人の気持ちは複雑だ

UnsplashEunice Lituañasが撮影した写真

一面的である方が成果が出るのか?

部下との関係は「普通」でいい。

僕はこのブログの初期からそうずっと言い続けている。

その背景にあるのは、人というのは多面性を持った生き物である、という人間観である。

ただ、それは特に会社という場においては露見しづらいものでもある。

兎角会社というものは、一面的であることを求めるから。

皆が同じ方向を向くこと、ある指示に対して「はい」か「Yes」で答えること、それを会社というものは求めている。

これは「お前の代わりなんていくらでもいる」という言葉にも象徴的に表れている。

我々は代替可能。

というか、代替可能である「べき」だという風潮。

そこに日本的同質圧力が加わってくる。

結果として、僕たちは能面のような顔をして、仕事に励むことになる。

会社においてはパーソナルな面など不要。

画一的な、無表情な顔で働くべし。

でも、それって本当にそうなのか?

そのような顔をした人たちが集まったチームで、高い成果なんて出すことができるのか?

今日はそんな話をしていく。

人間の複雑性への畏怖の念を忘れない

人間の部品化。

チャップリンの映画を思い出さなくても、大なり小なり資本主義社会(工業社会?)というのはそのような側面を持っているし、求めるものでもある。

そしてそれを取りまとめるのがマネージャーという仕事である、ということもセットで付いてくる。

それに対して、良いとか悪いとかそういうことではなくて、そういうものだ(デフォルト設定)という価値観を僕は持っている。

「組織が人間の画一化を求めるのは仕方がないことだ」

でも、だからと言って、それが最上の方法なのかと問われたら、僕はそうでもないのではないか、とは答えたいと思う。

資本主義社会というのは、生産性を向上させ続けることを求める仕組みである。

今日よりも明日の方が社会は発展していくし、発展していくべきだ、という思想。

それについては僕も賛成である。

ただ同じように生産性を向上させるのでも、より高く生産性を発展させるような方法はあるし、それは必ずしも画一的管理ではないのではないか、と僕は思っている。

従来のように(例えば日本においては昭和時代のように)、画一的な叶えたい欲望があって(金・名誉・異性)、それを皆が追い求めていくそれをマネージャーはただ煽っていればいい、というようなマネジメント手法は、現在ではもう通用しない。

一方、人の心の奥底まで理解し、その感情に寄り添い、パーソナライズされたマネジメントこそ必要だ、とまでも思えない。

ある程度の距離感(普通の距離感)の中で、でも、人間というのは画一的な存在ではなく、それぞれの感情や思想を持った生き物である、そしてそれは上司である自分と異なって当たり前である、という人間観を基にしたマネジメント。

人間の複雑性に対する畏怖の感情を忘れずにおくこと。

それが現代のマネジメントには必要であるような気がしている。

みんななぜそこまで感情を押し殺すのか?

僕は長年マネジメントという仕事をしてきて、たくさんの部下と接してきて、殆どの部下が抑制的であることに、感心したり、驚愕したりしてきた。

それは僕がどちらかというと(どちらかと言わなくても)、感情を出すタイプの人間であることが関係している。

「なんでそこまで感情を押し殺すのか?」

僕が部下と仕事をしてきて思うのはそのようなことである。

そして付け加えるなら、そこからの感情の反動は僕のそれよりも圧倒的に大きい。

僕の感情の振れ幅よりも、部下の振れ幅の方が圧倒的に大きく、そのギャップに度々驚かされたものである。

そのような経験を経て思うのは、本当に人間というのは複雑で、よくわからない生き物である、ということである。

だから、そのような人間と仕事をするマネージャーにおいては、あまり一面的な対応はしない方が良いのではないかと僕は考えている。

それは部下に想像しているよりも黒い感情があったりして、その矛先が自分に向いてくることを避ける為でもある。

角を削り過ぎない

部下との距離感を詰めることは無条件で良いことだ、というような風潮。

僕はそれに違和感を持ってずっと仕事をしてきた。

そして今思うのは、その違和感は間違っていなかったのだな、ということである。

当たり前の話だけれど、部下は人間であり、それぞれが異なる感情を持ち、様々な表情を見せる。

僕らが知り得るのは、そのごく僅か一部であり、そこにあまり強い感情を持って臨まない方がいい。

別の側面において、手痛い一撃を食らうことがあるから。

だったら、「普通の関係性」の中で、少しでも感情を出せるような環境を作りながら、それぞれの特徴や個性を活かしていく(でもあまり踏み込み過ぎないようにする)、という方がチームの幅は広がっていくし、その幅の広がりはビジネスの広がりにも繋がるように僕は考えている。

それぞれの興味や関心を会社が求めるような画一的なものにするのではなく、ある程度尖りを持った状態をキープすること。

それが現代のマネジメントには必要なのだ、きっと。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

複雑性のマネジメント。

これは難易度が高い。

そして、それを毛嫌いする人もとても多いです。

「マネジメントとは画一性を高める行為である」と心から信じている人達と、僕はいい仕事ができるとは思えません。

人間の複雑な部分を面倒くさいと思いながらも、そこに慈しみのようなものを感じられた時、マネジメントというのはその可能性を大きく広げる。

僕はそんなイメージを持ちながら仕事をしています。

変な人間たちの特異性を面白がっていきましょう。