「何度言っても伝わらない」のは普通

言ったことは伝わらないもの
マネージャーになったばかりの後輩から、「なんでアイツらは言ったことをやらないんですかね?」という愚痴めいた相談を受けた。
そこで僕が言ったのは、「言ったことが伝わってないから」ということである。
また、「そもそも言ったことというのは伝わらないものである」ということも併せて話をした。
それが彼に伝わったかどうかは定かではない(というか、この文脈に即して言うなら伝わっていないというのが事実だろう)。
でも、そのようなマインドセットをすることで、マネジメント(人間関係?)における誤解を少なくすることができる。
誤解が少なくなれば、ストレスも減らすことができる。
今日はそんな話である。
それでは始めていこう。
言語によって意思疎通は可能?
マネジメントという仕事上、冒頭の彼のような悩みを持つ人は多いと思う。
反面、僕はそのようなことに悩んだ記憶があまりない。
これはたぶん、そもそもの話として、僕は他人に期待をしていないことが関係している。
人というのは、他人の話を聞かないものである。
それは何も職場に限ったことではない。
多くの人は「言語というものを介せば意思疎通は可能である」と無意識に考えているようだけれど、僕はそのような考え方は浅いと感じている。
というのも、人間が自身の考えを言語に置き換える際にまず齟齬が生じるし、それが聞き手に伝わる際にも、大きな解釈の違いが生まれるからである。
言うまでもないことであるが、1つの単語ですら、そこから受ける印象はそれぞれにとって大きく異なる。
また、それがたくさん積み重なってできた文章においては、その違いが増幅されることは明らかですらある。
僕たちにできることは、その中で微かなニュアンスを伝え合うことだけであって、その文意全てを理解し合えるなんてことはまず起こらない(だからこそ、僕たちは少しでも自分のことを分かって貰える他者に対して、あんなにも有難く思うのだろう)。
ましてや、「職場における部下」である。
伝わるなんて考える方がどうかしている。
厳しい言い方ではあるが、僕はそのように思うのである。
解釈の必要性を減らしていく
「そのようなマインドセットの有用性はわかりました。ただ、言葉が伝わらないことを前提とするなら、どのように仕事を進めていけばいいのでしょうか?」
その疑問はもっともである。
それに対し、僕はこのように答えたいと思う。
「文意やニュアンスを介在させる必要性がある仕事をできるだけ少なくする」
どういう意味か?
これは物事を単純化させるということである。
また、仕組み化するということでもある。
ホウレンソウがなくても問題ない状態を
よく「仕事においては、ホウ(報告)・レン(連絡)・ソウ(相談)が大事である」ということが言われるけれど、それがなくても進められる状態が実現できている方がより望ましいと僕は思うのだ。
報告も連絡も相談もなく、部下が仕事を進められるなら、それに越したことはない。
その為に、仕事を単純化し、仕組み化していく。
それがマネジメントなのである。
権限を委譲する
これは言い方を変えれば、「権限を委譲する」ということになるのかもしれない。
また、「意思決定を部下に任せる」と言うこともできる。
要は、マネージャーの言うことが伝わなくても、部下が適切に仕事することができていればいいのである。
極限まで単純化する
「いやいや、その意思決定のやり方や方針を部下に理解させる為に、マネージャーの考え方や価値観を伝える必要があるんじゃないですか。そこが伝わないから悩んでいるんですよ」
そのような声が聞こえてくる。
そして、その言い分もごもっともだと思う。
ただ、僕が思うのは、そこにマネージャーの考え方や価値観を介在させる必要はないし、また介在させなくても仕事がワークするような状態になるまで単純化(仕組み化)してしまえばいいのではないか、ということである。
非常に大雑把な言い方ではあるが、「ベルトコンベヤーに流れてくる製品を箱に入れる」という作業には、そこまで大きな判断は求められないだろう。
そうやって、仕事を細分化していく。
対話で乖離を埋めていく
でも、これだけだと「考えない部下」が生まれてしまう。
だから対話を行うのである。
冒頭の彼もそうであるが、「部下に何度言っても伝わらない」と相談してくるマネージャーの多くは、部下とあまり対話をしていないものである。
自分ではそれなりに部下と話をしていると思っているようであるが、僕からすれば圧倒的に部下との対話量が足りないように感じる。
その労力なくして、部下に話が伝わらないと嘆くのは、怠慢なのではないか?
そんなことすら思ってしまうのである。
大事なことは志向性
僕は他者に期待をしていない。
話が通じるなんてことは幻想ですらあると考えている。
でも、たとえそうであっても、その試みをやめてはいけないのだとも考えている。
大事なことは「志向性」である。
何かに向かう道中にこそ、その価値がある。
叶わないことを嘆くのではなく、また叶えようと躍起になるのでもなく、その方向に向かおうとすること。
それがマネジメントにとって重要なのではないか?
僕はそのように思うのである。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
考えなくてもいい状態と考える状態。
これを適切に作り分けることが大事です。
特に日本においては「行間を読む」とか「忖度をする」とか、そのような言語の読み取り方について(無駄な)労力を払っていると僕は考えているのですが、それを失くす(少なくする)だけで、コミュニケーションの精度は簡単に上がってきます。
その上で、徹底的に対話を行うことで、考えられる部下を作っていくこと。
簡単ではないですが、諦めずに取り組んでいきましょう。