常識的に考える(判断力の磨き方)

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行くべきか、戻るべきか、それが問題だ

マネージャーは日々判断を求められる。

ちょっとしたことから大きなことまで、その対象は様々だ。

その際にどのような根拠に基づいて判断をするべきなのか?

その判断は妥当なのか?

マネージャーになりたての頃は、このことによく悩んだものだった。

ある程度の方向性というか、道筋が定まっているものであれば、その道中での判断はそんなに難しいことではない。

それに多少の寄り道は許容される。

でも、道標も何もない状態で、空白の道の真ん中にぽつんと立たされた時に、どちらの方向に進むべきか(そもそも進むべきなのか)を判断するのはとても難しい。

更に悪いことに、ここには情報の非対称性が存在する。

そして部下との利益相反が存在する(場合がある)。

部下は部下なりに自分の思う方向にコトを進めたいと思っている。

その為に必要と思われる情報だけを上司に伝え、上司も同じ方向を向くように誘導しようとする。

意識的にせよ、無意識的にせよ、これは紛れもない事実だ。

マネージャーはその断片的な情報からもう少し大局的な判断をしなくてはならない。

その言葉の裏側、奥の方に潜んでいるリスクを勘案し、進むべき方向を決めなくてはならない。

情報が足りない状況においては常識を総動員する

その時に頼りになるのは「自分の常識」だ。

今までの経験に基づいて想定されるリスクを「嗅ぎ取る」

簡単な質問を部下に投げかけてみる。

その時の反応をよく観察する。

それが納得的であれば、部下と共に同じ方向へ歩き出す。

でももしそうでないなら、一旦立ち止まって問題をもう少し深堀りしてみる。

考えられうるリスクを部下にも投げかけてみる。

そこで「対話」を行う。

マネージャーが部下をねじ伏せようするのではなく、ただ純粋な疑問として、同じ地平に立って、そのことについて話し合う。

マネージャーも部下も運命共同体であるからだ。

歩いて行った先が地獄であるのであれば、その報いを受けるのはチーム全体であるからだ。

新しい試みであれば、マネージャーも部下も手持ちの情報はごく僅かだ。

その手元の情報を持ち寄って、少しでも可能性があるかどうかを探る。

対象領域の情報が限られている場合には(多くの場合はそうであるが)、それ以外の経験的な知識(常識)を総動員する。

論理的に筋が通るものであれば、それに対してゴーサインを出す。

そうでないものについては、一旦ストップさせる。

僕の経験上では、ここで疑念が残った場合には大体その案件は失敗する。

不確実性が残るのは構わないのだけれど、何というか、論理的に、常識的に納得できないものは、大抵ダメになる。

そういうものだ、としか言えないけれど、これは実際にそうなるから不思議だ。

出発地点で手を振るだけのマネージャーはスルーされる

成功も、失敗も、自分がリスクを取って判断をすると、それを繰り返していくと、自分の判断にだんだんと自信が持てるようになってくる。

大抵の臆病なマネージャーは自分で判断をしようとせず、更に上司(部長等)にその判断を委ねる自分の責任を極小化しようとする。

それ自体は悪いことではないと思うが、個人的にはマネージャーはある程度自分で判断する経験を積んだ方が良いと思う。

自分の判断に対する不安感を体験した方が良いと思う。

その経験がないままマネージャーを続けていくと、部下はだんだんとマネージャーに相談しなくなってくる。

それは1つには「どうせ判断が下せないだろう」と軽んじられてしまうからで、もう1つは「直接部長に相談しよう」となるからだ。

更に悪いことに、自分でリスクを負おうとしないマネージャーは、往々にして失敗した際の責任を部下に押し付けようとする

これはチームマネジメント上も非常に良くない。

チームにとって大事なのはマネージャーが部下と同じ方向を向くことだ。

その進行方向が霧に包まれていても、その方向に一緒に歩いて行くことだ。

少なくとも出発地点で「大丈夫だ」「きっとできるよ」と励ますだけ、手を振るだけでは絶対にダメだ。

できるだけの装備を携えて、霧に向かって歩いて行く。

失敗も大きな経験だ。

部下と共に傷を負おう。

それが次の常識になる。

マネージャーの判断の積み重ねが、チームの無意識下の行動の判断材料になる

この小さなリスクテイクを反復的に繰り返していくと、マネージャーは大きく成長することができると思う。

ごく単純化して言うのであれば、管理職というのは「判断力」が非常に求められるからだ。

それは何も大きな話でなくてもいい。

日常的な掛け合いの中でも、マネージャーは日々判断力を問われていく。

その小さな判断の積み重ねが、チームの無意識下の判断材料になっていく。

「確か同じような場面で、課長はこういう風に言っていたな」ということがチームのメンバーに浸透していく。

これが文化になる。

部下の一挙手一投足をマネージャーが管理することは不可能だ。

その無意識下の行動をできるだけ良いものにしていくことがチームの向上に繋がる。

その為にはマネージャーの判断力が本当に大事になる。

判断力を磨く為には、同語反復的ではあるものの、たくさん判断をするしかない。

そのリスクと不確かさを味わうしかない。

脇の下に汗をかきながら、決断をするしかない。

そこで信じられるのは自分自身だけだ。

自分の「常識」だけだ。

自信を持って判断しよう。

それは思いのほか正しいものだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

「リスクを取る」というのはマネージャーの成長に欠かすことができない要素だと思います。

できるだけ安全に歩きたい、という気持ちはとてもよくわかるのですが、ある程度の危険を冒さなければメンバーからの信頼を得ることはできません。

限られた情報と時間軸の中で、最善だと思われる手を打ち続ける。

そう考えた筋道を部下と共有し続ける。

こういう過程を共有することがチームを少しずつ強くしていくのだと僕は思います。

今でも冷汗は止まらないことは変わりませんが、1つ1つリスクを負って判断していきましょう。