モラルもモラールも

UnsplashLuis Quinteroが撮影した写真

社会的規範意識の低下

モラル(moral)モラール(morale)。

前者が倫理や道徳、後者が士気や労働意欲を指す、という教科書的な話はさておいて、両方とも低い職場が増えているような気がする、というのが今日の話である。

というか、この2つは循環(スパイラル)構造みたいになっていて、「倫理や道徳の低下→士気や労働意欲の低下→更なる倫理や道徳の低下→更なる士気や労働意欲の低下…」となっているのが現代の職場環境であるように思うのだ。

ここには大きな意味としての、社会的規範意識の低下が前提にあるような気がする。

そしてそのようなインモラルな人たちが増えるによって、職場のモラールも低下しているのではないか?

やや風呂敷を広げすぎなような気もするけれど、今日はそんなことを書いていく。

最低限の倫理や道徳は必要では?

「言わなくてもわかるだろ!」

「阿吽の呼吸」「空気を読む」といった日本的習慣(文化)は流石に時代錯誤だとは僕も思うけれど、「最低限の倫理や道徳は持っていて然るべきなのでは?」と感じることが増えてきたような気がしている。

それは別に若い世代だけではない。

というか、むしろ一定年齢以上の世代にこの種のことを感じることが多い。

「それを言っちゃあおしまい」「それだけはやったらダメ」というような、「人としてどうなのか」と思われるような言動や行動を恥ずかしげもなくやってしまう大人たち。

それを見るたびにウンザリしてしまう。

そしてそのような基礎的な部分すらも指導しなければならないのか、と愕然としてしまう。

あの人はなぜ許されるのか?

この種の手合いには、まず話は通じない。

何を言っても、何をやっても、効力はない。

ちょっと前であれば、そのような人は職場において少数であったので、問題点を把握しながらも許容できるというか、全体としては作用するから黙認するという方法が取れたのだけれど、最近はその割合が高くなってきていて、それが職場の士気を下げていると感じるのである。

「あの人はなぜ許容されるのか?」

言いたいことはよくわかる。

「それなら私も馬鹿らしくてやっていられない」

結果として、職場の士気が低下していく。

インモラルな人たちが招く、モラールの低下。

そしてそのスパイラル。

それにマネジメントとして対抗する術はあるのだろうか?

ベースの倫理や道徳が低下している?

モラルの低下は、会社云々の話だけでなく、もう少し大きな話(社会的な規範意識の低下)が原因なのだろう。

新聞やテレビやYouTubeを見ずとも、通勤途中や飲食店、コンビニなどで、インモラルな人達は簡単に見ることができる。

その人たちは直接的には自分には関係ないのだけれど、そこに漂う空気感というか、イヤな感じは、僕たちの職場にも入り込んできている。

感化される、とまでは言えなくても、緩むというか、弛緩するというか、とにかく「これくらいまでは職場でもOKでしょ」という閾値が低くなっているように感じるのだ。

ベースの倫理や道徳が低下している、というか。

上司に常に監視されていれば、そりゃ労働意欲は下がる

僕はマイクロマネジメントが嫌いであるけれど、多くのマネージャーがマイクロマネジメントを採用してしまうのには、このような理由もあるのではないか、ということは理解できる。

「部下たちを野放しにしたら、何をしでかすかわからない」

そのような恐怖心は僕にだってあるし、それは年々強まっているようにも思う。

そして、会社としても、その方がリスクヘッジできる、という考え方も理解できる。

ただ、それがあまりにも露骨になされると、職場の士気は低下する。

「常に上司に監視されている状態」というのは、どう贔屓目に見たとしても、健全とは言えない。

でも、そうしなければ、組織としてのリスクマネジメントはできない。

ならば、結果的に職場のモラールが低下するのはやむを得ない。

そんな風に思うのである。

僕の言うマネジメントはお花畑に過ぎない

モラルが高い人が集まれば、モラールが高い状態が維持される。

僕がやっている(目指している)マネジメントというのは、このような理想主義的な(お花畑的な)ものに過ぎないのかもしれない。

そこには「一定以上の倫理や道徳を備えた人がいる」というのが前提条件なので、それが担保されづらい現在のような状況では、僕が描くマネジメントは達成不可能なのではないか?

そんなことを思ったりもする。

現実はそんなに甘くない。わかっている。それでも。

部下を信じたいのはどのマネージャーだって同じだと思う。

「でも、それができないから煩悶しているんだろう?」

その声は、僕の心を確実に抉ってくる。

僕の考え方は、エリーティズムに過ぎない。

そうなのかもしれない。

現実はそうじゃない。

現実はそんなに甘くない。

そういう声もよくわかる。

実際に、モラルが低下し、モラールも低下しているのは、僕だって肌で感じている。

それでも、である。

旗を降ろしてはいけないんじゃないか。

訳知り顔の人は、皆一様に不幸そうだ

「現実を見ろよ」

大人たちは訳知り顔でそう言う。

でも、僕にはその訳知り顔の人たちが幸福そうには見えないのだ。

理想は理想に過ぎない。

社会全体の規範意識の低下に、一個人で抗うことは不可能。

それもそうだろう。

じゃあ、マイクロマネジメントでいいのか?

僕にはわからない。

でも、もう少しだけ抗ってみようと思っている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

社会的規範意識なんていうものは時代によって上下するものではなく、元々人間というのはその程度のモラルしか持っていないのだ(だから別に現状を嘆く必要はない)。

それもそうかなと思います。

ただ、たまたま僕の周囲だけかもしれませんが、そのように感じる機会が増えているような気がしています。

モラルの低下やそれに伴うモラールの低下に、マネージャーとしてできることはそう多くはないのかもしれません。

そして、そう思ってしまう所に、驕りや偉ぶりがないとも言い切れない(選民思想的な)のが苦しいところでもあります。

それでも、何とか、と僕は思っています。

引き続き読んで頂けたら幸いです。