民主的マネジメントは自信のなさの現れ?

UnsplashArnaud Jaegersが撮影した写真

自信がないから部下の意見を聞く?

僕はいつの頃からか民主的なマネジメントをするようになった。

民主的マネジメントというのは、「メンバーそれぞれの意見や考え方を反映させながら戦略を構築していく」マネジメントスタイルである(今そのように定義した)。

これに対して「もっと好きなようにやったらいいんじゃない?」というお声を頂戴することがある。

「メンバーの意見なんてものは取るに足らないものだし、あなたが良いと思うものであればそのまま突き進めばいいんだよ。というか、そうできないのは自信がないからなんじゃないの?」

そのようなご意見。

それは一面においては当を得ていると思う。

ただ、自信がないから意見をメンバー委ねているという考え方はちょっと行き過ぎというか、逆に考えてなさ過ぎというか、僕にはそのように思われる。

僕がメンバーに意見を求めるのは、戦略にはメンバーの腹落ちが重要だと考えているからである。

そして、それは必ずしもメンバーの合意である必要はなく、ある程度自分の意見が反映された(もしくは意見を取り入れるべく検討してくれた)という感覚を与えることが重要なのではないか、と考えている。

今日はそんな話だ。

それでは始めていこう。

戦略自体がイケてないor戦略を部下に腹落ちさせられていない

僕はマネジメントにおいて重要なことは成果を出すことだと考えている。

でも、成果というのは簡単に出るものではない。

多くのマネージャーは、それをわかっているようでわかっていないと僕には感じられる。

そこには2つの問題点がある。

1つは、戦略自体がイケてないこと。

もう1つは、戦略を部下に腹落ちさせられていないこと。

戦略自体がイケていないことについては、その対処方法などを他のブログに書いているのでそちらの方をご参照頂きたい。

今日は2つ目の話(戦略を部下に腹落ちさせられていないこと)について重点的に話をしていく。

戦略の独り歩き

多くのマネジメントが上手くいっていないのは、戦略を部下に腹落ちさせられていないからである。

それは「戦略が独り歩きしている」と言えないこともない。

戦略自体は悪くない(むしろ良い)のだけれど、部下がその真意などを理解していない場合、その成果は凡庸なものに留まることが多い。

そういう時、多くのマネージャーはその責任は部下にあると考えるようだ。

「なぜ、こんなにも良い戦略なのに、上手くいかないんだ!」

「あいつらは理解力が乏しい!」

そのように思ってしまう。

戦略を浸透させるのはかなり重要な仕事

もちろん、そういった傾向があることは否定しない。

でも、マネージャーであれば、それを勘定に入れた上で戦略を立てなければいけないのではないかとも感じる。

となると、部下に戦略を浸透させる(腹落ちをさせる)ことはマネジメントにおいてもかなり優先順位の高い仕事であると言える。

ただ、このことを理解したり、重点的に取り組んだりしている人はそう多くないというのが僕の実感である。

独善的なだけでは?

「戦略が良ければ、後は勝手にやるでしょ」

そのような態度。

それは自信があると言えばあると言えるのかもしれない。

でも、僕からすれば、ちょっと独りよがりというか、独善的というか、前時代的というか、そのように感じるのである。

軟弱なだけ?

一方、メンバーからの意見を取り入れながら戦略を構築するというやり方は、この腹落ちの部分をスムーズに解決しやすくなるという利点がある。

ただし、その方法は手間と時間がかかるし、ある面においては軟弱だと映るようだ。

確かに部下の意見をそのままの形で受け入れるのであればそれはそうだろうと思う。

でも、そこに対話があり、自分自身もそこに理があると納得したのであれば、そこに自信の有無は関係ないように思う。

というか、この辺の考え方がマネジメントに対する根本的な考え方の違いなのではないかと感じている。

リーダーシップ型マネジメントの問題点

前時代であれば、マネジメントというのは言わばリーダーシップであり、「部下を率いていく」ことが最優先に挙げられていたように思う。

ただ、現代ではそれは通用しない。

もちろん、リーダーにカリスマ的な魅力があれば違うのかもしれないけれど、そうでないのであれば、このリーダーシップ型マネジメントスタイルはあまり有効ではないと僕は思う。

もっと言うのであれば、そのような考え方こそが日本のこの30年以上に亘る停滞の要因の1つだと思うのだ。

良ければ受け入れられる訳ではない

「良いものだから受け入れられる(はずだ)」

これによって多くの企業は失敗した(特に電器産業はその大きな現れだと僕は思う)。

それはマネジメントにおいても同様だ。

「良ければみんなが付いてくる(はずだ)」

本当に良ければそうなのかもしれない。

でも、本当に良いということは稀だし、現代では通用しづらい考え方だと僕は思う。

サーバントリーダーシップは現実的な解だ

求められているのはサーバントリーダーシップなのだ(「管理職から支援職へ」というブログもご参照頂きたい)。

それはマッチョな考え方(例えば男らしさ)とは違うものである。

しかし、それこそが成果を最優先に考えたプラグマティックな考え方だとも僕は思うのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

マッチョイズムとプラグマティズム。

その2つであれば、僕は後者を選びます

男らしさとかリーダーシップとか、それが成果を挙げる為に有効なのであれば使えばいい。

でも、そうでないのであれば、それが美学の為なのであれば、使わなくてもいいのでは?

僕はリアリストです。

成果を出す為に、使えるものは何でも使っていきましょう