ポジティブなマネジメント論

たまには前向きなことを
マネジメントにはネガティブな論調が纏わり付いている。
そして、その一翼を僕も担っている。
基本的にこのブログに書くことは現状への不満で、「なぜこんなにも日本のマネジメントはダメなのか?」ということを様々な角度から書いているに過ぎない。
でも、前回書いたように、日本にはもう少しポジティブなメッセージが必要なのではないかと僕は思っているし、たまには前向きなことも書かないといけないよなと感じているので、今回はマネジメントにおける正の側面を書いていこうと考えている。
3日坊主になることは間違いないが、取り敢えず始めていこう。
主観的まともさ
「まともさ」のようなもの。
僕が自分でマネジメントという仕事をしている中で、自分自身に対して誇れるものがあるとするなら、それがまともさなのではないかと思っている。
もちろん、ここでいうまともさというのは、あくまでも僕基準の考え方で、そこに客観性などは存在しない。
ただ、それでも曲がりなりにも10年近くマネジメントという仕事を続けてこられたわけで、そこにはある程度の客観性が付与されていると考えてもそこまで独善的ではないのではないかと自分では思っている。
エビデンスとか客観性とか再現性とか、ちょっとそういうのにウンザリしてるんだよな
マネジメントには様々な判断が求められる局面があって、その際に拠り所となるのは、それも最後の防波堤となるのは、そのような「まともさ」への信頼であると感じている。
もちろん、多くの人はエビデンスであるとか、客観性であるとか、再現性であるとか、そのようなものを求めてくるのは事実である。
でも、それらはあくまでもデータに過ぎない。
「そのような数値を入力すれば、こういう出力が出る、そしてそのスコアはこうである」というような考え方は、確かに一見納得的であるように思える。
ただ、それだけでは判断の根拠としては心もとない。
というか、そこに意思は存在しない。
煩悩に塗れてないこと
僕たちマネージャーに必要なのは、判断に意思を混ぜ込むことである。
そこに想いを入れることである。
スコアリングをするだけなら、AIの方が僕たちよりも何十倍も優秀だから。
ただ、意思や想いによって判断を下す為には、そのような意思や想いが汚染されていないことが必要である。
汚染というのは、そこに「人によく思われたい」とか「偉くなりたい」とか「金が欲しい」とか、そういう考えが含まれていることをここでは指す。
そして、多くのマネージャーが判断に迷うのは(迷うように見えるのは)、そのような邪念が判断に含まれてしまうからである。
そういう意味において、僕は自分の「まともさ」を信頼している。
少なくとも、僕にはそのような考え方はないから。
主観性にもう少し重きを
客観性と主観性。
このバランスを取ることがマネジメントには求められる。
そして、現在のような環境では、それが客観性に傾きすぎていると僕は感じている。
ただ、そこに主観性を入れる為には、その主観を入れる当事者への信頼が必要となる。
「その人がそのような判断をするなら、それは信頼できる」
それがマネジメントを動的にしていく。
AIには欲望が存在しない
客観性に基づいたマネジメントには熱が存在しない。
そして、欲望が存在しない。
AIの判断に僕が疑念を持っているのは、正にそれらに欲望が存在しないからである。
食欲も睡眠欲も性欲もないモノに、僕は判断を預けられる気がしない。
確かにそのような欲望は、判断を濁らせる可能性がある(人間の歴史において多くの判断が欲望によって歪められてきたことは敢えてここで触れなくても十分だろう?)。
でも、その濁りこそが、判断に信頼を与え得る。
そして、その信頼があるからこそ、チームは前に進んでいくことができる。
まともさへの感度の向上
僕はマネージャーになった約10年前と比べて、現在のほうが、「まともさ」に対する感度が上がっているように感じている。
それはそこにいる人たち(特に若手)が「公正さ」みたいなものに重きを置くようになったことが関係していると考えている。
以前よりも、まともな行動に対する価値が上がっているように思うのだ。
それは前時代のマネジメントをきっと駆逐していくはずだ。
正しさへの懐疑とまともさへの信頼
僕は以前に比べて、自分の言う「青臭い綺麗事」がスッと浸透していっていることを肌で感じる。
それは左とか右とかそういう話ではなくて、たくさんの「正しさ」への懐疑が生じる中において、僕の「まともさ」が周囲の人間たちにそれなりに認められているからだと思っている。
そして、そのような感性があることはとてもポジティブなことだと思うのだ。
若手の方がマシ
確かに、日本にはたくさんの問題がある。
また、何となく、日に日に悪化しているようにも感じている。
でも、同世代や年長者達と比べると、若手たちの感性は明らかにまともであると僕は思う。
それを変に染めようとするから、うまくいかないのだ。
僕は彼(彼女)らの感覚を信頼している。
そして、それらに応えられるよう、まともなマネジメントをしていきたいと考えている。
それが続けば、日本のマネジメント環境はきっと良くなっていくはずだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
ポジティブなことを書くと言って、そこまでポジティブではなかったというのが書き終えた後の印象です。
たぶん僕は根がネガティブなのでしょう。
でも、まともではあるとは思っています(狂人は自分のことをまともだと思うのもまた事実ではありますが…)。
まともさや公正さ。
今風に言えば、integrityのようなもの。
そのようなものに基づいた「正直者が馬鹿を見ない社会」の実現。
それを目指してこれからも仕事をしていきたいと考えています。
引き続き読んで頂けたら嬉しいです。