時には厳しいことも言わなくちゃならない

成果を上げ続ける為には厳しい言葉も必要だ

耳の痛い言葉は嫌われる。

でもここを避けて通ることはマネージャーには不可能だ。

僕だってできれば耳触りの良い言葉だけを言っていたい。

そしてみんな仲良く仕事をしていたい。

でもそれだけで成果を上げる(上げ続ける)ことは難しい。

マネージャーになってからつくづく思うことだけれど、強弱というか濃淡の付け方はチームの運営を行う上で非常に大事な要素だ。

甘いことばかり言っていると、チームにはだんだんと緊張感がなくなってくる。

リラックスした状態は良いと思うのだけれど、甘えというか弛緩した雰囲気が出てきたら要注意だ。

成果が出ていなくても「まあしょうがないよね」という言葉で終わってしまうような状態。

誰もそれに対して指摘したり、悔しく思ったりしないような、停滞した状態。

ある種抑揚がなく、淡々と日常が進んでいく。

これは避けなければならない。

嫌われ役を買って出る

ではどうするか?

マネージャーが嫌われ役を買って出るしかない。

もちろんタイミングや頻度がとても大事だし、前提としてマネージャーが部下から信頼されていなくてはならない。

信頼がない状態で厳しい言葉を言っても、「またなんか言ってる」「うるせえな」みたいな受け止められ方をしてしまうので、全く意味がない。

頻繁にやり過ぎると部下も聞き流すようになるので、「ここぞ」というタイミングで言うことが大事だ。

この匙加減は本当に難しい。

5年前の自分からすればだいぶ上手くなったとは思うけれど、今でもこれをどの場面で使うかは本当に迷う。

そしてそれが本当に正しかったのかはわからないままだ。

でも、と僕は思う。

これができなければマネージャーがいる意味などないのだ、と。

スマートなマネージャーとは?

何かと言えばパワハラと言われてしまう昨今の時代背景の下では、できるだけ穏便に仕事を進めていった方がリスクは少ない。

褒めて伸ばそう、みたいな風潮もそこには潜んでいるのだろう。

とにかく当たり障りのないように日々を「こなす」ことがマネージャーにとって有効な戦略となる。

その単調な日々の積み重ねが年度となり、「馬なり」の状態の成果で良しとする。

良し、というか、それ以上の成果を上げるのは事業環境(とかその他諸々の要因)により不可能だと弁明する。

それがマネージャーの上手な立ち回り方だ。

「いやいや、社長の仰ることはわかりますが、かくかくしかじかの状況ではこれが限界ですよ

これがスマートなマネージャーの姿だ。

激昂などもってのほかだ。

でもさ、と僕はまた思う。

それでいいんでしょうかね? と。

相手を信頼するかどうかは「コンテンツ」によって決まるものではない

上手く言えないのだけれど、「叱る」ことができない大人たちが増えてしまった、と僕は感じている。

もちろん理不尽に当たり散らすとか、意味不明なことで罵倒するとか、そんなものは論外だ。

でも真っ当なことを真っ当に指摘したり、相手との間合いを図りながら軌道を修正していく、というようなことすらできないマネージャーが多すぎるように思う。

もう少し強い言葉を使うのであれば、こういうマネージャーは根本の部分で人を信頼していないのだと思う。

人が相手を信頼に足る存在かどうかを判別するのは、話の内容ではなく、その話し方とか所作とか雰囲気とかそういうものによるのだと僕は思っている。

でもこういうマネージャーは相手を信頼するかどうかは話の内容(コンテンツ)だと思っているので、その話をできるだけマイルドなものにしようとする。

そのぬるい温度の言葉を言うことが場を収めたり、円滑に進める第一要素だと考えている。

だから話の内容に細心の注意を払う。

結果として、無味無臭のつまらない話しかできなくなる。

そしてチームは弛緩していく。

ヘラヘラ系マネージャーを解雇して、営業マンを2人雇おう

こういうヘラヘラ系マネージャーに率いられたチームは僕から言わせれば何の中身もない

ただの日々の羅列だ。

そんなもので満足できるのであればマネージャーなどいらない。

そんなコストなどなくしてしまえばよい(その分で営業マンを雇った方がよっぽど有用だ)。

ニュアンスが難しいのだけれど、「馬なり」で良いのであればマネージャーの仕事ほど簡単なものはない、と僕は考えている。

仕事の内容はリスク管理だけで良いからだ。

良いことも悪いこともできるだけ小さい形に収めていく。

成果が出ようが出まいが関係ない。

というか、運だけの世界でマネジメントを行っていく。

とても羨ましい

僕もこういう形で仕事がしたい。

いや、嘘をついた。

僕は絶対にこういう形で仕事をしたくない。

僕は適切にアクセルを踏みながらチームを運営していくことの難しさと、その面白さを同時に感じているから、こういう形では絶対に仕事をしたくない。

こういうスタイルを本当に毛嫌いしている。

安全地帯に身を置いて、リスクを取る者を嘲笑する。

自分の能力のなさを棚に上げて、不出来な状態を外部のせいにする。

なんという主体性のなさだ。

本当に反吐が出る。

でも世の中にはこういうマネージャーが溢れている。

厳しいことを言っても信頼されるマネージャーになろう

厳しいことを言うこと。

それは確かにリスクだ。

でも適切に行うことでチームは確実にステップアップする。

よく言われる例えだと思うけれど、部活でも習い事でも何か目標がないと上達は難しい。

そこにはある種の困難性が必要だし、厳しさが必要だ。

軍隊のようになるとそれは行き過ぎだけれど、強豪校はこういう緩急のバランスを絶妙に取ることで、文字通り強豪校となっている。

練習は厳しいし、苦しい。

でもそれがなければ充実感も生まれないのだ。

そしてそのバランスをどちらの軸に持っていくかはマネージャーが決めなくてはならない。

チームの状況をハンドリングしながら、前に進めていく。

挑発するような言動を敢えてとったりもする。

そういうスパイスがマネージャーには求められる。

言った後で後悔することだってあるけれど、それを言う訓練していかなければ良いチームなんて作れない。

そういう耳の痛いことを言っても、信頼されるのが真のマネージャーだろう?

程遠い現状にうんざりしながらも僕はそう考えている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

仕事の質というのは評価されにくいものです。

いい仕事をしたなあ、というのは究極的には自己満足に過ぎないのかもしれません。

利己的に考えるのであれば、程々の仕事をして、誰からも嫌われず、日々淡々と平穏にやり過ごしていく、というのはとてもコスパの高い戦略だと思います。

でも果たしてそれでいいのだろうか? という疑問から今回の文章を書いてみました。

給料に反映される訳でもないただのボランティア・ワーク

そんな日々を過ごしながら、数少ない理解者と仕事をしていきたいと僕は考えています。