狭量になり、底意地の悪いことをやって、憂さを晴らそうとしている。
そんなことを感じる時がある。
それならこちらも必要以上のことはやらなくてもいいかな。
というか、こっちだって別に褒められたくてやっている訳じゃないし、出世したくてやっているわけじゃないんだよな。
ただ単純にその方が会社にとって良いと思っていたから、やっていただけなんだよな。
それがただのお節介に過ぎないとは。
社会全体における前向きなエネルギーの減衰
このようなある種の「いじけ」は、たぶん僕だけではなく、責任感を持って仕事をしようとしている全ての人に当てはまることだと思う。
もちろん、その「程度」というか、「妥当性」にはそれぞれ幅があるだろう。
でも、何というか、前向きなエネルギーを削がれるようなことが続くと、人は自分の領域だけで仕事をしていればいいや、と思うようになってしまう。
そしてそう思う人が増えれば、社会全体として前向きなエネルギーが失われ、「それなり」の仕事をするだけの社会が到来することになってしまう。
それはポジティブな事態とは到底言えない。
「でも、しょうがないのでは?」というのが今日の話である。
管理職は無理ゲーだから。
そもそもの初期設定が間違っているから。
マネージャーのMはドMのエム
「いい仕事をしましょう」
それが僕の仕事に対するスタンスである。
となると、無理ゲーという初期設定の中でどうやっていい仕事をしていくか、というのが僕の問題設定となる訳だ。
ただのドMじゃねえか。
クリアでもエンジョイでもなく
以前も書いたと思うけれど、あらゆることに対応しようとすることを(前向きに)諦め、残されたエッセンスに注力していく、というのが現在の僕なりの希望である。
それはたぶんゲームをクリアしていくという方向性とは違う。
そしてゲームを楽しむというような度量の大きさは僕にはない。
(多くの人には理解されないだろうけれど)一部のマニアに称賛されるような、職人的な仕事を目指すこと。
それが僕の現在の無理ゲーとの向き合い方である。
人生はコメディだ
そしてその時のマインドの持ち方として、シリアスではなくコメディ方向に目盛りを置いておくことが重要である。
僕が自分を信頼できるのは、何か過酷な事態が生じた時に笑いに持っていける、という点である。
そのあまりにもシリアスな状況が、シリアス過ぎて笑ってしまいたくなるのだ。
というか、笑わなければやっていられない。
そこにはユーモアが絶対的に必要なのである。
無理ゲーを無理ゲーとして全力で取り組まず、俯瞰から眺め、その無理ゲーさ加減を笑ってしまうこと。
そこに参加している自分すらも戯画化してしまうこと。
それがこの無理ゲーを楽しむ方法である。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
世の中には無理ゲーでも簡単にクリアしてしまうような凄腕の人がいます。
でも、管理職という無理ゲーを軽々とクリアしている人はなかなか出会うことができません。
それは普通の無理ゲーが変化しないのに対し、管理職という無理ゲーは追加アップデートがバンバン来て、以前は通用した攻略法が次々に封じられていくからです。
そこに立ち向かっていく気概は否定しませんが、あまりにもガチで取り組むと、精神を病む恐れもあります。
程々に距離を取って仕事をしていきましょう。