悪気がない場合も多い(からあんまり反応しない)

UnsplashErica Leongが撮影した写真

多くの部下はそこまで深く考えていない

部下の何気ない行動・言動、それにイライラしていませんか?

僕はしていた。

というか、現在でもしている。

ただ、以前に比べればその頻度は減少し、イライラの度合いも小さくなったように思う。

それはなぜか?

そのようなイライラを生じさせる行動・言動は、悪気がない場合も多いのだな、ということに気が付いたからである。

以前の僕は、このような言動・行動があるたびに、その裏にある意味(真意)みたいなものを感じ、それに対して苛立っていたように思う。

でも、多くの部下はそこまで考えていない。

というか、考えていないというように(こちら側が)考えた方が精神衛生上良い。

今日はそんな話である。

黙ってやれよ!

売り言葉に買い言葉、とまでは言わないけれど、何かにつけて反抗的な部下はいる。

反抗的、というと言葉は強いかもしれない。

批判的というか、素直に受け取らないというか、とにかくスッと指示が通らない人はそれなりの割合で存在する。

これをやって欲しい、という仕事の依頼に対して、いつまでもやらなかったり、やるとしても文句が多かったり、そういう部下は一定数存在する。

その度に「いいから黙ってやれよ!」と思ったりもする(もちろん言いはしない)。

特に自分が若い頃というのはこの傾向がより強かったように思う。

でも、何年もマネージャーをやってきて、色々な部下とそれなりの時間を共にするにつれて、「必ずしも反抗しようとしている訳ではないのだな」ということがとわかってきてから、あまりイライラしないようになってきた。

以下、もう少し詳しく書いていく。

不満の矛先はマネージャーではないことが多い

先程の例で言うと、こちら側からの指示に対して、不平や不満を表明する(言葉・態度等)部下が一定数いることは、以前も今もそんなに変わらない。

でも、僕が気づいたのは、その不平や不満の矛先は必ずしも僕ではない、ということである。

というか、殆どの場合は僕にその矢印は向いていない。

ただ単純に面倒くさかったり、能力がなくてできなかったり、気分が乗らなかったり、するだけなのである。

それが言葉や行動として漏れ出てしまう。

必ずしも悪気がある訳ではないのだ。

それに気づいてから、このような部下の行動(言動)に対して、ほとんど反応することはなくなった。

気にならないと言えば嘘になるけれど、少なくとも以前のようにイライラすることはなくなった。

結果として、安定したマネジメントを行えるようになっている。

それが今日の話である。

メンタルコントロールの一種

たくさんの部下と一緒に仕事をする中で、それも能力が高いとは言えない部下と仕事をする中で、僕は様々な妥協をすることを体得してきた。

妥協、というと言葉は悪いかもしれない。

僕なりのメンタルコントロールの手法を身に付けてきた。

それは以前にも書いたように、「キレることによるダメージの大きさ」を実感し、それをいかにして回避するか、ということを考えるようになったからである。

でも、僕も人間なので、どうやったってイライラすることはある。

ただ、それを仕組みとして避ける方法は存在する。

その1つが今回のテーマでもある「悪気はないと考えるようにする」ということである。

実際に悪気があるかどうかはあまり関係がない

これはぶっちゃけて言うのであれば、実際に悪気があるかないかはあまり関係がない、ということでもある。

悪気があっても気づかないようにする、というような言い方さえできなくもない。

何というか、いちいちそこに拘っていては話が進まないように僕は思うのである。

器が小さい僕なりの対処方法

僕が受け持つ部下の大半は、僕が求める水準には到底至っていない。

それはある種不遜な考え方ではある。

でも、そのように考える自分自身を変えることはなかなか難しい。

何度もそう思わないようにしようとトライはしたけれど、器の小さな僕にはそれは不可能であったことも事実で、だったら、そんな僕でもそう見えないように振舞うためにはどうしたらいいのか、ということを考えるようにだんだんとなっていった。

それはある種の演技である、とも言える。

感覚の鈍麻、と言い換えてもいいのかもしれない。

もちろん、ありのままの自分、人間性がきちんとしている理想的な自分であれば、そんなことは考えなくてもいいのだろう。

でも、僕には無理だ。

ただ、そんなことを言っていても仕事は同じようにしなければならない。

だったら、あまり気にしないように考えた方が得策なのではないか?

それが僕の現在の境地である。

悪気があったら、きっともっと仕事ができているはず

そしてそれは必ずしも自分だけがそう考えようとしている訳ではない。

実際に悪気がない場合も本当に多いのである。

表現が難しいし厳しい言い方にはなるが、自分の言動や行動が周囲にどのような影響を及ぼす(可能性がある)のかを感じ取ることができないから、その種の部下は仕事ができないと言われてしまうのだろう。

それを同次元で争っても仕方がない。

「ああ、またよくわからんこと言ってる」くらいに捉えておけばいい。

そうすれば、少しは働きやすくなるはずだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

僕はHSP的な傾向があるので、マネジメントという仕事は向いていないな、と思うことが(たくさん)あります。

あまりにも他人の一挙手一投足が気になり過ぎる。

そしてそこに込められている意味を必要以上に探し過ぎる。

そんな自分が嫌でたまらない。

でも、仕事はそこにあって、どんなに嫌でも僕は明日も仕事に行かなければなりません。

本文で書いたことは、僕なりのメンタルコントロールの手法(だいぶ不遜ではありますが…)です。

参考になるかわからないですが、引き続き読んで頂けたら幸いです。