「仕事を任せる」とは?

UnsplashMarkus Spiskeが撮影した写真

部下に「どこまで」「どのように」仕事を任せたらいいのか?

マネジメント、特に部下育成の文脈では、「部下に仕事を任せなさい」ということがよく言われる。

ここには2つの意味があると僕は思っていて、1つはその言葉通りの意味である「部下に仕事を任せる」ことの有用性、もう1つは「そうは言ってもなかなかできないんだよあ」という諦め、である。

そして今日は後者から前者への架橋をどのようにしたらいいのか、ということについて書いていきたいと思っている。

多くのマネージャーは部下に仕事を任せるべきだと思いながらも、実際には仕事を任せられないでいる。

そこにはどのような課題があるのか?

もう少し深掘りすると(というか分解すると)、「部下に仕事を任せる」というのは具体的にどのようなことを指すのか?

何でもかんでも任せるというのが違うというのは、誰しもわかっていると思う。

では、どこまで、ないし、どのように、任せたらいいのか?

僕なりの方法論を書いていこうと思う。

それでは始めていこう。

自転車の練習のように

まずすべきことは、「仕事を任せていい部下と、そうではない部下をきちんと選別する」ということである。

これは「部下のスキルレベルをきちんと把握する」とも言えるし、「部下のパーソナリティを理解する」とも言える。

よく言われる話ではあるが、部下のスキルの段階に応じて、マネージャーがサポートする頻度や程度は変わってくる。

補助輪が2つあった方が良いのか、1つは外せるのか、外せたとして暫くは後ろから支えた方が良いのか、時々は手を放せるのか、完全に自走させるのか、そのような段階的なイメージ。

そしてそこには、自転車をコントロールするスキルだけでなく、部下のそもそもの脚力恐怖への感度失敗への耐性、みたいな要素も関係してくる。

このように、部下のスキルと性格を鑑みて、マネージャーはその補助の程度を変えるべきだ、というのが(当たり前の話ではあるが)今日の結論となる。

体で覚える=放任?

でも、ここの選別というか、見極めができないマネージャーは(僕からすると)とても多い。

乱暴に言うなら、どの部下に対しても、いきなり補助輪を外して、取り敢えず転んで体で覚えろ、という感じを、「部下に仕事を任せている」と思っているような印象なのだ。

まあ言いたいことはわからないではない。

仕事というのは、実際に滑ったり転んだりしないと身につかないことも事実である。

そして自分たちが若手の頃にはそのように指導されてきたし、それが実際に身にもなった(役に立った)とも思っているから、余計にそうなのだろう。

でも、この指導法は現代では結構難しい。

というのも、多くの若手(現代っ子たち)は、この指導を「放任」と見做すからである。

そして、気づかないうちに転職サイトに登録され、ふとしたタイミングで退職を切り出されることになる。

サポートを悟られてはいけない

では、手厚く、それこそ「超ホワイト的」に指導するのはどうなのか?

これもちょっと違うと僕は思っている。

もちろん、上記したように、上司が部下に伴走するようなイメージはとても大切である。

でも、伴走しているという事実を、部下にはあまり悟られてはいけないようにも思うのだ。

これはややニュアンスめいた話にはなってしまうが、彼(彼女)らには独力でやっていると思わせながらも、そしてその独力がやや高めのハードルであると感じさせながらも、実はマネージャーが伴走している、という状態が望ましいのである。

そして、これが今回僕が言わんとしている「仕事を任せる」という状態である。

仕事を任せる=「独力で力を身に付けた」と勘違いさせること

そういう意味では、僕の「仕事を任せる」という言葉は、実際には「仕事を任せてはいない」という意味に近いものとなる。

それは言葉を変えるなら、僕たち自身も実際には仕事を任されていなかった(上司がそれをきちんと見守ってくれていた)、ということにも繋がってくる。

僕たちは自分が「体で仕事を覚えた」と思っているけれど、実際にはそんなことはなくて、最終的には上司がケツを拭いてくれるという後ろ支えがある状態でやっていただけ(ある種の自惚れ)なのだ。

もちろん、現代と当時とでは、その度合いは異なるだろう。

でも、大事なことは、その自覚が僕たち自身にはあまりない、という事実そのことである。

「自分は独力で今の力を身に付けた」という(ある種の)勘違い。

これを部下に対して再現するのが、「仕事を任せる」という意味である。

そしてその為には、上記したような部下のスキルの把握とパーソナリティを把握し、それぞれに適した任せ方(でも悟られてはいけない)をする必要がある。

まあ、面倒くさいっすよね。

でも、これが「部下に仕事を任せる」ということなのだ。

難儀な時代ですが…

僕らからすれば超ホワイトな現代。

でも、それだけでは(特に若手は)物足りなさを感じるという不可思議な状態。

かといって、ちょっとギアを上げるとついて来られないのも事実。

その中で、「仕事を任せる」ことを求められるマネージャー。

難易度は高い。

でも、できないこともない。

自惚れと勘違いを

たくさんの部下が、大きな広場で、それぞれの自転車を漕いでいる。

マネージャーは素知らぬふりをしながら、それぞれの挙動を見守り、時に支え、手を貸していく。

彼(彼女)らは、自分は一人前だと思っている。

でも、まだ競技場の中なのだ。

その両義性のようなもの。

それが「仕事を任せる」という意味なのだと僕は思っている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

今日の話のポイントは、「教え」というものの時間軸性だと僕は思っています。

その時はそうは思わなかったけれど、後々そういうことだったのかと膝を打つようなあの感覚。

誰しも経験するようなこの感覚が、「教える」「教わる」という行為の本質です。

そして、そこには無自覚と自覚のタイムラグがある。

仕事を任せることが難しいのは事実ですが、それができるようにならなければマネージャーは忙しいままです。

上手に任せ、暇そうに仕事をしていきましょう。