言語vsエビデンス
エビデンスは万能。でもね…
マネジメントとは言葉を扱う仕事である、と常々言い続けている。
そしてその時に念頭にあるのが、エビデンスとの対置である。
もちろんエビデンスは重要だ。
ただ何でもかんでもエビデンスベースドになってしまうのはちょっと違うような気がしている。
「既得権益(と書くと言葉が強いが、旧来の曖昧な慣習みたいなもの全般と捉えて頂けると良いと思う)を打破する為には、それを論破するだけの客観性を持ったエビデンスが必要である」
その言説は否定しない。
そしてエビデンスはある種万能でもある。
ただその万能性には、「(可視化されない)事前に選別する過程」が含まれていることを忘れてはならない。
意味が分からないと思うけれど、今日はそんなことを書いていく。
エビデンスの捨象された部分は意識されない
「エビデンスは切り取り方次第」
そう感じる時がある。
そして、それ以外の要素は捨象されたままである、と。
というか、捨象されていることすら殆ど意識されないものである、と。
わかる。わかる。わかる。が…
旧態依然としたものと、それに対する不満、という構図は、組織で働いている僕にもよくわかる感覚である。
そして、その旧態依然としたものを変える為には、何らかの客観性を持った証拠が必要である、それも理解できる。
それを論理的に並べることでしか、曖昧な旧態依然としたものを打破するのも難しい、それもよくわかる。
でも、その証拠の取捨選択には恣意性が働いている。
それを忘れてはならないと思う。
エビデンスは誰が見ても同じだから強い。でも、誰が見ても同じということは深みがないことでもある。
また、その一方で(もしかしたら反対側に)、言葉への信頼性の低下がある。
エビデンスが有する特徴の1つである「誰が見ても同じ」ということは、そこに深み(幅)がないことを意味する。
その深み(幅)を担保するのが、言語である。
もしかしたらそれは「複数の解釈が可能」というある種の曖昧性を生じさせるものなのかもしれない。
ただ、「曖昧なもの=良くないもの」という風潮もそれはそれで極端であるような気がするのだ。
言葉を積み重ねるというアプローチもあるのでは?
「今までは曖昧に物事が決められていた(日本社会であれば「空気」のようなものが該当する)。だから、そうではなく、エビデンスに基づいて価値判断をすべきだ」
それはその通りだと思う。
でも、もう1つの方向性として、言葉を積み重ねるという方法もあるのではないか、と僕は思っている。
言葉を積み重ねるのは面倒くさい。
時間も労力もかかる。
そして、そこに含まれたニュアンスというのは、複数の解釈が可能で、曖昧性を拭い去ることもできない。
でも、だからこそ多義的で、多様な人たちを包摂できる可能性が生まれるのではないか。
そんなことを思うのである。
言葉に対する信頼性と合意
もちろんそこには言葉に対する信頼性(合意)みたいなものが必要ではある。
参画している人たちが、そこで交わされる言葉に対して信頼感を持っていることが必要不可欠ではある。
確かにそのような状況(シチュエーション)を作り出せる機会はそう多くはないのかもしれない。
でも、それを諦めてはいけないように思うのだ。
データは諸刃の剣
これはマネジメントという仕事をしていても常々感じることである。
僕はチームを運営している時、特に成果が芳しくない時、データに基づいた指摘を頂くことがある。
ただ、そのデータの取扱者が、「データは諸刃の剣である」ことを理解していることは稀だ。
ある側面、ある切り口から見たデータを、全てを説明するものだと信じて疑わない人が殆どである。
その度に、「マジで言っている?」と思うのだ。
データへの畏れがなければ、議論はおかしな方向に進んでしまう
もちろん、データを使うことは重要だ。
ただ、そこには「畏れ」のようなものは必要であると思うのである。
少なくとも「取扱注意」の札くらいは張っておいて欲しい。
ある種の万能性を持つデータは、見せ方如何でどのような方向にも議論を持っていくことが可能である。
同じデータであっても、期間や対象にちょっと手を加えるだけで、印象が大きく変わることがある。
それを元にマネジメントに変更を加えると、想像以上におかしな方向に進んでしまうことになる。
わかり易さへの懐疑
説明可能性(アカウンタビリティ)は確かに組織運営には必要だ。
でも、その説明の仕方がどうも「視覚化」に寄り過ぎているようにも思うのだ。
「パッと見てわかる」「図表化する」「カラバリも豊富に」という風潮(例えばパワーポイントなど)は、良い面ばかりとは限らない。
余計な言葉を省くことで見栄えが良くなることは否定しないけれど、それを説明する際には言葉を尽くすべきで、そこに含まれたニュアンスや想いみたいなものをできる限り正確に描写すべきなのだ。
そしてそのニュアンスこそが、チームの成果を大きく変える燃料になるのだ。
映らないものを表現する為には言語が必要
すっきりと説明できるもの。
比較可能なもの。
でも、それだけでは説明しきれないもの。
エビデンスを基に判断を下す際には、そこに映らないものに想いを馳せることが必要なのだ。
そしてそこに映らないものをどうやって表現し、理解してもらうか。
その為には言語が必要不可欠なのである。
もちろん、使い古された言葉はやめようぜ
単純な言葉。
ストックフレーズ。
それだけではチームを変えることはできないし、当然大きな成果も得ることはできないのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
エビデンスは取り扱う際に注意が必要。
ただ、それを意識している人は稀です。
グラフや図表といったものは、見せ方次第でどうにでもなるものです。
それを鵜吞みにしてはいけない。
もちろん、エビデンスを使うことは大事です。
ただ、そこに言葉が組み合わさらないと、マネジメントとしては不完全です。
面倒でも、言葉を尽くしていきましょう。