仕事がないのが良い状態

Unsplashcharlesdeluvioが撮影した写真

どこかの時点でアタマの切り替えが必要

課長は暇そうでいい

僕がこのブログの初期から言っていることである。

そしてその思いは変わらない。

マネジメントというのは不思議な仕事で、自分のやっていることが上手くいけば行くほど、自分の仕事がなくなっていく、という傾向がある。

でも、プレイヤー時代の思考を続けていると、なかなか「自分に仕事がない=良いこと」だとは思えない。

だから、どこかの時点で、この思考の切り替えを行う必要がある。

そしてそれは自分だけでなく、会社全体、もしかしたら社会全体も考え方を改めなければならないのかもしれない。

ボーっとしていること、暇そうに見えることは、悪いことではない。

大事なのは、あくせく働いているように見せることではなく、少ない労働量で最大の効果を上げる為にはどうしたらよいのかを常に探し、実行し続けることである。

それでは始めていこう。

働かなくなった社会の到来

労働生産性。

日本はこの労働生産性が低いと言われ続けている。

そしてその原因(の大半)は長時間労働である、と。

確かに、「労働生産性=成果(生産量)/労働投入量」によって定義されているので、分母である労働投入量(労働時間)が増えれば、労働生産性は低下することとなる訳だ。

じゃあ、労働をもっと効率的に行おう、そうすれば労働生産性も上がるよね、というのが働き方改革であった。

でも、働き方改革は残念ながら効果を上げているとは言い難い。

というのも、その労力の大半が労働時間の削減(残業時間の削減)に注がれているからである。

たぶん会社としては、「生産性を上げる=残業時間(コスト)を削減する」という意味合いが結果的には強くなってしまった(成果を上げるよりも楽だし)のだろう。

結果生まれたのは、「働かなくなった社会」である。

これが望んでいた社会なんでしたっけ?

以前の日本は、働くことで、長時間働くことで、何とかその成果(生産量)を維持していた。

でも、それが働き方改革を通じて、段々と薄くなっていった。

効率を上げることなしに。

となると、当然ながら生まれたのは、労働投入量が減ったことにより成果が減少し、結果生産性も低いという社会であった。

「これで良いんだっけ?」と僕は思う。

確かに労働負荷は減り、余暇は増えた。

しかし、「これが目指していたものなんだっけ?」と僕は思ってしまうのだ。

マネジメント=生産管理?

ここには、このブログの立ち上げの動機ともなっている、マネジメントに対する不理解が関係していると僕は考えている。

日本の産業が工業中心だったせいなのかはわからないけれど、どうも「マネジメント=生産管理」的な捉え方をされているように僕には思えるのだ。

確かに、マネジメントには生産管理的な側面があることは否めない。

でも、それだけではマネジメントとは言えない。

この辺の意識改革、捉え方の変化が現代日本には必要であるような気がしている。

優先順位の策定がマネジメント

マネジメントにおいて大事なことは、有限な資源を最大限有効に活用する為の優先順位の策定である。

これを僕はブログ内で「戦略(戦術)」と呼んでいる。

そして「優先順位の策定」という言葉の裏側には、「やらなくていい仕事をやらない」という意味が隠れている。

仕事を取捨選択することで、最大効率を実現すること。

これがマネージャーの仕事である。

最大効率実現の為には戦略を考えなければならない

でも、多くのマネージャーは未だに生産管理が仕事だと思っている(ように見える)。

確かに部下の行動管理や、それによって生まれてくる成果管理というものが、不必要であるとまでは言えない。

ただ、それは最優先事項ではない。

大事なのは(繰り返すが)、最大効率の実現である。

そしてその為には、マネージャーは考えなければならないのだ。

暇そうなマネージャーと、本当にヒマなマネージャー

一方、このように考えている時間というのは、周囲から見れば「暇そう」に見える。

デスクに座って、ボーっとしているように見える。

また、実際にボーっとしているだけのマネージャーも(多数)存在する。

では、このマネージャー群を見分ける為にはどうしたらいいのだろうか?

成果を測定する、これに尽きる。

プロセスではなく、成果で評価する

忙しぶるマネージャーや、ただ数字を管理しているだけの本当にヒマなマネージャーなど、どうしようもない管理職はたくさんいる。

でも、日本社会においてはプロセスが重要視されているので、どのマネージャーも「頑張っている」という(謎の)評価になる。

これを変えないか?

マネージャーの評価を成果に大きくシフトすることで、それも単年度ではなく複数年度で見ることで、マネージャーが労働集約的に働いているのか資本集約的に働いているのかというのは一目瞭然となる(本当にヒマなマネージャーは論外だ)。

そして、資本集約的に働いているマネージャーのチームというのは、仕組みが構築されているので、多少メンバー構成が変わっても、もっと言えばマネージャーが変わったとしても、成果の水準は維持されていく。

これをきちんと見極め、評価すべきなのではないか?

勤勉も大事だけれど…

マネージャーが暇そうに見えること、それはチームがきちんとワークしている証拠である。

勤勉を尊ぶ、それは悪いことではない。

でも、もっと良いやり方はあるし、それも同様に評価すべきでは?

僕はそう思うのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

頑張っているけれど、全然ダメなマネージャー。

僕はそのような人をたくさん見てきました。

その人たちに言いたいのは、一旦自分の仕事を俯瞰して見たらどうか、ということです。

努力とか根性とか(これは残業時間と比例するようです)が不要だとは思いません。

でも、「自分の仕事(マネジメント)ってそういうことなんでしたっけ?」ということは一旦立ち止まって考えてみてもいいような気がします。

もちろん、「それでもOK!」というのであれば、僕がとやかく言う話ではありません(どうぞそのままの働き方を続けて下さい)。

ただ、そうじゃない仕事の方法を探しているのであれば、自分の手元から現場仕事を放し(権限を委譲し)、戦略を策定する仕事に体力を注いでみるのも悪くない気がしています。

暇そうに仕事をしていきましょう。