答えがない問題集を解き続ける

暗中模索
マネジメントには答えがない。
日々の言動が正しかったのか、判断が妥当だったのか、わからないまま日々仕事を続けていく。
部下との面談での感情の昂り。
そこでの会話のやりとり。
言葉のチョイスを間違ったのではないか、トーンは別の方が良かったのではないか、そんなことを日々考えている。
そしてその「答え」は誰も教えてくれない。
自問自答を続けるしかない。
寄る辺となる自分自身の感性ほど信じられないものはない。
卑小な自分が背伸びをしたところで、そこに急に徳性が宿る訳もなく、等身大のままどうしようもない言葉をまき散らしていく。
その度に自己嫌悪に襲われる。
家に帰るまでの電車の中で、その場面が繰り返し頭の中でリフレインされる。
たくさんあった選択肢の中でそれを選んでしまった自分に対しての疑念が次々と浮かんでは消えていく。
面談の終わりの状況を振り返って、そうでなかった世界線に思いを馳せる。
でもその車窓に映るのは結局自分自身でしかない。
ため息をついて、自宅へと辿りつき、浴槽の中でも同じことを考え続ける。
ベッドに横たわり、暗闇の中で天井を睨みながら、同じことを考え続ける。
そして朝が来て、同じような顔をして仕事に向かう。
これが日々繰り返されていく。
人間というヘドロの塊に手を突っ込む
マネジメントの仕事は本当に答えがないものだと思う。
ある事象に対して、その時は最善だと思って対処をしているのだけれど、その選択肢がどのような影響を及ぼしていくのか、それがどれくらいの広がりを見せていくのか、それがずっとわからないままでいる。
問題集の後ろのページについている答えのように、都度それが正しかったのかを確かめられれば、もう少しまともなマネージャーになれるような気がする。
というか、問題を解くことと答え合わせをすることが対になっているから、そこにはある種の達成感や気持ち良さがあるのだ。
ずっと問題を解き続けていて、その答えはわかりません(ありません)、というのでは、誰だって問題集を放り投げてしまうだろう。
そんな気分がずっと続いている。
もちろんマネージャーになりたての頃に比べれば、その判断の射程と広がりというものがだいぶわかってきてはいるが、それでも一歩踏み込んだ時の不安感は消えていない。
良いチームを作るためには、人間関係への踏み込みがある程度必要になる。
そこにあるドロドロとしたヘドロのようなものに手を突っ込んでいかなければならない。
もちろんそこに手を突っ込むことは色々なリスクを伴う。
昨今のハラスメント環境ではそのリスクは倍増される。
それでもそこに手を入れないことには、一定以上のチームを作ることはできない。
表面上「綺麗」なチームでは、圧倒的な成果を出すことはできない。
チームメンバー同士がみんな仲良くする、ということではなくて、同じ仕事をしている「同志」として、欠点も理解した上で仕事を進めていくことが非常に大事になる。
誰しも欠点はある。それは仕方のないことだ。
それでも、それすらも包含した上で、チームというのは構築されていく。
でもそこまでたどり着く為には当然ながら衝突も数多く生まれる。
そしてそこに介在することは、本当に勇気がいる。
マネージャーは人間を理解することで向上していく
マネージャーとして向上していくことは、人間を理解していくことと同義だ、と言ったら言い過ぎだろうか。
でも5年間の経験からすると、これはあながち間違っていないような気がする。
酸いも甘いも、毒皿も、全て飲み込んだ上でないと、本当に良いチームというのは構築できない。
そこには本当に深い人間理解が必要になる。
僕の社会人としてのキャリアは「営業」がベースになっているので、そこで得られた経験がこういう場面で唐突に生きていくことになる。
上手く表現ができないけれど、対話が行われている最中において、他人同士が深い理解に到達できる瞬間が訪れることがある。
琴線に触れるというか。
心のヒダに触れるというか。
しんと静まり返った薄暗闇の空間の中にいるというか。
もちろんそれは僕だけの勘違いなのかもしれない。
相手はそんなこと露にも思っていないかもしれない。
そこに答え合わせはない。
でも僕はこういう瞬間を潜り抜けた後に状況が劇的に好転することを知っている。
今まで上手く噛み合っていなかった部下との心的な距離が大きく縮まることがわかっている。
狙ってできるほどの技量は僕にはないけれど、不意に訪れたその瞬間に対して、きちっとセンターに打ち返すことはできる。
それがヒットになったかどうかは誰も教えてくれないけれど、僕の手に残った感覚は僕に自信を与えてくれる。
少しだけ自分自身を信じてもいいかなと思えるようになる。
たくさんのクエスチョンマークと共に歩き続ける
僕はマネージャーというのは本当に人間性が問われる職業だと思っている。
品性というか、器の大きさというか、ありのままの裸の存在としての徳の高さみたいなものが絶対的に必要だと思っている。
その限界を知ってしまって落ち込んでいる僕でさえ、こういう風な場面に立ち会うと、少しだけ「オレはマネージャーに向いているかもしれない」と勘違いをすることができる。
でもそれはあくまでも「自称」に過ぎない。
誰も「そうだよ!」と肯定してくれるわけではない。
そういう霧の中をただひたすらに信じて歩き続けるしかない。
未だに過去のクエスチョンマーク達が僕を苛み続けることも事実だ。
それでも俯いて佇んでいるわけにはいかない。
ひたすら前に進むしかない。
問題を解き続けるしかない。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
僕はマネジメントというものに対して考え過ぎなのかもしれません。
きっともっとポップにカジュアルに出来ればいいのでしょうが、僕の性格上どうやらそれは不可能なようです。
天性の人柄や徳性のようなものがない僕は、自分なりの試行錯誤を重ねることでしかマネージャーとしての仕事を続けることができませんでした。
そしてそれが正しいアプローチ方法だったのかは未だにわかっていません。
もしかしたら明後日の方向に歩いて来てしまっているのかもしれません。
それでも前進は前進です。
そんな風に無理やりポジティブに捉えることで何とかマネージャー業を続けられています。
参考になる部分は少ないかもしれませんが、お付き合いいただけたら幸いです。