実質的なことに注力しよう

穴を掘って埋めるだけの簡単なお仕事

実質的なことに注力する?

そんなの当たり前じゃないか、とあなたは思うかもしれない。

果たして本当にそうだろうか?

少なくとも僕の場合は実質的でないことが仕事の9割を占める

言い換えれば、形式的な仕事・表面的な仕事・「ただ穴を掘って、それを埋めるだけの簡単なお仕事♡」が9割を占める。

これは確実に精神をえぐる。

人間は意味を求める生き物だから、意味のない物事に耐えられないようにできているのだろう。

そして形式的な仕事に意味を求めると精神が崩壊していくので、スイッチを切って(脳死状態にして)、何も考えずにその仕事を遂行していくのだろう。

ロボットの出来上がりだ。

そりゃみんな死んだような顔になるよな。

サラリーマン金太郎(飴)

行動経済成長時代のように、みんなが向上しているという実感(幻想?)があれば、それでも良かったのだろうと思う。

会社が言うあれやこれの方針に対して疑問を感じながらも、それに人生を捧げて取り組んでいれば、自分にも相応の見返りがある(と期待できる)、そうであれば、心を殺すことにも意味がある。

当然ながらそこには画一性が求められるし、できるだけ上意下達の方が望ましい。

疑問を口に出すことはタブーだ。

そして金太郎飴のようなサラリーマンが溢れかえる。

その残党たちが現在の経営層となっている。

彼らの言うことを全否定するつもりはないけれど、時代錯誤のような気がすることが多いことも事実だ。

そこから降りてくる指示(命令)は、物量重視・総力戦・肉弾戦の様相を呈している。

どの顧客に対しても同じようなアプローチを取り、上手くいかなくても「量が足りないのだ」「もっと件数を増やせ!」ということが繰り返される。

そこには質の重視という概念や、「なぜ上手くいかないのか」「成功するためにはどのように改善すべきなのか」という反省や回顧は全く見られない。

そしてその物量作戦を指揮していた役員がいなくなると、次の役員はそんなことをやっていたことはきれいさっぱり忘れてしまって、違う種類の物量作戦を始める。

たぶんその取り巻きも「ちょっとおかしくないですか?」とは言えないのだろう。

というか、そういう疑問を持つ人たちは会社を去ってしまったのだろう。

かくして、みんながみんな「自分の言っていることを本当は信じてなどいないのに、それを部下に強要する」という組織が完成する。

みんな白けたまま仕事をしている。

そりゃ生産性なんて上がらないよな。

裸の王様

僕は時々耐えきれなくなって、「王様は裸だ!」と言うことがある。

「もう少しこうした方がいいのではないか」「これに何の意味があるのか部下に説明できないから、やめる方向にしたい」ということを上司に言ったりする。

そうすると、なぜか反逆者のような扱いをされる。

「建設的な議論」という言葉はそこには存在しない。

意見を持つということは反抗と同義となる。

社内にいつまでもいるのであれば、それで良いと思う。

その論理で外の世界と戦えるのであれば、それで良いと思う。

でも、当たり前のことだけれど、そんな状態のままでは簡単に淘汰されてしまう。

そんなに現在の情勢は甘くない。

みんなそのことを薄々感じながらも、船が完全に沈むまではそこにしがみつくしかないと思っているのかもしれない。

仕事は仕事でしかないので、それでもいいのかもしれない。

こんなことを考えている方がおかしいのかもしれない。

きっとそうなのだろう。

でも、と僕は思うのだ。

本当にそれでいいのか? と。

たとえ自己満足に過ぎなくても意味のある仕事を

別に社会の為とか会社の為とかそんな壮大なものでなく、意味のある仕事というのはプラスの活力を与えてくれるものだと僕は考えている。

結果としてそれが社会の為になるのであればサイコーだけれど、そうでなくとも充実感を感じられる(たとえそれが自己満足に過ぎなくても)というのが仕事の醍醐味だと思う。

そしてその充実感を味わうためには、実質的なことをやるしかないのだ。

スイッチを切って、イエスマンとして仕事をする方が、きっと組織の中では生きやすいのだろう。

でも少なくとも僕は死に際のベッドの中で、自分の人生を振り返った時に、「ああ、穴を掘って埋めるだけの無為な人生だった」とは思いたくない。

意味のある仕事がしたい。

それが僕がいつも言う「いい仕事をしましょう」という言葉の内実だ。

そんなものは欺瞞だと僕だって薄々気づいている。

でもそのプライドというか矜持がなければ、仕事をしている意味などなくなってしまう。

仕事をする意味?

そんなもの考えるから虚しくなるのだろう?

その意見に全面的に賛同する。

それでも、と僕は思うのだ。

今日も念仏のように、それでも、それでも、と僕は呟き続けている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

役職が上がったからか、ただ社歴が長くなったからかはわかりませんが、以前よりも形式的な仕事が増えてきたように感じています。

昨今のような変化の速い時代において、会社が危機感を感じながらも何とか食らいついていこうという必死さは理解できるのですが、そこに長期的なビジョンが感じられず、やや朝令暮改的になってしまっている(そしてそれを誰も信じていない)ので、何だか疲れてしまっています。

本文もそのような暗いトーンが全体を覆っています。

そんな中で仕事にやりがいとか生きがいを探すというのは、青臭い幻想に過ぎないのかもしれません。

その理路にも心から同意します。

でもさ、と僕は思ってこんなことを書いています。

共感していただける人がいたら幸いです。