チームに会議は必要か?

大人たちは会議が大好きだ

僕自身は流動的なチームを好むので、正直言って会議のようなカチッとしたスタイルのものは不要だと考えている。

でも会社という組織に属している以上、会議というものからは逃れることができないのも事実だ。

今までの経験上、会議で何かが明確になったことは一度もないのに、なぜか大人たちは会議という形態をもの凄く好む

これが僕には不思議でならない。

会議=報告会?

先進的な会社の場合は違うのかもしれないけれど、僕がいつも参加している会議というのは「報告会」という要素が強いものだ。

組織の上の方にいる人達に対して、現状はこうなっております、どうかお収め下さい、みたいなことをそれぞれがバラバラと申し上げることを会議と呼んでいる。

たぶん上の方にいる人達だってその内容は既にわかっているはずで、その会議の中で目新しい内容が報告されることはない

というより、いきなり会議の場で目新しいことを言うと後でどやされるので、事前にネゴっておく必要があるのが現実だ。

となると、会議というのはそもそも何の為に、誰の為にやっているのか、ということが頭をもたげてくる。

それぞれが自分の立場から言いたいことを言いたいように言って(言いっ放しにして)、合意が形成されるわけでもない。

ただ、それぞれから放たれた言葉が空中に広がって、残響と共に会議が終わる。

そして何かが始まる訳でもない

この時間は何なのだろう、と僕はいつも思う。

でもなぜかそれを言うのはタブーのようだ。

具体性こそが必要なのに

そんな風に考えているので、僕はチーム内では会議を行わない。

朝会とかでちょっとオフィシャルなことを言ったりすることもあるけれど、大抵のチームの方向性はいつも座っている座席のところで、みんなと雑談しながら決めることが多い。

もう少し正確に言うと、雑談の中で出てきたアイディアみたいなものを、面談を通じて少しずつ固めていって、また雑談の場に戻してみんなの意見を聞いて、それをペーパーに纏めて、朝会の場で話す、という形式を取ることが多い。

少なくとも、それでチームに問題が起こったことはない。

会議という形態を取らなくても、チームは円滑に動いていく。

そこでのキーワードは「具体性」だ。

生の声を聞いて、それを一旦抽象概念として扱って、それをまた具体化して皆に下ろす。

こういう作業工程を踏んで、僕は戦略や戦術を練っている。

「一生懸命頑張る」という毒にも薬にもならない結論

でも会議というのは、この工程がどれもあやふやだ。

何となく抽象化しているような雰囲気は出すのだけれど、具体性を深堀りして出てきた抽象概念ではないので、何となくフワフワした印象論みたいなものが議題として出てくる。

そしてそこから出てくる結論は、「一生懸命頑張る」というような、結局何をどう頑張るのかわからないようなものになる。

そして頭の良い人たちはこれを具体化と呼んでいる。

僕には本当に不思議でならない。

パラレルワールドに迷い込んだみたいに、キツネにつままれたみたいに、僕は会議の場を後にすることになる。

空気を読めよ、という圧力

「いやいや、そんなことを言うのであれば、会議でもっと発言して、会議を活性化すればいいんじゃないか? 自分も参加しているのに、それを他の人のせいにするのは狡くないか?」

その疑問はもっともだし、僕だってそれを試みたことは何度もある。

でも、いつも「こいつは何を言っているんだ?」という反応があるだけだった。

そういうことを決めるのはこの場じゃないんだよ、というレスポンスが待ち受けているだけだった。

簡単に言うと、場を乱すな、ということだ。

そんなものやめてしまえばいいのに。

会議=儀式?

確かに、会議をやるということ自体に意義がある、という意見もわからないではない。

それは儀式のようなもので、「会議で決めたのでみんなきちんとやりましょう」という公式見解を表明する場、というような意味合いがあることも認める。

でもさ、と僕は思うのだ。

この不毛な時間は何なのだ、と。

意味のあることを

たぶん日本の学校教育が良くないのだろうけれど、僕らは学生時代から、間違いを犯したくないというような信念に縛られている。

会議の場で頓珍漢なことを言いたくない、それによってみんなに馬鹿にされたくない、という心性が染みついている。

だから、会議の場で意見を出ることは稀だ(もう少し意地悪く言うと、会議の場で発言する奴は、「そういう奴」であることが多い)。

それを活性化させようという無理な努力をするのであれば、僕はもっと小さな集まりの場で、もう少しリラックスした環境で、打ち解けた話をする方が意味があると思う。

良いことも悪いこともぶっちゃけた中で、「じゃあどうしようか?」ということを腹を割って話していく方が何倍も効果的だ。

メンバーが普段思っている何気ないアイディアを抽象化して、汎用性を持たせて、それを具体的な形に変える作業。

それをメンバーにぶつけてみて、その反応を基に、更に良いものに改善していく。

そういう「意味のある」ことを僕はしていきたいと考えている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

みんな意味がないと思っているのに、仕方なくやっているものがたくさんあります。

その1つが会議です。

準備も面倒だし、労力もかかるのに、効果は殆どない。

でも何となく惰性で続けている

そういうものを一度やめてみたらいいような気がしています。

日本社会が本気で生産性を高めようとするのであれば、同調圧力を排して、みんなが本音ベースで話をする必要があると僕は思っています。

誰もがアホくさいと思っていることをやめるだけで、社会の状況は大きく変わるはずです。

空気を読まずに、ゼロベースで、そもそも論で、発言してきましょう。