誰にも理解されないと思ったら

UnsplashMatthew Henryが撮影した写真

マネージャーになんてならなければよかった?

マネジメントは孤独な仕事だ。

つくづくそう思う。

そして、称賛よりも非難を受けやすい仕事でもある。

褒められることなんてごく稀で、上からも下からも絶えず批判を受ける、それがマネージャーという職業である。

また、その理解者も少ない

そんな日々が続くと、「マネージャーなんてならなければよかったな…」と思うことになる。

僕はそんな感情の浮き沈みを、もう10年も経験してきている。

そんな僕からのアドバイスを今日は書いていこうと思っている。

それでは始めていこう。

私(僕)であれば

管理職は罰ゲームである。

それが定説だ。

でも、たとえそうだとしても、それがわかっていたとしても、マネージャーに成り立ての頃にはそれなりの希望を持っていた人が大半だと思う。

「罰ゲームだと思う人は、その人のやり方に問題があるからであって、私(僕)であれば、その中でも何とか楽しくやっていけるはずだ」

そのような考え方。

そして、周りの妥協ばかりしているマネージャーに対しての苛立ち。

「そんなやり方だから、マネージャーが罰ゲームだと思うのだ」

でも、罰ゲーム的な日々が続き、理不尽さに取り囲まれ続けていると、段々とその気力を失ってくる。

せめてそこに理解者がいれば救われるかもしれないのに、皆自分のことで手一杯で、他人のことを心配できるほどの余裕がある者など皆無である。

自己満足の追求

職場は殺伐としている。

相談なんて気軽にできる環境ではない。

堆積した鬱憤。

「誰にも理解されない」

そんな話を、それこそ耳が腐るほど聞いてきた。

そんな僕からアドバイスを。

「自己満足を突き詰めるしかない、よ?」

「自己満足」はネガティブな言葉。でも…

自己満足という言葉は、どちらかというとネガティブな響きを帯びた言葉である。

客観的な評価は問わず(問われず)、自分がただ満足しているだけ、そんなイメージが付与された言葉である。

でも、それでいいのではないか、と僕は思っている。

というか、それ以外に方法がないという、ある種の絶望感から僕はそう言っているのだ。

たくさんの絶望の中で

マネジメントという仕事は自信をどんどんと奪っていく仕事である。

また、人間性というものを常に問われ続ける仕事である。

しかしながら、その仕事に耐えうるだけの人間性を備えた人は殆どいないはずだ。

となると、どう頑張っても、ネガティブにならざるを得ない仕事であると僕は思う。

ましてや、罰ゲーム的環境である。

たくさんのどうにもならないことがそこにのしかかってくる。

そして、そんなに大変な仕事なのに、その大変さを理解してくれる人は皆無だ。

孤立無援。

五里霧中。

だったら、せめて自分だけでも満足させたらいいのでは?

それが僕からのアドバイスである。

まじないのようなもの

自己肯定感。

自己効力感。

自己満足をポジティブに言い換えるなら、こんな言葉が該当するのではないか、と僕は考えている。

自分を肯定できたり、自分がそこにいる意味が感じられる状態。

それがなければ、マネジメントという仕事など続けることはできない。

それは勘違いで構わない。

自己暗示のようなものでも結構だ。

過酷な環境の中で、自分は最大限努力をしているし、それなりの成果を上げている(はずだ)という信憑。

もちろん、自分よりも上手に出来る人は存在するだろうけれど、まあ及第点くらいは取れているのではないかというある種の慰撫。

それがあれば、マネジメントという仕事は続けていくことができる。

裏を返せば、それがなければ、マネジメントという仕事を続けていくことはできない。

誰かを生贄にしないのであれば。

他人を悪者にするやり方だけはしないと誓ったんだ

多くの人は、罰ゲーム的環境にあるマネジメントという仕事を続けていく為に、誰かにその罪を擦り付けているように僕には思える。

誰かを悪者にして、自分はよくできているとアピールする者ばかりだ。

またそういう人に限って、他者の大変さを甘えだと切り捨てたりする。

僕はそういう人にたくさん出会ってきた。

そして、その度に、こうはなるまい、と誓ってきた。

その誓いは少なくとも10年は破られていない

僕は僕なりの良心を保ったまま、マネジメントという仕事を続けられている。

だからこそ、僕の元にはたくさんの後輩マネージャーからの相談が来るのだろう。

安易な共感ではなく

僕は理解者でありたいと思っている。

でも、マネジメントという仕事は、その環境毎に内容が異なるのも事実で、そのような個別具体的な事象が悩みの種になっていたりするので、安易に「それ、わかるよ」と言うことはできない。

ただ、そこに通底する痛みは想像し得ると僕は思っている。

そして、同じような痛み(疼き)を僕は感じることができる。

オレを見ろよ

「私はマネジメントに向いていない」

そういう言葉。

「いや、マネジメントに向いている人なんていないよ」

僕は心からそのように思う。

でも、たとえそうであっても、その仕事を続けていくことは不可能ではない。

理解者はいなくても、自己満足に過ぎなくても、マネジメントを続けていくことはできる。

僕がその証明であるから。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

ちょっと不遜なくらいで丁度いいのでは?

僕が思うのはそういうことです。

どうせ評価なんてされないのだから、やりたいようにやればいいじゃないか?

つーか、そもそも評価されたいなんて思ってなかっただろう?

過去の僕に今の僕がアドバイスするなら、そういう言葉なのかなと思っています。

10年間マネジメントをやってきた僕が思うのは、悪魔に魂を売らずにこの仕事を続けるのは簡単なことではない、ということです。

でも同時に、それをやらなくてもそれなりの成果を出すことは可能である、ということも思います。

自己満足を追及していきましょう。