言うのは簡単
理想は理想、現実は現実
マネジメント業務をやるようになって、より強く感じるようになったのは、あまりにも簡単に「できないことをできると言う」人が多いということだ。
それも簡単に。
もちろん努力として、その方向に向かって進んでいく(いこう)というのは十分に理解できるのだが、その理想と現実とのギャップを簡単に跳躍してしまう人があまりにも多すぎる。
現実は現実、理想は理想だ。
そしてその齟齬を埋めるために考えたり、仕組みを作ったりするのがマネージャーの仕事であると僕は思っている。
でも世間的にはどうやらそうでもないようだ。
この理想をとにかく言っていればそれが叶うと思っている人たちがマネージャーを名乗っている。
そりゃみんなうんざりするよな。
マネージャーになんてなりたくないよな。
現実と理想のギャップをうまく認識できていない?
もう少し言うと、このような理想論の表明は、あくまでもオフィシャルな外向きの発言であって、真意は別なところにある、という表裏の世界があるのかな、と思っていたのだけれど、それも違うようだ。
彼らは本心からそれを信じ込んでいる。
というよりも、現実と理想のギャップに対する認識がとても甘いように見受けられる。
それを「努力」や「根性」で埋められると思っているように感じられる。
かつてはそういう時代もあったのだろう、と僕は思う。
そのような精神力によって乗り越えられたものもあったのだろう。
でも現代は違う。
現実は現実、理想は理想だ。
個人の努力でどうにかなるようなシロモノではない。
そこを体感として理解することから、マネジメントはスタートする。
現実的な議論を
誤解がないように言うと、これは「できません」「できません」と全てを拒む姿勢とは違うものだ。
現状の戦力を現実的に分析し、そこにある程度のストレッチをかけた時にどのくらいまでできるようになるのか、ということを冷徹に見つめる。
その上で、やらなければならない理想の数字との乖離を認識し、そのギャップは埋められる可能性があるのか、そうでないかを冷静に判断する。
もし埋められないのであれば、どのくらいまでをやるべきなのかを示していく。
これがマネジメントにおいてとても大事だと思う。
言葉が通じない?
マネージャーはマネージャーで、その上司からボディーブローのように日々無理難題を押し付けられていると、思考停止になってしまって、考えることなく勝手に口が動いてしまう、という状況もわからないではない。
でも、それはNGだ。
もちろん大抵の上司は理解のない、どうしようもない人ばかりなので、そこで現実的な数字を振りかざしたところで煙たがられるのが関の山であるのは事実だ。
それでも、その言葉(指示)を自分なりに咀嚼して、部下に伝達しなければ、マネージャーはただのオウムに成り下がってしまう。
でも、この話は大抵のマネージャーには伝わらない。
上手く言えないけれど、言葉が通じないのだ。
決して分かり合えないのだ。
「今すべきこと」を考えることができるのは当たり前のことじゃない
僕はとても現実的な人間であると思う。
もちろん青臭いこともたくさん言うし、到達できそうもない理想論を振りかざしたりもするけれど、そこに1歩でも近づくために「今すべきこと」を考えることができると思っている。
そんなの当たり前じゃないか、とあなたは言うかもしれない。
でも僕がマネージャーを経験して思うのは、それが当たり前じゃない人ばかりだということだ。
「全部」はできない
どこかで書いたように、マネジメントの要諦は「捨てる」作業にある。
何をやらないのかを決めることは痛みを伴う。
でもそれをやらなければ、戦力を集中させることはできないし、成果を上げることはできない。
それは自明のことなのに、軽々しく「全部できる」なんてことを言ったりする人が多すぎる。
全部はできない。
それはやる気がないとか、勇気がない、とかそういう精神論の問題ではない。
事実として、現実として、できない、それだけのことだ。
裏を返せば、できることは何なのか、ということを考え抜いた先に、成果というものは付いてくる。
何かを捨てることは決して後ろ向きなことじゃない
往々にして、「捨てる」作業の過程においては、後ろ向きなことを言う空気を読めない奴というレッテルを貼られがちだ。
もうそろそろそういう非現実的な段階は越えた方がいいんじゃないか。
そんなことを言っている場合ではないはずなのに、まだ気持ちがあれば何とかできると思っている人が多すぎる。
気持ちでは無理だ。
やる気では無理だ。
もちろん精神力は必要だ。
でもそれはある種の論理や数理の上に立ったものでなければ、なんの実態もないものに成り下がってしまう。
雰囲気になってしまう。
僕は自分の言う言葉に責任を持って仕事をしていきたい。
そういうことに纏わる余計な説明抜きに、本質を捉えた議論を行っていきたい。
その前段でごちゃごちゃ言う人たちに限って、成果を出すこともできずに、環境のせいにしたりしている。
空中戦でなくて、地上戦。
プロセスでなくて、成果。
そこに一直線に向かっていきたい。
その為には軽々しく「できる」なんて言ってはいけないと僕は思っている。
というか、「できる」というのであれば、それを論理的・数理的に説明できなければダメだと僕は思っている。
そこにリーダーシップというものは生じるのだろう。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
言葉が通じない人達と話をするのはとても体力を使います。
今でこそ過去の実績があるからだいぶ楽になりましたが、それこそちょっと前までは「イキっている小僧」というように捉えられていたので、それはそれは大変でした。
もちろん属人的な性格の悪さ(人間的な未熟さ)があることは事実なのですが、それを差し引いても、あまりにも辛い日々を僕は送ってきました。
往々にして「正論」を言う奴は煙たがられます。
でも時代は変わり、成果を出さないと会社自体が生き残れない時代になってきました。
そして若手たちは「正論」を求めているようにも感じます。
そのような状況の中で、負け犬の遠吠えにならない為には、何よりも成果という証明書が必要です。
大人たちに潰されないように地道に少しずつ成果を出していきましょう。