人間は面倒くさい

UnsplashRyoji Iwataが撮影した写真

ドライなマネジメント

元々人間不信だった僕は、管理職になって余計にその度合いを深めることになった。

それくらい人間というのは面倒くさい生き物である。

ましてや、それが複数人集まると、その面倒くささは等比級数的に増していく。

その中でマネージャーというのは仕事をしなければならない(皆さま本当にお疲れ様です)。

8年以上マネジメントという仕事を(それも日本という国の中で)やってきて僕が思うのは、「ドライで全然OK!」ということである。

というか、その方がマネジメントは上手くいく。

もちろん、ドライなマネジメントというのは失うものもあって、ドラマにあるような濃密な人間関係を期待する人には物足りない部分もあるだろう。

でも、仮にそのようなものを期待していたとしても、あまり立ち入らない方が賢明である。

だって人間は面倒くさいから。

今日はそんな話である。

表面上の仲の良さ

前提として、(日本という国においては)マネージャーは部下と距離を縮めた方が良い、仲良くなればなるほど仕事が上手くいく、という考え方を持っている人が多いと僕は感じている。

いや、これはマネージャーと部下という関係性だけの話ではないのかもしれない。

職場では皆和気あいあいと仕事をすべきだ(仕事をする方が望ましい)、と考えている人は本当に多い。

これはもう世代を問わず。

「いやいや、若者はドライでしょう?」

そうお感じになるあなたはまだまだマネジメント成分が不足している。

若者だって、皆仲良く仕事をした方が良いと考えているのだ。

でも、では実際に仲が良いかというと、全然そんなことはない。

表面上は仲良く装っているけれど、裏側では罵詈雑言の嵐、妬み嫉みのオンパレード、そんな感じである。

僕はここにずっと違和感を覚えている。

だったら、その「フリ」やめたら?

そう思うのだ。

仲が悪くて何が悪い?

マネージャーになって面倒だなと思う仕事の1つに、上記のような人間関係の縺れ(もつれ)を解消(緩和)しなければならない、ということがある。

例えば部下Aと部下Bが対立して、その仲裁に入らなければならない、そんな仕事である。

それも結構な頻度でこのような仕事がある。

その度に僕が思うのは、「別に仲が悪くてもいいんじゃね?」ということである。

もちろん、程度問題ではある。

あまりにも酷い場合には、それは解消すべきであるとは思う。

でも、僕が経験してきたこの仲裁仕事の殆どは、職場においては万人が仲良くしなければならないという思想が前提にあることによって引き起こされているような気がするのだ。

もう少し角度を変えて言うと、人間同士の距離間がバグっているから、そのような問題が引き起こされているのではないか、と思うのである。

仲が良いんだよね? だったら陰口ばっか言うなよ。

ここには昭和的人間観が残存していることがきっと関係している。

日本においては、会社というのは疑似家族のようなもので、そのような拡大家族制が社会の安定を担ってきたことは事実だろう。

でも、一方で、会社が人生の大半を占めるというか、職場における人間関係がプライベートにも大きく影響する、というようなデメリットも生むことになった。

最近また社内運動会や社内旅行が復活しているようだけれど、きっとそれは上記のようなイメージからの流れなのだろう(いや、もしかしたら、「心理的安全性」という概念の履き違えから生じているのかもしれない)。

確かに、それによって本当に仲が深まるならそれに越したことはない。

大いにやればいいと思う。

でも、僕が日々部下や同僚、上司から聞くのは、同じ職場で働いている人たちの悪口である。

このギャップ。

これに本当にウンザリしているのだ。

たまたまの偶然に、そんな大層なものを求めなくてもいいのでは?

僕には「人間不信」という状態がデフォルト設定として定めてある。

だから、基本的に距離を詰めない。

仲が良くなる必要も、仲が悪くなる必要もない、と僕は考えている。

部下や同僚や上司は家族ではないし、友人でも恋人でもない。

ただ、たまたま何らかの偶然によって一緒に働くことになっただけの関係性である。

もちろん、その関係性が良いに越したことはないと僕ですら思う。

でも同時に、それは無理だよな、とも思う。

これだけ種々雑多な人が集まれば、そんなことは世界情勢を見るまでもなく明らかである。

だったら、距離詰めなければいいんじゃない?

それが僕がいつも思うことである。

下手に距離を詰めるから問題が起きる

職場には職場なりの人間関係の適正距離がある。

それを間違えているから、色々な面倒なことが巻き起こる(そしてマネージャーはそれに巻き込まれる)のだ。

そこには「人間は仲良くすべし」という思想が前提にあることが関係している。

それをやめたら?

「する」のではなく「なる」もの

いつも言うことだけれど、人間関係というのは、仲良く「する」のではなく、仲良く「なる」ものだ。

使役的に「する」ものではなく、勝手に「なる」ものなのである。

それを無理やり行おうとするから、その概念に囚われ過ぎているから、面倒なことになるのである。

クールに。

ドライに。

それだって、いい仕事はできますよ。

僕はそう思うのである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

日本人は個人主義。

僕は昔からそう思っています。

でも、同調圧力と空気によって、無理やり集団主義っぽく振舞っている(振舞わざるを得ない)。

それ、もう、やめませんか?

依存し合うことをやめ、評価軸を他人に任せることをやめたら、人生はもう少し楽になるはずです。

もちろんそこには成熟が必要になるのですが、そちらの困難性の方が僕はマシです。

ドライにクールにいきましょう。