仕事の形骸化を防ぐには?
日本的慣習
マネジメントという仕事をしていると、今日のタイトルでもある形骸化(本来の機能や意義を失って、形だけが残った状態)という問題に数多くぶち当たることになる。
これは日本社会の特徴と言えるのかもしれないけれど、「取り敢えずやることに意義がある」というか、「誰もそれを有用だとは思っていないけれど、やらないと怒られないからやる」というような仕事が物凄く多いような気がしている。
では、なぜそのような仕事が手つかずのまま残置されているのか?
誰もその責任を負いたくないから、である。
責任の所在を不明確にしておいて、面倒くさいことが自分に降りかからないようにして、取り敢えず目の前の日々を過ごしていくこと。
事を荒立てない。
前例踏襲。
実に日本的である。
ただ、これでは仕事が効率的になることはない。
今日はそんな環境の中で、どうやったら仕事を形骸化させないで済むか、形骸化してしまったものをどうするか、そんなことを書いていこうと思う。
意味がない? だったらやめなよ。
先に結論を書くと、「意味のないことはやめる」これに尽きる。
というか、論理的帰結として、これ以外の方法はない。
形骸化しているものを失くすには、それをやめるしかない。
ただその中で議論となるのは、「そうは言ってもやめられないから困っている」という部分だと思う。
「形骸化」という言葉が示しているように、誰もがその仕事を形だけのもの(中身のないもの)だという認識を既に持っているというのが今日の話の前提である。
意味があるかないか、それを議論しているようなフェーズではなく、それは意味がないものとして確定したものなのだ。
では、やめてしまえ、というのが僕からの提案である。
やめることと始めないこと
これは既存のものも、新規のものも同様である。
残置されている意味のない仕事はやめる。
意味のない仕事は新しく始めない。
これで身の回りから形骸化した仕事は激減するはずである。
なぜやめられないのか?
「いやいや、だから、そうは言ってもやめられないから困っているんですよ」
そういう声が聞こえてくる。
そういう方に逆に問いたい。
なぜやめられないのですか、と。
結局、責任を取りたくないだけだろ?
それが社内における絶対的なルールならいざ知らず、僕が出会う多くの形骸化仕事というのは、そこまで明確なルールに基づいて運営されていないものが殆どである。
前の課長がそうやっていたからとか、誰が始めたかわからないけれどウチではそうなっているからとか、そんな程度の理由で続けられていることばかりである。
さて、仮にこのような理由によって形骸化した仕事が残存しているとするなら、それをやめられない理由は、それをやめることによる非難を自分が浴びたくないからなのではないか?
言い方はややキツくなるが、そう思ってしまうのである。
取り敢えずやめてみる
ではもう少しマイルドにして、やめにくいものをやめる為にはどうしたらいいのかについて以下に書いていく。
それは「取り敢えずやめてみます」という言葉を添える、ということである。
更に付け加えるなら、「問題が起きたら元に戻します」と宣言する、ということである。
要は、1週間なり期間を限定して、「お試し期間」として、形骸化している仕事をやめてみるのである。
仕事がなくなることに恐怖を覚える人が、怒りという形で表現してくる
これによって、色々な問題が起きる場合とそうでない場合がある。
そうでない場合については言うまでもない。
そのままやめてしまえばいい。
ただ、問題が起きた場合には、その問題の中身について吟味する必要がある。
僕の経験上、ここで起きる問題の多くは、「その仕事が本当は必要であった」ということではなくて、「その仕事がなくなることに恐怖を覚える人が反発する」というものである。
どんなにしょうもない仕事でも、それを継続的にやってきた人からすれば、自分の立場が脅かされるように感じるようである。
その恐怖が怒りという形を伴って、「あの仕事は必要だ!」という言葉に転化する。
その怒りの矛先がマネージャーに向いてくる場合もある。
これが嫌だから、多くのマネージャー達は、形骸化している仕事を無駄だと思いながらも、事を荒立てると面倒だから、そのままにしているのだと思う。
当事者以外の反応を見極めて判断する
では、こうなった場合にはどうしたらいいのか?
その人(当事者)以外の反応を見て判断する、ということをお勧めしたい。
人間には慣性の法則がある。
昨日までと同じ行動を繰り返すことに快の感情を覚えるのが人間という生き物である。
裏を返せば、昨日と違うことが起きると、人間は不快になる。
ただその直接の当事者ではない人からすれば、まるで洗脳が解けたかのように、「あの仕事なんでやっていたのだろう」という感情が生まれてくる。
その数が一定数いるのであれば、仮に怒りの矛先がマネージャーに向いてきたとしても、そのまま思い切ってやめてしまえばいい。
直接的な支援とまではいかなくても、じわじわとした支援がそこにはあるので、怒りを覚えていた当事者も劣勢を悟り、だんだんと沈静化していくことが多いからだ。
また、そうではなく、他のメンバーからもあまり賛同が得られないのであれば、形骸化した仕事をそのままにしておく(やめたものを元に戻す)、という選択肢もあり得る。
全部を一気にやる必要はないからだ。
減らせるものからまず減らす。
そしてまた機を待つ。
そんなスタンスも重要である。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
物事をシンプルに考えると、敵が生まれる。
これは僕が社会人となってからずっと思っていることです。
なぜかわからないのですが、「それを言ったらおしまいよ」的な受け止め方をされたり、「そんなに簡単じゃないんだよ」という訳知り顔をされたり、日本社会は複雑なのだからお前みたいな何も知らない若造は黙ってろよ、という方向に進むことがとても多いです。
でも、そう言っている当人達も、それが意味のない仕事だと思っている。
非効率だと嘆いている。
んなもの、やめちまえよ。
僕は二枚舌というか、調子いいというか、風見鶏というか、そういう人たちが嫌いです。
非効率なものをやめないなら、その非効率さに文句を言ったりせず、抱きしめろよ。
リスクも取らないのに、リターンだけ得ようとするなよ。
こういう人たちに限って、いざその無駄な仕事をやめて、その恩恵を得られるようになると、さも自分の手柄のように吹聴するから余計にタチが悪い。
大抵の仕事はやめてしまって支障はありません。
どんどん形骸化仕事をなくしていきましょう。