どこを目指してマネジメントするか?
チームを改善していくプロセスがマネジメントの醍醐味だ
マネージャーの仕事は「チームパフォーマンスの向上」という言葉に集約されると思う。
日々の小さな向上を目指して、チームを運営していく。
ではどこがゴールなのか?
どこを目指してマネジメントするのか?
明らかに停滞しているチームであれば、改善する箇所はたくさんある。
もちろん全てが良化するわけではないものの、そこに手を入れたらいいのだな、ということはすぐに思いつく。
そしてそれが改善していくプロセスの中にこそマネジメントの醍醐味がある。
だからそうやって走っている間は特に疑問も持たずにいることができる。
だが、それが一段落した時にマネージャーはどこを目指すべきなのか?
マネージャーとしての踊り場
5年間マネージャーをしてきて思うことだけれど、このような踊り場に差し掛かった時、途端に「やりがい」が失われていく。
もちろんチームというものは生き物なので、日々手を入れていかないと、どんどんと悪い方向に向かってしまうことは事実だ。
そのようなメンテナンスはある程度の経験があればそんなに難しいことではないし、作業感があるので、何というか、心の動きには乏しいものになる。
淡々というか平凡というか、安定しているというか、そのような日々が繰り返される。
それは停滞している時のチーム状況からすればとても望ましい状態ではある一方、そのチームの限界のようなものも見えてきているので、そこから「さらに向上していこう!」とは思いづらい。
実際に、自分のマネージャーとしての能力と、チームメンバーの能力を勘案すると、「まあこのくらいだな」ということがわかってしまう。
ある種の贅沢な悩みだとは思う。
でも今の僕には切実な悩みなのだ。
100点のチームの作り方とは?
もう少しわかりやすく言うと、僕はマネージャーとして、当初30点くらいのチームを、安定して70点を出せるくらいのチームにすることはできる。
でもそれを80点とか90点とか100点とか、そういう「抜群」なチームにすることは僕にはできない。
もちろん70点を維持していくことはとても大変なことなのだけれど、その延長線上にはたぶん80点とかそれ以上のチームはないのだということを最近感じている。
もっと違うアプローチを取らないと、そういうチーム作りはできない、そんな風に思っている。
それが何なのか、そして自分にできるのか、現時点ではわかっていない。
マネージャーとしての限界を自覚する
そのような状態の中でどこを目指していけばいいのだろうか?
自分でメンバーを選んだり、入れ替えたり、新入社員の頃から鍛えていったりすることで、チームに同質性・結束性みたいなものを持たせることができれば、もう少し違うチーム作りができるのかもしれない。
それはある種の熱狂というかカルトというか宗教というかそういう性質を帯びたものになるような気もする。
でもそれが本当に望ましいものなのか、僕にはよくわかっていない。
だからそこを目指しているわけではないのだ。
上手く言えないのだけれど、僕は仕事というものにある種の距離を持っている。
もちろん一生懸命取り組みはするものの、人生を捧げるというか、のめり込むというか、そこまでの熱量はない。
そしてそれを他人に強要したくもない。
仕事は仕事だという割り切りと冷めた目を持って、その中で最良のパフォーマンスを上げていくのが僕のマネジメントスタイルだと思う。
それは悪く言えばぬるま湯に、良く言えば適温ということになるのだろう。
それが僕の言う70点という意味だ。
そしてそれが僕の限界だ。
マネージャーの向こう側
この先に何を目指してマネジメントをしていけば良いのか、それがまだよくわからない。
もしかしたら今の状態をチューニングしていけば、71点とか72点とかその辺まではたどり着けるのかもしれない。
でもそれには痛みも伴うのだろう。
痛いのは嫌だし、これ以上に人に嫌われるのも嫌だ。
だから僕はきっとこの程度なのだろう。
そんな風な甘っちょろい考え方だから、この程度しかできないのだろう。
今の僕はそんな踊り場にいる。
変な「慣れ」と「惰性」によって、僕のマネージャーとしてのモチベーションは停滞している。
もちろん今のチームに不満はない。
自信を持って良いチーム作りができたと言えるものだ。
でも段々とそれでは満足できなくなってきたことも事実なのだ。
次のステップ。
それが何なのかはまだわからない。
どちらの方角なのかもよくわからない。
5年くらいで分かったような口をきくなと言われるのも承知の上で、僕はそんなことを考えている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
卓越したマネージャーになるためには、人間性というか徳性というか、そういう器の大きさが不可欠です。
そして僕には残念ながらそれはない。
絶望的に不足している。
それが現在の立ち位置です。
どんなに高尚ぶっても、卑小な自分は卑小なまま、遠くから僕を冷たい目で見降ろしています。
「その程度」の僕がこれからどこを目指して仕事をしていけばいいのか?
それが未だに見つかっていません。
他人が言っていたら呆れてしまいそうな言説を抱えながら、僕は今日も仕事に向かいます。
たくさんの溜息とともに。