どんなに優秀な監督だって、ハマるチーム・ハマらないチームはある(はず)

UnsplashAdrià Crehuet Canoが撮影した写真

どこでだって通用するはず?

サッカーの季節がやってきた。

というか、シーズンオフの時だって移籍市場の話題で十分に僕は楽しめるので、開幕(とそれに続くシーズン)だけがサッカーの季節というわけではないのだけれど、それでもやっぱり開幕というのは心躍るものである。

そして、毎度のことながら、開幕後上手くいくチームとそうでないチームがあって、その度に、やっぱり選手も監督も合う合わないというのはどうしたって存在するよな、と思うことになる。

これは当たり前の話なのだけれど、自分のことに置き換えてみると、額面通りに受け取れないものでもある。

「自分はどのチームにいたって通用するはずだ」

僕もそう思っていた。

「オレのマネジメントは普遍的なものだ」

僕もそう思っていた。

でも現実はそうではなかった。

だから、最善は尽くすべきだし、そこに向かうまでに全精力は傾けるべきなのだけれど、それ以上のことはどうしようもない(人事尽くして天命を待つ)というある種の諦めも必要なのだと今は思っている。

今日はそんな慰めの話だ。

簡単ではない

世界的な名監督。

これはサッカーの世界だけでなく、色々なスポーツ(やそれ以外)の世界においても存在する。

実際のところ、監督が変わるとチームが劇的に変わるということを、僕たちは何度も目の当たりにしてきた訳で、確かに監督の影響力というのはとても大きなものだと言える。

ましてや、名監督と言われるような人であれば、どのようなチームであっても、どのような苦境にあっても、その状況を改善できるはずだ(成功できるはずだ)と誰もが期待するのも無理はないだろう。

ただ同時に、そう簡単でもないよな、と僕は思っている。

ほんの一握りだけ

もちろん、ある程度普遍的な監督もいる。

どのチームに行っても、かなりの好成績を残せる、名監督中の名監督は存在する。

でも、それはほんの一握りだ。

他の大部分の名監督(と普通の監督)は、残念ながらそうではない

チームが変われば、言い方は悪いが、凡庸な成績になることだってある。

そして、僕を含めて大部分の人間はこの後者のカテゴリーに属することになる訳だ。

マネジメントの成功は運次第?

「○○ガチャ」という言葉がある。

マネジメントにおいてだって、そんなことを思わないこともない。

「部下ガチャ」「チームガチャ」「同僚ガチャ」「上司ガチャ」etc.

きりがない。

そして、それはある種間違ってもいない。

部下が良ければマネジメントの難易度は格段に下がるし、上司に恵まれれば時間の猶予が与えられる。

また、それは自分の力ではコントロール不可能でもある。

となると、マネジメントが上手くいくか否かというのは運なのではないか?

そのような考えが頭をもたげてくる。

そして、それは一定の妥当性を帯びてもいる。

ただ、同時に僕が思うのは、そうは言っても多少の巧拙はあるよね、ということである。

ガチャとガチャじゃないものと

もちろん、環境は変えられない。

そこにいるメンバーや顧客の状況など、与えられたリソースの中で何とかやっていくしかない。

そういう意味では、そこまではガチャである。

ただ、その付与された環境の中でどのようなマネジメントを行うか、というのはガチャではない。

免責感への違和

確かに、できることできないことは存在する。

一定のリミット(限界)から目を背けることはできない。

でも、そうは言っても、完全に無力な訳でもない。

僕が○○ガチャという言葉に共感を覚えながらも、同時に違和感も覚えるのは、「何をやっても無駄」「オレに責任はない」というような免責感をそこに感じるからである。

まあ確かに言っていることはわからなくはない。

僕だってそのように思うことは多々ある。

ただ、せめてそう言うなら、最善は尽くしてからにしようぜ?

そんな風に思うのだ。

一周回っておいでよ

これが今日のテーマに繋がってくる。

僕たちはチームを選べない。

そこにいる部下や、取引先を選ぶことはできない。

そうなると、どう頑張っても、一定の限界は存在することになる。

それは事実だ。

でも、だからと言って、その時点で結果が見えている訳ではないのだ。

少なくとも藻掻く余地はある。

もちろん、藻掻いたところでたかが知れている、というのも事実だろう。

どうやったって、リソースが潤沢なチームには勝てない、というのは避けられない現実だろう。

ただ、それでもさ、と僕は思うのだ。

そこで精一杯の戦略を巡らせてみる。

自分なりの最大限のマネジメントを行ってみる。

その上で、やっぱりムリなものはムリ、ハマらないものはハマらない、というところに戻ってきて欲しいのだ。

その一連の試行錯誤を経て、自分のマネジメントというものがわかるようになる。

ダメなものもある。でもそれが敗北とは言い切れない。

もちろん、そのような一連の試行錯誤なんて無駄(どうせダメなものはダメなんだし)、という考え方もわかる。

結果は同じ、その通りだ。

でも、そのような遠回りがなければ、自分に向き合うこともないし、「オレはまだ本気出してないだけ」といつまでも思うことになる。

本気を出しても、全力でぶつかっても、ダメなものはある。

ただ、それは敗北ではない。

敗北とは言い切れない。

それがわかったら、この仕事はもう少し面白くなるはずだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

マネジメントの経験を重ねる中で、程よく諦められるようになってきたように感じています。

できるものはできるし、できないものはできない。

でも、開き直りでもないもの。

それから結構仕事へのストレスが減ってきたように思います。

できることを最大限やって、後のことは他責にしてしまいましょう。