手元に十分なお金があっても、今の仕事を続けるだろうか?

UnsplashAlex Kotliarskyiが撮影した写真

仕事を振り返ってみよう

今日はFIRE的な話をする。

というか、テーマにあるような問いを突き付けられたら何と答えるだろうか?

それを考えることは、今の仕事を見直す良いきっかけになるのではないか?

そのように考えたので、今日はそんなことを書いてみようと思う。

因みに、僕は迷っている。

こう書くと、煮え切らない奴だなあと思われるかもしれないけれど、はっきりと「No!」とは言えないんだよなあ、というのが、現在の心境である。

そんな奴の文章を読んでも仕方がないかもしれないけれど、とりあえず始めていく。

もう少し気楽に働きたい

まずは僕の回答から。

テーマの問いに対して、「仕事は変えないだろうけれど、働き方は変える」というのが僕の今のところの回答である。

というのも、今の仕事自体は別に嫌いではないからだ。

もちろん、社内の雰囲気とか、同僚の感じとか、やっている仕事内容であるとか、そのようなものに対して不満がない訳ではない。

でも、ここから一念発起して、また別の新しい仕事をしてやろう、というような意気込みもない(し、能力もない)。

ただ、同時に、今の働き方が良いとも思ってはいないので、もう少し気楽に、テキトーに働きたいなとは思っている。

そんな感じである。

なぜ我々は気楽に働けていないのか?

と、ここまで書いてきて、大体の人はこのような回答に落ち着くのではないか、とも思うのである。

もちろん、それぞれの状況によって、考え方は変わるだろう。

自身の年齢、キャリアの状況、収入の水準、家族の有無やその状況等々、によって、仕事を何が何でも続けなければならないかそうでないか、というのは大きく変わってくるはずであるから。

ただ、そうは言っても、多くの人は、「別に今の仕事に不満がない訳ではないけれど、辞めるほどじゃないんだよね…」というところが実際のところであるような気がしている。

そして同時に、「もう少し気楽に働けたら最高なのにな」とも思っているであろうことも。

ここに僕は問題点があるように感じる。

「なぜ、我々は気楽に働けていないのか?」と。

働く時間が短くなればOK?

これに対する回答の方向性の1つに、働き方改革がある。

「残業時間を減らし(余暇を増やし)、効率的に働こう」という例のアレである。

でも、(少なくとも僕の実感では)働き方改革によって、仕事に対する負荷が減ったとは思えない。

むしろ、人員削減や労働時間の(強制的な)削減によって、負荷が高まっているようにすら感じるくらいである。

となると、働く時間を減らすことが、僕が望むような方向性ではないのではないか、というように思えてくる。

働く量が多いのは慣れている

僕個人の感覚で言えば、ハードワークというのはそこまで嫌なものではない。

もちろん、程度問題ではある。

それこそブラックと言われるような労働環境では流石に無理だとは思うが、それでも昭和の残り香がある時代に入社した僕にとって、夜遅くまで(そして休日も含めて)働くことはそこまで抵抗があるものではない。

そして、実際に今よりも充実感を感じていたようにも思うのだ(もちろん思い出補正込で)。

そのように考えると、量(労働時間)はあまり問題ではなくて、質(働き方)が焦点となってくる。

ただ、上記したように、「働き方改革」の方向性は違う。

となると、どのような働き方を僕は望んでいるのだろうか?

余暇を充実させたい訳ではない

FIRE論でよく言われるように、仕事以外の人生(例えば余暇)を充実させたい、というような思いは僕にはそれほど強くない。

仕事自体は好きであるし、自分から仕事がなくなってしまったら、余暇も楽しめないような気さえしている。

そういう意味では、僕はワーカホリック気味ではあると思う。

ただ、そこにはそれなりの質を求めたいとは思っている。

そして、僕が考える質というのは、その仕事が有用であるか否かということである。

ここで言う「有用」という意味は、もちろん社会的に有用であるに越したことはないのだけれど、それよりも僕がそれを有用だと感じるかどうかという主観的な要素が強いものである。

こうなってくると、哲学論(もしくは中二病)みたいになってくるけれど、結局のところ、自分が働いている意味があって欲しい(存在証明みたいなもの)、というのが、僕の望みなのだろう。

永遠に叶うことのない青臭い願い。

それを求めて僕は働いているような気がする。

自己満足を最大化したいだけ

そういう意味でも、僕は仕事を変える必要性をあまり感じていないとも言える。

どうせどこで働いても、有用性がある(と感じられる)仕事なんてないだろうから。

となると、また原点に戻ってくる。

「今の仕事は続ける。でも、もう少し気楽に」という自己満足最大化的なものに。

マネジメントを変えれば、気楽に働けていない状況を変えられるのでは?

僕の願いは、多くの人がそのように思う状況を少しだけ変えたい、ということである。

満員電車から降りて、スーツ姿の人達でごった返している駅の階段を昇っていく度に、その鉛のように重い溜息を聞く度に、僕はそう思うのである。

そして、その為の方法(の1つ)は、マネジメントを変えることなのではないか、と僕は思っている。

もう少しだけ充実感を持って働ける状況をそれぞれのマネージャーが作ることができれば、FIREを望むことだけが希望であるような昨今の状況を変えられるのではないか?

僕はそんな甘っちょろいことをまだ考えている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

大したことはしていないのに、物凄く疲れている。

それが現在の心境です。

そして、もう少し気楽に働きたいなあと考えたりもします。

というか、仕事自体がもう少し楽しかったらいいのにな(かつてはそうだったよな)というのが正確な表現かもしれません。

マネジメントから離れてみてもいい頃合いなのではないか、そんなことを考えたりもします。

それまではとりあえずこのブログも続けるつもりです。

引き続きご愛顧頂けたら幸いです。