働き方改革にどのように対応するか?

働き方改革ってなんだ?
働き方改革の目的は、
①労働生産性の向上
②同一労働同一賃金の徹底
であると大雑把に言うことができる。
これを現場レベルの言葉に置き換えると、
①仕事量は変わらないけれど、残業はするな(早く帰れ)
②①からの自己防衛として、正規社員も非正規社員のように働くようになる(間に落ちる仕事はしない)
となる。
生産性の向上=残業時間の削減?
まず①から。
労働生産性の向上は、分子である「成果を高める」か、分母である「労働時間を減らす」か(その両方か)によって達成される。
そして、「成果を高める」のはなかなか難しいので、「労働時間を減らす」方に力点が置かれることになる。
「売上を伸ばせ」と言うよりも「経費を減らせ」の方が簡単だし、その方が確実に利益は増えることになる。
結果として、残業時間の削減が目標指標(KPI)となる。
働いているものの立場としては、この残業代の削減分を収入の補填(給与の増加)という形で報いてくれるのであれば、喜んで残業時間を減らすと思う。
しかしながら、現実的には仮にこのような形で生産性を上げたところで、年収(残業代)は減る。
ここに経営側と労働者側の間にインセンティブの差異が生じる。
労働者としては「忙しいフリをしながら、結果的に仕事が終わらないテイを装いながら、残業時間を程々に減らす(年収を維持する)」というのが有効戦略となる。
経営側もそれを見抜いているので、強制的に帰らせる(経費を減らす)ことになる。
結果として、仕事が宙ぶらりんのまま、落ち着かない気持ちのまま、翌日を迎えることになる。
そして、限られた時間の中で同量の仕事をこなすためには、内部作業を優先させ、それ以外のものはどうしても後回しになる。
結果として、成果の部分(分子)も落ちるので、労働生産性は変わらない。
ただ年収が下がり、会社に対する忠誠心が下がるだけだ。
間に落ちる仕事=オレの仕事ではない?
そしてこれは②にも関係してくる。
正規社員のエンゲージメントが下がっている環境においては、「間に落ちる仕事」を誰も進んでやろうとしなくなる。
それをやっても評価されないし、そもそもそんな余裕がなくなってくるからだ。
結果として、正規社員の仕事の範囲は狭くなり、非正規社員の働き方に近いものになってくる。
自分は任された仕事だけをやればいいし、それ以外(間に落ちる仕事)は私の仕事ではない。
職場がギスギスとし出す。
顧客からの苦情も増える。
その尻ぬぐいをするのはマネージャーだ。
部下からは「何で私がやらなくちゃいけないんですか」となじられ、上司からは「それを部下にさせられないのは、お前の指導が良くないからだ」と叱責される。
そのしわ寄せが中間管理職に来る。
その積もりに積もった仕事の山を何とか片づけようと残業していると、「何で早く帰らねえんだ。使えねえな」と上司から追い打ちをかけられる。
どうすりゃいいんだ?
というのが、僕が体感している「働き方改革」だ。
働いても働かなくても同じなら、なぜ働く必要があるのか?
ジョブディスクリプションによって仕事の範囲(定義)を定めていく、というのがここから派生した概念になるし、ホワイトカラーエグゼンプションがその時間と対価の関係性を埋めていくという発想に繋がっていくのだと思う。
全てをこの短いブログの中でコメントするのは難しいし、どれに対してもそれぞれ納得性があると思っているので、簡単に結論は出せない。
でも僕が思うのは、「下方硬直性がある状況の中では限界がある」ということだ。
もう少し詳しく説明する。
どんなに働かない社員でも、給料は下がらないし、雇用は維持される。
そういう社員が明らかに職場の雰囲気を悪くしている。
それに対して、誰が何を言うわけでもない。
言うと、パワハラだとかセクハラだとか言われるからだ。
みんながみんな白けた雰囲気の中で仕事をしている。
働いても働かなくても同じ給与なら、なぜ頑張って働く必要があるのか?
テキトーに働いて、帰れと言われたら帰る、ただそれだけ。
会社の方針も支離滅裂で朝令暮改で、信頼性などゼロだ。
そしてその責任は全てマネージャーに被せられる。
しかしながら、マネージャーには何の権限もない。
人事権も解雇権もない、ただの雑用係だ。
そんな組織で誰が前向きに働こうとするのだろうか。
働いた人が真っ当に評価される仕組みを
僕は働き方改革の主旨には賛成だけれど、現実的ではないと思っている。
アメリカのホワイトカラーは死ぬほど働いているし、ホワイトカラーエグゼンプションやジョブディスクリプションには降格や解雇、中途採用市場の発達というものが裏側にあるから成り立つものだ。
それを部分的に拾ってきても上手くいくはずがない。
そしてそのしわ寄せをマネージャーに押し付けるべきではない。
僕は「働いた人が真っ当に評価される。真っ当な対価を貰える」というのが筋だと思っている。
それが現実的には難しいことを自覚しながらも、できるだけそれに近い形にしなければ、組織は成り立たないと思っている。
早晩(もうすでに?)自壊するだろう。
チーム単位での成果の分配を
チームにはエースだけでなく、間に落ちる仕事を黙々とする人も必要だ。
そういう意味ではチーム単位での成果を評価するような仕組みが必要なのだと思う。
ベースの部分の給料はある程度低く抑えて、成果の部分の割合を増やす。
その成果はチームへの貢献度も加味して、分配する。
チームの貢献度の評価はマネージャーだけでなく、メンバーも行う。
マネージャーの評価もその上司だけでなく、メンバーも参加して行う。
そしてチームの人数は少し少ないかな、と思うくらいに抑える(1人1人の処遇を上げる為に)。
そんなことを漠然と考えている。
今回は取り留めのない話になってしまった。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
他人に強制するつもりは全くありませんが、僕自身は「年俸+出来高」というプロ野球選手のような給与体系で良いと考えています。
提示された年俸額が納得できなければ、他の企業の話も聞いてみたいし、フリーエージェントだってしてみたい。
そのくらいの覚悟と自信を持って仕事をしています。
そのくらい割り切ってしまえば、面倒くさい諸々のことは脇に置いて、成果を上げることに没頭できるような気さえしてしまっています。
言葉はきつくなってしまいますが、現在のマネージャーの仕事の大半は僕自身の善意、ボランティアで成り立っているような気がしています。
それをしてもしなくても、別に僕の処遇が変わる訳ではない。
ではなぜそれをする必要があるのか?
僕はそれを過去にお世話になった方々への恩返しだと考えていますが、そういう人達も会社を去り、僕自身もだんだんと疲れてきてしまったことも事実です。
若手がやる気を失っているのも、たぶんこういう硬直的な賃金制度が関係しているのだと思います(働かないおじさん社員がたくさんいることにうんざりしているのでしょう)。
解決が難しいのは承知の上で、もう少しどうにかならないものか、そんなこと最近は考えています。