ホンモノとニセモノ
年功序列でマネージャーになった人にはニセモノが多い
5年間マネージャーをやってきて思うのは、マネージャーというのは本当に千差万別だということだ。
「なんでこんな人がマネージャーをやっているのだろう?」ということが頻発する。
きっとこんな変なことを考えているのは自分だけだろうと思っていたのだけれど、部下からも同じような話が出たりするので、案外みんな思っているのかもしれない。
1つの要因は年功序列というか、ある程度の社歴を重ねると「そろそろポストを与えようか」という感じで順番に回ってくるから、ということなのだと思う。
「ずっと平社員というのもアレなので、そろそろ…」みたいな感じでマネージャーに昇格する。
偏見を込めて、かつ自分のことを思い切り棚上げして言うけれど、こういう人は大抵マネージャーとしても有能ではない。
頑張ってその雰囲気を出そうとするのだけれど、まあ驚くくらい全然うまくいかない。
そして更に悪いことにその自覚がない。
そういう意味では人事部というのはよく人を見ている、と言えるのかもしれない。
というか、そういう風に期待されていないから、そうなってしまう、という事後実現的な要素もあるのかもしれない。
ともあれ、僕はこういう風に「順番でマネージャーになった人」をニセモノと判断することが多い。
部下よりも自分を優先させるのがニセモノの特徴
ニセモノの特徴とは何か?
それは「部下よりも自分を優先させたがる」ということだ。
うまく表現できるか不安ではあるけれど、もう少し詳しく話してみる。
この手のマネージャーは自分が「不当に評価されている」という自己評価が根底にある。
「本当はもっと評価されてしかるべきなのに、巡り合わせによって自分は正当な評価を得ていない」という恨みのようなものがある。
結果として、必要以上に評価をされたがる。
問題は部下のせいにして、手柄は自分のものにする。
ジャイアンのように「お前の物はオレの物、オレの物もオレの物」という振る舞いが常態化する。
部下はうんざりする。
チームは停滞したままになる。
自己不全感がホンモノの特徴
こういう人がマネージャーにはたくさんいるから、組織の生産性は向上しないのだろう。
たぶん殆どの人は「このタイプの人=マネージャー」だと考えているのだと思う。
「働かないおじさん」というようなイメージで捉えているのだと思う。
僕はそれを否定するつもりはない。
10人いれば9人はこのタイプのどうしようもないマネージャーだからだ。
こんなことを言うと怒る人がたくさんいると思うのだけれど、事実なのだから仕方がない。
文句があるのであれば、成果を出してみろ、と僕は思う。
挑発的なことを言うが、そういう自覚がないから、成果が出せないのだ。
ポジションにいることはマネージャーとして認められることとは違う。
その席にいるからリーダーなのではない。
リーダーとして認められるから、その席につくことができるのだ。
これを履き違えてはいけない。
ホンモノの人はこのことをよくわきまえていると思う。
上手く言えないのだけれど、自分の不足感というか身の程というか、そういうものに対して自覚的であると思う。
手の届かなさというか、背伸び感というか。
器に対する居心地の悪さというか。
その至らなさへの自覚がマネージャーを成長させる。
「なぜだかわからないけれど、自分はマネージャーになってしまった。そんな職責を全うできる程の器では自分はない。畏れ多いくらいだ」
こういう自覚があるからホンモノの人は「部下を自分よりも優先させたがる」ことはない。
そんな分不相応なことはできないと思っているからだ。
結局は自己満足に過ぎないのだろうけど…
人間ができているとかそういうことではなくて、自分の実力以上の評価をしてもらったのだから、それを何とかして埋め合わせなくてはならない、そういう焦燥感のようなものが結果として部下を立てることに繋がるのだと思う。
部下から見れば、「なんて人間ができているのだろう」と思うのかもしれないけれど、決してそんなことはないのだ。
ただ身の程を知っているだけ。
でも結果として部下はそれを意気に感じてくれる。
チームの生産性は向上することになる。
もちろん元々徳が高かったり、リーダーとしての素質がある人はこんなことを考えなくても自然とそういう振る舞いができるのだろう。
でも残念ながら僕はそんな器ではない。
だからせめてニセモノにはならないようにと心掛けている。
たくさんのニセモノたちが跋扈している社内で、せめてそうはなるまいと思って仕事をしている。
ホンモノには決してなれないであろう僕でも、そこを目指すことはできるはずだ。
そういう方向に意思を向けることは可能であるはずだ。
誰に評価されるわけでもなく、それを目指す訳でもなく。
ただの自己満足?
それでもいい。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
「ホンモノでもニセモノでも成果を出せばいいんじゃない?」
僕ですらそう思わないことはありません。
でも不思議なことなのですが、時間軸を長く取ると、ニセモノは成果を出し「続ける」ことはできません。
こういうところに僕は人間の可能性というか善性のようなものを垣間見るのですが、ニセモノは段々と淘汰されていきます。
憎まれっ子世に憚る、という概念も、時間の射程を長く取ると、そんなことはないのかな、と僕は思っています。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし、というような、諸行無常・盛者必衰的なところに人間も棄てたもんじゃないよね、と思ったりします。
そんな夢物語を信じながら、少しでもホンモノに近づけるように今日も仕事をしていきましょう。