ニュアンスを汲み取る力

UnsplashDaniele Levis Pelusiが撮影した写真

ニュアンスを汲み取れるか。再現できるか。

誰かから話を聞いて、それを別の誰かに伝える時に、当初の話に含まれているニュアンスを忠実に再現することができるか否か。

これがマネジメントの勝敗を分けるカギであるような気がしている。

ここには、話を聞く際にそのニュアンスを汲み取れるかということと、それを話す際に再現できるか、という2つの能力が求められることになる。

でも、まずはニュアンスを汲み取ることができなければ当然ながら再現はできない訳で、今日はその2つの能力の内、前者の能力に焦点を当てて話をしていこうと思う。

マネジメントが上手くいっていない、何だかしっくりこない、という方には参考になるかもしれないので、是非読んで頂きたい。

それでは始めていこう。

「傾聴」と「ニュアンスを汲み取る」

「傾聴力」みたいなことがビジネス界隈では言われることがある。

僕はこの種の言葉があまり好きではないけれど、今日の話というのは、そのような範疇の話であると言えなくもない。

でも、微妙に違うのは、「相手の話を熱心に聞く(傾聴する)」という言葉の中には、そこにあるニュアンスをどう汲み取るかという要素がやや薄いのではなかろうか、という部分である。

もう少し違う角度から言うなら、「傾聴する」というのは主体と客体というものがありありと意識されるが、「ニュアンスを汲み取る」というのは主体と客体の間に場を立ち上げる作業である、そんなイメージを僕は持っている。

確固たる者2人が、それぞれ向かい合って話をし、それを聞く、というのが傾聴。

そうではなく、もう少し輪郭が緩くなった者2人が、それぞれ話をすることで、その間に場(構築物)が生まれる、というのがニュアンスを汲み取る

そんなイメージである。

ニュアンスは脆く儚いもの

そして同時に僕が感じるのは、ニュアンスというのは脆く儚いものである、ということである。

それは傾聴することによって得られるような、確固たるもの(成果物)ではない。

もう少しふにゃふにゃとした、その場にいなければ全体像が掴めないような、危ういものである。

でも、その危うさの中にこそ、対話が行われた意味がある、というか。

大事なのは2人の間に場を形成すること

話をする、聞く、という行為は、言語をやり取りすることで意味を伝え合うものだ、と思っている人はとても多い。

いや、別にこれが間違っている、と言いたい訳ではない。

もちろん、それはそうなのだ。

ただ、そこで忘れてはならないのは、そこに当事者同士ではない、ある種の「場」が形成され、その場から生まれた「波動」みたいなものに非常に意味がある、ということである。

何だかスピリチュアル的な書き方になってきたのでもう少し修正すると、「あの人と話をすると何だか元気が出るな」とか「頭が整理されるな」という感想は、そこで行われた対話によって、両者の間に場が形成されたからこそなされるものである、と僕は思っている。

それが片一方にだけバランスが寄ってしまっていると、話す(聞く)方に重心が偏ってしまっていると、こういう風にはならないのである。

でも、多くの人たちは、その話す(聞く)というところに重点を置いているような気がする。

もちろん、(繰り返すが)それが大事でない、ということを主張したい訳ではない。

ただ、それだけでは足りないそこに生じる雰囲気みたいなものの中にこそ、その人が本当に伝えたかったことが立ち現れる、ということを忘れてはならないように思うのだ。

パソコンに匂いを保存するみたいな感じ

そして、ここにこそマネジメントが上手くいくか否か、という分水嶺がある。

結局のところ、マネジメントという仕事は、相手の話をどう聞くか、という所に収斂されるのではないかと最近の僕は思っている。

更に言うなら、相手の話をどう聞くか、というのは、そこに含まれたニュアンスをいかにそのままの状態で自分のメモリーに保存するか、ということに繋がってくる。

それは、パソコン内に匂いを保存するようなイメージに近い。

文字や音をパソコンに保存するだけでなく、そこに匂いをも含ませるような感覚(もしかしたら湿度みたいなものも)。

それが出来た時、マネジメントのレベルは数段階上がるのだ。

表現として表に出たものが、表現したかったものであるとは限らない

これをもう少し実践的な表現に直すなら、部下が発する言葉というのは、その部下が伝えたいことを十分に表現できるとは限らない、ということになるのかもしれない。

語彙やトーンなど、そもそもの表現能力が高くない場合も多い。

そんな中で何を伝えたいのか、それが字面通りのものなのかそうでないのか、ということをしっかりと理解していくこと。

そしてそれを相手の言葉ではなく、自分の言葉に置き換えた際にも、その純度が失われていないかを確認できること。

言語化する能力

「いや、そういうことを言いたかった訳じゃないんだけどなあ…」というような経験は、会社に勤めていれば誰しもあることだと思う。

このようなことをできるだけ減らしていくこと。

「あの人と話をすると、自分の言いたかったことがきちんと言語化される」というような感覚を与えていくこと。

それが本当のマネジメント力だと僕は思っている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

今回の話は大別すると、「言語化」ということなのだろうと思っています。

となると、マネジメントというのは言語化を意味しているとも言えるのかもしれません。

また、冒頭にニュアンスを汲み取れるかということと再現できるかということを書きましたが、結局のところこの2つは表裏一体である、とも言えます。

「筆舌に尽くしがたい」とか「言葉を失う」という表現を超えて、そういうものを何とか文字に写し取ろうとするその行為の中にこそ、人間性が立ち現れるのではないか。

それが対話という2人の人間の間で行われるなら、そこに場が立ち上がるのではないか。

そんなことを僕は考えています。

場を立ち上げられない人はとても多い。

でも、それでは対話が行われる意味がない。

対話はただの言葉のやり取りではありません。

(共同作業の結果として)そこに新しい構築物を作ることが大事なのです。

言語化され得ぬもの(ニュアンス)を何とか言語化していきましょう。