よそよそしい職場

UnsplashKelly Sikkemaが撮影した写真

ただの無関心

コンプライアンスであるとか、ハラスメントであるとか、多様性の尊重であるとか、その他諸々の要因によって、職場での言葉遣いが穏当なものになっていっている。

それ自体は望ましいことだ。

皆他者を慮り、節度を持った対応を行う。

でも、本当のところは?

というか、何を考えているの?

そんな雰囲気を僕は感じる。

結果、日本社会のお家芸とも言える「空気の読み合い」が炸裂することになる。

むしろ、以前よりもそのような事態が悪化しているようにすら感じる。

皆が皆を尊重しているようで、ただ無関心である状態。

できるだけ自分の方に火の粉が降りかかってこないように、でもわざとらしく避けないように振舞う高い技術の披露合戦。

そして生じるたくさんの「ポテンヒット」。

グレー領域の仕事をデジタル化することによって、多くの人に「それは私の仕事ではない」という権利が付与されることになった。

そこによそよそしさが加わった現代。

その結果、「誰もやらない(やりたくない)仕事」が残置され、みな不機嫌な顔でその仕事を押し付け合っている。

あなたの職場はどうですか?

今日はそんな話である。

仕事の明確化による不機嫌な人の増加

ジョブ・ディスクリプション。

担当する職務内容を詳しく記載した書類(職務記述書)。

確かに、従前のような「曖昧な仕事の仕方」にはたくさんの問題点があり、理不尽が存在していた。

結果として(というか順序はわからないが)、正規社員はそのような曖昧な仕事も担うタスクを担う人非正規社員はそうではない人(でも実際は曖昧な仕事もやらされる人)というような階層制(身分制?)が生まれることになった。

そして、正規社員も非正規社員もそれぞれに対して不満を持っているような状態が続いている。

「だから、それをやめて、仕事の内容を明確にすべきだ」

「諸外国(まあアメリカのことを指すのだろう)はそうやっているし」

「同一労働には同一賃金が払われるべきだ」

そのような流れ。

まあ言わんとしていることはわからなくはないし、少なからず共感もする。

でも、その結果到来した現在において、そのような不満が解消されているとはとても思えないのである。

感覚的なものがだいぶ混じってしまうけれど、むしろ今までより皆不機嫌そうに働いているようにすら思える。

無関心の昂進

そこには人員削減人手不足その他様々な要因が関係してはいるだろう。

そして、上司や会社に対する信頼や尊敬というものが瓦解しているのも事実だろう。

もしかしたら、「自己責任」という言葉が普遍的になったことも関係しているのかもしれない。

そのようなものがごちゃ混ぜになった結果、僕たちは他者に対して(更に)無関心になった。

共同体の崩壊と個の分断

また、冒頭に書いたようなコンプライアンス意識や、ハラスメント対応多様性の尊重なんてものもここには関係してくるだろう。

他者をありのままの状態で尊重すること。

まあ確かに大事なことではある。

でも、それによって共同体というものが崩壊してしまったのでは?

そして個も分断されているのでは?

そんなことを僕は思う。

サイコパスな僕でさえ感じる違和

確かに無表情なまま会社に行って、ジョブ・ディスクリプションに記載されたタスクだけを黙々とやって、家路につく、それを繰り返す、という仕事のやり方は効率的であるし、サイコパス性を帯びた僕にはぴったりの働き方のようにも思える。

でも、そんな僕ですら、何らかの違和感を覚える。

これでいいのだろうか、という疑問を持っている。

ソフィスティケート=無関心?

職場とは一種のコミュニティである。

もちろん、昭和のようなウェット感満載のものはご遠慮願いたいけれど、あまりにもドライ過ぎるのもどうなのかなと僕は思っている。

いや、ドライというか、ただの無関心なのだ。

誰もが職場にいる同僚に関心を持っていない状況。

むしろ厄介事を持ち込んでくる疎ましい存在としか捉えていない環境。

確かに洗練されていると言えなくもない。

都会的であると形容できないこともない。

ただ、それってパフォーマンスの向上に繋がっているのでしたっけ?

生産性の掛け算を生むために

僕は仕事において大事なのは成果だと思っている。

だから、そのようなよそよそしさが成果の向上に繋がっているのなら、もしくは成果を阻害していないのであれば、それはそれでいいのかもしれない。

でも、残念ながら、僕にはそのようには思えない。

個々人が分断され、ノウハウが共有されず、チームとしての掛け算がなされないような状態では、成果は単線的なものに留まってしまう。

同じ職場にわざわざ出勤して働くのは、そのような掛け算を引き起こしたいからだろう?

リモートワークの生産性の低さは、もう十分すぎるくらいわかっただろう?

「それは私の仕事ではない」OK。では誰の仕事?

どうにも僕たちは適切な距離感を取ることが苦手なようだ。

別に仲良くする必要はないとは思うけれど、他者に関心を持って仕事をすることで自分の成果だって向上するはずなのに、なぜそれがわからないのだろうか?

そして、皆が「それは私の仕事ではない」と考えている職場において、高い成果なんて出せるはずはないだろう?

変な話になった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

他者への無関心。

それは信頼感の欠如から生じています。

そして信頼感の欠如はアホらしさから生まれているように感じています。

言っても無駄、何をやっても変わらない、そのような諦めの連続により、人は誰も他者に期待しなくなります。

他者と関わらないことは確かに楽です。

そして僕はそれを好ましいと思う傾向を持っています。

「ただ、それでもね?」というのが今日の話です。

全員はムリでも、それなりの人達と繋がりを持ちながら仕事をしていきたいと僕は考えています。

ドライな僕が、繋がりを求める変な現象。

心ある人と仕事をしていきましょう。