キズモノ部下の扱い方
評価が芳しくない人達
以前にも書いたと思うけれど、なぜか僕の元には傷を持った部下が次々に送り込まれてくる。
同僚とうまく行かなかった、メンタル不調で最近まで休職していた、気が強く何度も上司とケンカした、などなど、それぞれの理由で評価が芳しくない人達が、僕のチームには多くやってくるのである。
そのような部下をどのように扱うか?
僕は自分ではそういう部下の扱い方に長けているとは思っていない。
でも、たぶん会社的にはある程度「再生工場」だと認められているのだろう。
そんな程度の話でももしかしたら何かの役に立つかもしれないので、今日はキズモノ部下の扱い方をテーマに書いていこうと思う。
長所よりも短所に目が行くよね?
「人の短所ではなく長所を見るようにしなさい」
人間関係を語る際に、どこかしらでは出会う言葉である。
これはその通りだけれど、なかなか難しいものでもある。
少なくとも僕自身は他人の長所よりは短所が目についてしまう方で、それを意識的に抑制しようとはするものの、やっぱり限界はあるよね、というように感じている。
短所はどうやったって短所である。
そこから目を背けることは難しい。
だから、それを踏まえた上でどうするか、ということに意識を向けるのが良いと僕は思うのである。
短所が短所であると認識しているか
それを部下育成に応用すると、まずその短所を短所だと本人が認識しているか否か、というところを確認することから始めることが大事である。
残念ながら(というか残念だと僕は思うのだが)、多くの人(特に現代っ子)たちは、自分の短所が(社会的には)短所であることへの認識が乏しい。
だから、まずそれが(社会的には)短所であることを、折に触れ話をしていくことが大事である(もちろん信頼関係を構築した上であることは言うまでもない)。
原因について消化できているか
今回のテーマである「キズモノ部下」に対してもこのアプローチ方法を取っていく。
ただ、僕の経験上、この種の部下はある程度その短所に自覚的であることが多いように感じている。
それはやっぱり「一戦交えているから」である。
過去に何らかのイベントがあって、メンタル不調になったり、上司とそりが合わなくなったりしているので、そこに対する疚しさみたいなものを抱えていることが多いのだ。
それをまずは時間をかけて探っていく。
本人の中でどのように消化しているのか(もしくはまだ消化しきれていないのか)、何が原因だったと思うのか、そうならないようにするためにはどうしたらいいのか(よかったのか)、といったことを、徐々に深掘りしていくのである。
同時に、その事象を客観的に見るということも忘れてはならない。
もしかしたら、その事象はその部下が原因ではないかもしれないから。
その当時の上司がクソであったり、同僚がイカれていたりと、不可抗力的な側面があることも多いのである。
それを丁寧に確認しながら、フラットに今後について考えていく、というのが「キズモノ部下」に対する基本的なアプローチ方法だと僕は思っている。
僕もたくさんのキズを持っている
そして、どこかのタイミングで僕も傷を抱えていることを表明していく。
僕はダサい仕事をしたくないとずっと思ってきて、特に若い頃はそれを隠すこともしなかったので、それはまあ多くの人に嫌われたものである(今だってそんなに変わらないが)。
結果、たくさんの傷を負うことになった。
もちろん後悔していることもあるけれど、たぶんもう人生を1度やり直せるとしても似たような道を通ることになりそうなので、半ば諦めている部分もある。
そういう話を「キズモノ部下」にしていく。
会社に評価されないことはキズなのか?
これは価値観みたいなもの、仕事への向き合い方みたいなものにも繋がってくるが、「上司や同僚、会社に評価されない=キズ」ということでもないのでは、というのが僕の感覚である。
いや、それなりに社会適応というか、世渡りというか、忖度というか、そういったものは必要ではある。
でも、一方で、そういったものを過剰に求める人がいるのも事実で、そのような過剰性はなぜ糾弾の対象とならないのか、不思議に思ったりもする。
大事なのは仕事における成果であって、それ以外のものは不必要とまでは言わないまでも、そこまで優先順位を高くする必要はないのではないか、と僕は考えている。
そういう意味では、「キズモノ部下」のキズがどの程度のものなのか、それが本当にクリティカルなものなのか、僕には判断しかねる時があるのである。
そういう考えを持っているから、僕のもとには「キズモノ部下」が来るのかもしれない。
再生工場としてのゲリラ戦
いじめや不登校、引きこもり。
社会人になったって、人間関係の面倒くささは変わらない。
そして、ちょっとした歯車の違いだけで、大きくメンタルが損なわれることだってある。
僕はそのメンタルを損なう側がもう少し糾弾されるべきだと思っている。
でも、その現状は変わらない。
それなら、僕は「再生工場」としてのゲリラ戦を続けていくだけである。
戦っていけるだけの武器を
僕が成果に異常な拘りを見せるのは、それが免罪符となりえるからである。
エビデンスを持っていれば、この社会は少しだけ生きやすくなる。
それは僕自身が七転八倒しながら身に付けてきた処世術であるとも言える。
腫れ物、キズモノ、大歓迎。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
過剰適応も不適合も問題。
でも、糾弾されるのは不適合の方だけ。
僕はこの辺がよくわかりません。
会社色に染まり切っている人に魅力的な人がいないのに対し、会社に明らかに不適合な人には魅力的な人がたくさんいます。
だからと言って不適合が良いということではないのですが、過剰適応している人はそれはそれで問題なんじゃないの、と僕は思っています。
そういう人が不適合な人の居場所を奪い、会社を更につまらないものにしているのでは?
弱者(正義)の味方を気取りたいわけではありません。
ただ、僕は僕なりのゲリラ戦を続けながら、いい仕事をしてきたい、そういう仲間を増やしていきたいと思っています。
共に戦っていきましょう。