全員を同じ方向に向かせようとすることにはデメリットもある

UnsplashTim Mossholderが撮影した写真

マネージャーの仕事は部下を同じ方向に向かせること?

マネジメントに関する本を読んでいると、「課長の役割は、課のメンバーを同じ方向に向けさせることだ」と書いてあるものに出会うことがある。

要は、課長というのは会社側のメッセージを部下に適切に伝える役割を担っており、会社が進もうとしている方向に皆をきちんと向かわせることが大事である、というようなメッセージのことである。

これを読んでどう思うだろうか?

僕の場合は、「ふーん…、まあ言わんとしていることはわからなくはないけれど…」という感じである。

会社が小さく(部下の数も少なく)、ある程度の方向性が似通っていたり、熱量が均一であったりすれば(例えばスタートアップやそれに近いベンチャー的な企業)、このような方向性は理解できるけれど、それなりの規模の会社で(部下の数も多く)、中途の社員もそれなりにいて、年齢層もバラバラである場合、必ずしもそうではないのではないか、と僕は思ってしまう。

というのも、会社の方針に全肯定をしてしまうということは、そこからの逸脱を許さない、余白を生まない(生むことを否定する)ことに繋がるからである。

もう少し平たく言うのであれば、会社の方針が自分の考えや時流に合っていればいいけれど、そうじゃない場合にはどうするのですか、と僕は思ってしまう。

それでも、会社の言うとおりに動くのが、そして部下を動かすのが、管理職の仕事だと言えるのだろうか?

今日はそんなことを書いていく。

会社の言うことをただ繰り返すだけの九官鳥に存在意義はない

課長にだって自我はある。

ロボットではない。

でも、マネジメントに関するアドバイスの中には、それをできるだけ消去しなさい、と言っているようなものがある。

もちろん、言わんとしていることはわからなくはない。

思春期の少年のように、何から何まで自分のやりたいことをやろうとすること、そうでないものには間違っていると言うことは、大人の作法として適切であるとは到底言えないから。

でも、マネージャーが完全に自我を消し去ってしまって、自分の意見すら表明しなくなるようでは、チームは成り立たなくなってしまう。

というのは、マネージャーがそこにいる意味がなくなってしまうからだ。

受動的なチームを作りたいならどうぞご勝手に

ただ会社の方針を伝えるだけの人物はいらない。

それもそこに何らかのエッセンスを加えられず、ただ同じ方向に向けさせようとするのであれば、そのチームは自分の意見を表明することを極端に恐れる(もしくは無関心な)チームになるだろう。

当然ながら、こういったチームは成果も出ない。

では、そうならない為にはどうしたらいいのだろうか?

主語を明確にして話す

僕はいつもマネージャーの初心者に対して、「できるだけ主語を明確にして話すようにしなさい」ということを言っている。

それは言葉の責任の所在を明らかにする為である。

会社の方針自分の考えを分けて話す癖を付けること。

それはマネジメントという仕事をやる上で非常に大事なことである。

そして、今日のテーマに合わせて言うなら、会社の方針と自分の考えが近いものであれば会社の方針通りにチームを動かせばいいし、そうでないのであれば、自分の意見を表明した上で部下に任せる、というのもアリだと僕は思っている。

これは聞く人によっては、マネージャー失格だ、と思われるのかもしれない。

マネージャーというのは、あくまでも会社の方針を伝え、その通りに動かすのが仕事だと思っている人はあまりにも多いから。

でも、本当にそうなのだろうか?

アンチ均一化

ここでいつも僕が思うのは、生物の多様性についてである。

僕は生物学が好きで、それも進化論めいた話が好きで、何らかのイベント(例えば氷河期)が起きた時にある生物は死滅するけれど、そこに適応した生物は生き残り繫栄する、というようなことを、マネジメントという仕事においても考えてしまうのだ。

兎角現代は「コスパ」「タイパ」の思想が強い。

一気呵成に、最短距離を最高速度で駆け抜けることを至上の価値と定めている。

その為には均一で、同質的な考えを持った集団の方が望ましい。

そんなように僕には思える時がある。

でも、当然ながら同質な集団は、ある一方向からの出来事に極端に弱くもなってしまう。

例えばビジネス環境が激変した場合、全滅することになってしまう。

「それってどうなのか?」というのが今日の話である。

個性的な部下ばかりだとマネジメントの難易度は上がる

メンバー個々人が様々な考え方を持って、色々な行動をとっていた方が、リスクヘッジはできる。

もちろん効率性は下がる。

そしてマネジメントの難易度も上がる。

個性がそのままの状態で残るから。

でも、それこそがマネジメントなのではないか?

僕はそんな風に思うのだ。

旗色が悪くなっても逃げんなよ?

日本は同調圧力が非常に強い。

ましてや会社という組織ともなると、そればかりである。

ただ、それは一方で弱さも内包することは、頭の片隅に入れておいて損はないと僕は思っている。

良い時は良いけれど、旗色が悪くなると逃げる人ばかりだから。

そこで生き残る為には、部下の多様性が必要不可欠なのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

鬼畜米英と叫んでいた人達の親米化。

僕は現代においてもこのような傾向は変わっていないのだな、と思うことがあります。

昨日まで主張していたことをあっさり翻しても何の良心の呵責も感じない人達。

都合良く自分の思想すら変えられる素晴らしき図々しさ。

僕はそうはなりたくない。

だから、そうならないようにヘッジをしておきたい。

多様性の尊重は、キレイゴトを言いたいからではなく、その方が進化論的に優れているからです。

思想統制や近親相姦を排し、ぐちゃぐちゃとした遺伝子の混沌状態を楽しんでいきましょう。