時代と課長のミスマッチ

UnsplashChanhee Leeが撮影した写真

管理職は割に合わない

「管理職のなり手がいない」

「課長になった途端すぐ会社を辞めてしまった」

たまたま人事部の人と話をしていたら、そんな話題になった。

「そりゃそうだろうな」というのが僕の感想である。

僕だって管理職を降りられるなら、今すぐにでも降りたい、それが本音である。

もちろん、課長業は楽しいこともある。

でも、楽しくないことの方が圧倒的に多い。

それは1% vs 99%くらいに。

そんな姿を見ていたり、実際に自分が管理職になったりしたら、「これは割に合わないな…」と思う人が続出することはそうおかしなことではない。

そしてそれはたぶん時代とのミスマッチが大きく関係している。

今日はそんな話だ。

課長業とジョブ型雇用

ジョブ型雇用ということが最近よく言われる。

明確なジョブディスクリプション(職務記述書)に基づいて雇用が行われ、業務内容や責任の範囲などが明確に定められている、というのがその教科書的な定義である。

さて、これを管理職に当てはめてみる。

上手くいくと思いますか?

少なくとも僕は上手くいくはずがないと思っている。

それは、まず明確なジョブディスクリプションなんて定められないと思うからだ。

そして、業務範囲や責任の所在なんて、実際のところあってないようなものだと思うからである。

課長業の業務範囲=無限?

課長業の業務範囲とは?

責任の所在とは?

これは裏を返せば、管理職の業務範囲は無限と定める、というようなジョブディスクリプション(意味不明ではあるが)ができるような気もしてしまっている。

「何かコトが起きた時に対処するのがマネージャーの仕事である」というような。

でも、こんなのは当たり前の話であるが、職務の定義とは言えない。

じゃあ、逆に事細かに課長の仕事について職務定義を行ったとする。

そこから零れたものは誰が行うのか?

それが僕にはよくわからないのだ。

管理職の概念の変更が必要なのでは?

多くの人たち(特に若手)が管理職になりたがらないのは、その仕事の範囲が不明確(無限)であるからだ。

そしてその責任の範囲も無限であるからだ。

それなら、その成り手を増やしたいなら、その職務の範囲を有限にし、責任の範囲も有限にする必要がある。

でも、そうすると、今度はそこから零れる仕事が生じた時に、それを誰がやるのかという問題が生じる。

ジョブディスクリプションに基づけば、「それは私の仕事ではない」と言うのは、全く悪いことではない。

ただ、それは現在のような管理職の概念では不可能である。

となると、管理職の概念の変更が必要になる訳だ。

ここから今日のテーマである「時代」との整合性の話に繋がってくる。

過去と未来の間で

マネジメントという仕事において、現在は過去と未来の端境期である、と僕は思っている。

旧来の慣習が残存する中で、新しい概念を持った人たちにも対応しなければならないのが現代の管理職だ。

ただ、新しい概念の潮流を変えることは難しい。

それなら旧来の慣習を打破するしかない。

となると、管理職が何でもかんでも責任を負う、という考え方はもう変えなければならないのではないか?

そのような考え方が未だに残っているから、誰も管理職になりたがらないのではないか?

そんな風に思うのである。

間に落ちた仕事は誰がやるのか?

では、先述した、間に零れ落ちた仕事というのは誰が行うのか?

論理的には、間の左右に立つ両人が行うか、間に零れ落ちた仕事を専門にやる人が行う、しかないだろうと僕は思う。

そして間に零れ落ちた仕事を専門にやる人の中に、管理職を入れ込むということもあり得るとは思う。

でも、そうすると、また無限責任のループが始まってしまう。

つまるところ、管理職の成り手なんていなくなってしまう。

じゃあ、管理職なんて失くしてしまえば?

管理職がいなくても、ワークするような体制を作ればいいのでは?

と考えて、グーグルは管理職を全廃した。

その後1年で復活させた。

ということは、やっぱり管理職は必要なのだ、と考えたということである。

僕もその考え方には賛成だ。

管理職は必要である。

でも、究極的にはいらなくなるはずだとも思っている。

ただ、それは遠い未来の話だ。

管理職以外の業務領域を拡大しては?

では現在という時代の中で、管理職の成り手を増やすためにはどうしたらいいのか?

逆説的にはなるが、管理職以外の人の業務(責任)領域を拡大する、というのが現在のところの僕の考えである。

日本企業においては、家父長制(家族制)のような、チームビルディングが長く行われてきた(きている)。

それは長所でもあるけれど、そこにいる一般社員(子供たち)の無責任性という短所も孕むことになってしまった。

ジョブ型雇用を日本企業において現実的に行うなら、自分の仕事はもとより、隣接する仕事についても責任を負う、という職務定義は必要不可欠である、と僕は思う。

そうしないと「それは私の仕事ではない」という人ばかりになってしまうから。

そして、その分管理職をそのような人たちの導き手となるような仕事にシフトさせる(甘えた子供たちをモチベートする仕事ばかりでなく)。

そうすれば多少は管理職になりたいという人も増えるのでは?

僕はそんな風に思うのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

本文では上手く書けませんでしたが、「責任を取るのは管理職、それ以外の人は責任なし」という概念を変えなければ、ジョブ型雇用は成り立たないように僕は考えています。

これは多くの人の反発を買いそうですが、自身の仕事に対する責任を果たしていない人が多すぎる結果、そのシワ寄せが管理職に来ていて、それがあまりにも酷すぎるので誰も管理職になりたがらない、そんな風潮になっているように感じています。

自由と責任はニコイチで、自由だけを謳歌することはできません。

「それぞれが仕事に対して責任を負う、それがまず前提だよね」という考え方が広がらない限り、管理職なんて馬鹿馬鹿しくてやっていられません。

応分に負担を分散していきましょう。