事実と解釈と意見

UnsplashAgence Ollowebが撮影した写真

どれが事実で、解釈で、意見?

社会人の基本のキだとは思うけれど、なかなかできていないことの1つに、「事実と解釈と意見を分けて話をする」ということがある。

これは新入社員に限らず、どの職階の人でもできている人は少ない。

もちろんマネージャーも例外ではない。

裏を返せば、これができるようになれば、その辺のマネージャー達より一歩抜きんでることができるという訳だ。

特にマネージャーという仕事においては、それもミドルマネージャーという仕事においては、部下からの報告が事実・解釈・意見のどれに該当するのかをきちんと見極め、かつそれを分類しながら自分の上司に対して適切に報告することが期待されている。

ただ、一方で、いくら部下にこれらを分けて報告するようにと説いたところで、それがすぐにできるようにはならないのが現実である。

さて、これらを見極める為にはどうしたらいいのだろうか?

そして、それらを適切に報告する為にはどうしたらいいのだろうか?

今日はそんなことを書いていく。

事実に着目する

結論から言うと(というか言わずもがなではあるけれど)、事実に着目する、ということが非常に大事である。

というか、解釈や意見をできるだけ排除する、というように言い換えた方が適切かもしれない。

というのも、多くの人は解釈や意見こそが大切なのだと勘違いしているからである。

もう少し表現を変えるなら、勘違いというよりも、その事象に対してどのような解釈があるか、意見を持っているかを表明したいという欲が溢れ出てしまうのが人間という生き物である、という捉え方をした方が適切かもしれない。

皆意見を言うのが大好き

これは何事につけても意見を言いたがる、というところによく表れている。

ネットに接続すれば、多種多様な人が多種多様な意見を述べていることが一目でわかる(僕もその1人だ)。

それくらい皆自分の意見を言うのが大好きなのだ。

そしてそれを肯定してもらうことが大好きなのである。

それはある種の存在証明と言ってもいいかもしれない。

人が一番嫌がるのは(嫌われることではなく)無視である、というのはよく言われることで、自分がそこに存在することを手っ取り早く表明する為には、なにがしかの意見を述べればいい。

ただ、マネジメントという仕事においては、解釈や意見は邪魔にすらなり得る。

そのような人間の特性を把握しながら、でもあまり硬質になり過ぎずに事実を捉えるよう心掛ける。

これが非常に大事である。

解釈と意見を分けて報告する

もう少し議論を進める。

以上は、部下からの報告に対するスタンスであった。

では、それを今度は自分の上司に報告する際にはどうしたらいいのだろうか?

事実だけを述べる、というのは、間違っているとは言えないまでも、やや物足りないというのが僕の印象である。

担当者レベルであれば事実だけ述べればまあ合格と言える。

でも、マネージャーレベルではもう一歩欲しい。

そこで重要となるのが、解釈と意見を分けて報告する、ということである。

客観性と主観性

解釈と意見。

僕の中では、解釈というのはある程度の客観性が担保されているもの意見というのは主観性が大半を占めるもの、というようにこれらを分けて考えている。

ある事実があって、それは自分以外の他者(もしかしたら大多数)においては、このように捉えられるはずだ、というのが解釈である。

一方、たとえ他者(もしかしたら大多数)がそのように解釈するとしても、自分はこう思うということを述べるのが意見である。

これを適切に分けて報告することを意識する。

「このような事象が起こりました(事実)。これは一般的にはこのように考えられます(解釈)。ただ(その為)、私はこのようにした方が良いと考えます(意見)」

この3つが混在しないように、きちんと相手が理解できるように話すことを心掛ける。

解釈を飛ばす人は結構多い

というのも、僕の感覚では、事実から意見へ一足飛びで行ってしまう(解釈を飛ばしてしまう)人が結構な割合でいるからである。

もちろん、自分の意見を述べることは必ずしも悪いことではない。

でも、マネージャーという立場にいる人間には、ある種の客観性が求められる。

例えば法的にはこうなっているとか、社則においてはこうなっているとか、といったベースの考え方(決まり)がまずあり、その上に、法(社則)解釈がある。

その上に意見が来る。

これを履き違えてしまうと、「事実はこうです。私はこう思います」というやや間の抜けたものになってしまうのだ。

で、あなたはどう考えるの?

もちろん、事実と解釈だけを述べるのもNGだ。

これでは、ただの無責任な人になってしまう。

「事実はこうです。一般的にはこう考えられます」ということを報告されても、「で、あなたはどう考えるの?」となってしまうからである。

主語を明確にして話す

いつも言うように、大事なことは主語を明確に話すことである。

兎角日本においては、主語を使わず、責任の所在を不明確にすることが多い。

でも、それではそれが事実なのか、解釈なのか、意見なのかがわからなく(混在したものに)なってしまう。

そういう意味では、意見を言う際には主語を明確にしましょう、という至極当たり前の結論になってしまうのだけれど、それができるか否かで、(ミドル)マネージャーとしての信頼度は大きく変わってくる。

部下にもそれを意識させると、より良いチームが出来てくると思う。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

今日の話に即して言うなら、マネジメントの仕事は事実と解釈を言うことだけではない、ということになるかもしれません。

多くのマネージャーは事実と解釈を言い、意見を言わないことを正しいことだと思っています。

それは違う。

解釈を飛ばして意見を言うことは間違っていますが、解釈を経て意見を言うことは(中間)管理職でも必要なことです。

というか、それができなければ、そこにあなたがいる意味はなくなってしまう。

自我を失わず、良いマネジメントをする方法はいくらでもあります。

きちんとした手順を踏んで意見を言っていきましょう。