手柄は部下に。責任は自分に。
褒められたい気持ちはわかるけれど…
今日の話はタイトルの通りで、上に立つ人間のスタンスとしてこのように考えておけばOKということを書いていく。
正直なところ、マネージャーになっても手柄が欲しい人はたくさんいる。
でも、それは思っていてもいいけれど、口に出すのは絶対にダメだ。
ましてや、それを部下に対して言うなんてことは言語道断である。
もちろん、部下が手柄を上げるにあたり、マネージャーの関与が全くないということはまず起こり得ないだろう。
「マネージャーの力添えがあってこその手柄」であり、それを吹聴したくなる気持ちはよくわかる(誰も表立っては褒めてくれないし)。
ただ、それだけはやってはいけない。
あなたの株が下がるだけだからである。
そして、あなたが関与し、あなたがその手柄について大きく貢献しているということは、部下はもちろん、周囲の人間はよくわかっていることが殆どであるから。
だから、静かに誰かのケツを拭いておけばいいのだ。
今日はそんな話である。
それでは始めていこう。
簡単だけれど、出来ないこと
「あなたは部下から尊敬されたいですか?」
そんな質問から本文を始めてみる。
もしそうなら、今日のタイトルの通りの振る舞いができれば、自然と尊敬されるようになる。
それは反面教師的に言うなら、多くのマネージャーはこれができていないから尊敬されていない、ということでもある。
自分が部下であることを想像して貰えばわかると思うけれど(もしくは自分が部下だった時のことを思い出して頂ければわかると思うけれど)、手柄を自分のものであると吹聴する上司に対して尊敬の感情が湧くはずがないのである。
部下だって、その手柄が自分だけの力で成し得たものではないことくらいわかっている(稀にわかっていない者もいる)。
でも、それを敢えて口に出すことはないよね、と思っている。
だから、「よく頑張ったね」と褒めておけばいいのだ。
そして、それはそんなに難しいことではないはずだ。
そりゃ尊敬される訳ねえだろ
ただ、どうしてか、これができないマネージャーは無数にいる。
そういう奴に限って、「部下から尊敬されてない」と愚痴ったりしている。
そりゃそうだろ。
僕はそのように思うのである。
No spotlight,OK?
確かにマネージャーはスポットライトが当たりづらい仕事である。
かつてのプレイヤー時代の栄光と比べ、地味な仕事ばかりでウンザリするのも事実である。
ただ、それは「そういうものだ」と受け入れるしかない。
もうあなたはマネージャーなのだ。
残念ながら、ピンスポが当たることはないのである。
でも、だからといって、それを嘆く必要はない。
マネージャーとして称賛を得る方法はいくらでもあるから。
そして、その1つの方法が「責任を取る」ということである。
鎮火と消火と火の用心
部下はたくさんの「やらかし」をしてくる。
それを大きな事故にすることなく、淡々と鎮火していく。
もっと言えば、部下がやらかす前に、その芽を黙々と潰しておく。
そのようなある種「影の仕事」。
それを繰り返していけば、自然とあなたには称賛が集まるようになる。
玄人受けを
これは表現を変えるなら、「玄人受け」ということになるのかもしれない。
プレイヤー時代の称賛が「素人受け」のようにわかりやすいものであるのに対し、マネージャーの称賛はわかっている人にしかわからない「玄人向け」のものである。
そういう意味では、あなたの周囲や上司は、もしかしたら素人っぽい動きしか褒めることができない人ばかりで、だからこそ自ら称賛を求めに行ってしまうということなのかもしれない。
でも、たとえそうであっても、黙々と責任を取る仕事をしていればいい。
局面が変わり、フェーズが変われば、それを理解してくれる人が現れるから。
というか、たぶん現況においても、それを理解してくれている人がいるはずだから。
そのように考えておくこと。
それがマネージャーという仕事を続ける上で、とても大事なスタンスである。
流行りではないが…
長いことマネージャーという仕事をしてきて思うのは、そのような仕事振りというのは「流行りじゃない」ということである。
年々、手柄を声高に吹聴する人、それも自分のものだけでなく人の手柄まで自分のものであると図々しく言う人が増えている印象が僕にはある。
そして、それを見抜ける人も激減している。
ただ、少なくとも部下は変わらずそれを見抜いている。
部下からの評価には何の意味もないが…
もちろん、組織において部下からの称賛が何の意味を持つのか、僕にはよくわからない。
正直なところ、昇進や昇格という面では、全くと言って意味がないとすら思っている。
でも、もしマネージャーという仕事を面白くしたいなら、そこに少しでも充実感を求めるなら、淡々と「お尻拭き」の仕事を続けていればいいと僕は思う。
自己効力感がないところにいい仕事なんてあるはずがない
有難いことに、僕は上司からの受けは悪いが、部下からの受けはそれなりに悪くない。
そしてそのような感覚は、自分が仕事を続ける中で、ちょっとした自信にもなっている。
それっぽい言葉で言うなら、自己効力感を得ることに繋がっている。
「あらゆる仕事は自己満足である」というのは事実であるだろうけれど、それがなければ、マネージャーの仕事なんてやっていられないだろう?
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
最後は価値観みたいな話になりましたが、最近の僕のテーマとして、「オレがオレが」という奴を過剰に評価するのってもうやめない? ということがあります。
そして、その評価のエビデンスとして、数字を過剰に重んじるのも。
説明可能性によって、セコくつまらない奴が増え過ぎている、僕はそんな風に感じています。
それはマネージャーという立場の人間に対しても同様に思うことです。
意地悪く、セコく、しょうもない、そして仕事もできない。
だけど、自分がそつなくやっているという証拠集めには一生懸命。
そんな奴ばかり。
自己顕示欲と承認欲求。
まあそれは個人の自由なので、好きにやって頂いて構わないのですが、それは自己効力感がないことの裏返しなのではないか、と僕は思ってしまいます。
ブルシットな仕事しかない現代において、自己効力感を得るのは確かに難しいです。
でも、それを簡単にできる方法が今日の話です。
玄人向けの仕事をしていきましょう。