他者満よりも自己満を
コントロール不能のものをコントロールしようとすることの無意味さ
マネージャーとして部下を動かす際に、「人に喜ばれるような仕事をしよう」という言葉を使う人がそれなりに多くいる。
言っていることはその通りだと思う。
でも、何というかキレイゴト過ぎるし、不遜だなあと思ってしまう。
人に喜ばれるかどうかなんてものは結果でしかなくて、それを目標に仕事をするというのは、コントロール不可能なものをコントロールしようとするような感じがして、僕は心から「そうですね!」とは思えないのである。
こちらが喜ぶと思ってしたことであっても、実際に喜ぶかどうかの主導権は他者にある。
だったら、まずは自分が納得できるような仕事を目指し、結果として他者が喜んでくれるならラッキー、くらいの感覚で仕事をした方が良いのではないか。
今日はそんな話である。
自己満足は悪いこと?
自己満足は否定されがち。
マネジメントという仕事に限らず、「それって自己満じゃん?」と言われることは非常に多い。
でも、自己満足なくして他者満足なんてあり得るかい?
僕はそんなことを思ってしまうのである。
自分の快楽の為だけに仕事をするのは違うけれど
もちろん、これは程度問題であって、「オレがオレが」と自己を前面に出して、その目的だけの為に仕事をすればいい、というのとは大きく異なる。
自分の快楽の為だけに仕事をしなさい、ということではない。
ただ、自己を置いてけぼりにして、他者の為に仕事をする(しよう)というのは何となく違うような気がするのだ。
相手が喜ぶと思っているものは遅すぎるし、ピントもズレている
これは営業の世界で言う、「顧客の欲しいものを売ってはいけない」という意味合いに近いかもしれない(またフォードやジョブズが言ったことに近いとも言えなくもない)。
相手から出るニーズというのは、既に表に出てしまっているものであって、半歩ないし1歩(いやもっと?)遅れたものである。
それも今回の話に置き換えるなら、「相手が喜ぶと自分が(勝手に)思っているもの」というバイアスが更にかかることになる。
結果として、何だかピントがズレたものを目標に仕事をする、ということになってしまう。
ましてや、それを部下にけしかけ、働く目的にしてしまうというのはいかがなものだろうか。
「それこそ自己満足なんじゃないの?」
そう僕は思ってしまうのである。
情緒面で釣ろうとする気持ちはわからなくはないが…
部下を動機付けすること、仕事に対して前のめりにさせることは、以前の時代に比べて格段に難しくなっている。
というのも(いつも言う話で恐縮であるが)、国民皆が願うような欲望の対象(金・名誉・異性等)が、なくなった(薄くなった)からである。
以前であれば、「ここで頑張れば出世するから!」とか「給料が上がるから!」というような発破掛けが通用したのだろうけれど、現代ではそれは通用しない。
「なにそれおいしいの?」で終わってしまう。
そんな時に、「他者に喜ばれるから」という情緒面での動機付けを行いたくなる気持ちはわからなくもない。
実際に仕事をしている中で、それが動機となることが少なくないことも事実である。
でも、である。
それだけでは本当の力は出ない。
何というか、空疎なものになってしまう。
自己肯定感
これは現代風に言うなら、「self-esteem(自己肯定感)」の概念にも繋がってくる。
自己の確立がなくして、他者の満足はありえない。
でも、そればかりが先行している。
そんな印象を受けるのだ。
動機なんて自分で見つけるもの
いや、そもそも、マネージャーが部下を動機付けしようとしていること自体が間違っているのかもしれない。
動機なんてものは自分で見つけるしかない。
それが見つからないの(見つけられないの)は、甘えですらある。
というか、マネージャー自身だって動機がない中で、何とか動機を見つけながら仕事をしているのが現実なのだ。
「ブルシットジョブ」ばかりの時代の中で、自分が仕事をする目的を見つけるのはとても難しいことである。
それを容易に他者に見つけてもらおうなんていう魂胆自体が誤っているのだろう。
自分が面白ければ良くね?
でも、それは本質的過ぎて、現実のマネジメントという仕事においてはやや高尚過ぎるのもまた事実である。
そんなことを言っていたって、部下はやる気のない状態で仕事に来るし、我々はそのやる気のない部下と毎日仕事をしなければならない、というのは変わらないから。
だったら、あまり面倒くさいことは考えずに、自分が面白いと思えるような仕事をしてみたら?
それが僕からの提案である。
自己がいい仕事をしたというある種の勘違いは自分にエネルギーを与える
「いい仕事をしましょう」という僕のブログの締めの言葉。
こんなものは自己満足でしかない。
いい仕事かどうかというのは考量できるものではないし、比較してどうこう言うものでもない。
でも、たとえ誰に理解されなくても、それが必ずしも他者の満足に繋がらなくても、自分がいい仕事をしたというある種の勘違いは、その後のキャリアにおいて自分を動かすエネルギーになる。
そして何よりも、自己肯定感に繋がってくる。
自己を通じて他者へ
兎角日本では、他者を基準に物事を判断しがちである。
そのような相対評価(相対主義)には良い面がないとは言えないけれど、もう少しその度合いを減らしてもいいのではないか、と僕は思っている。
それができるようになった時、マネジメントという他者と交わる仕事、他者によって成果が変わってくる仕事の意味合いが変わってくるはずだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
マネジメントとは、「あなたがそこにいてくれるだけで嬉しい」ということをいかにして伝えるか、という仕事なのではないか、と思う時があります。
これは逆側から考えると、いかに自分がそこにいることを祝福されていないか、という現状を炙り出しているのかもしれません。
みな一様に自己肯定感が低い。
そして、遠くばかりを見ている。
非現実的な理想像にばかり囚われている。
もっと足元を見ようぜ?
目の前の仕事を誠実に行おうぜ?
他者の満足なんてものは後から勝手についてくるもので、そんなものに囚われるなんて馬鹿らしい、と僕は思ってしまいます。
自分の「快」の感情を大切に、仕事をしていきましょう。