鷹揚に構える

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速さと遅さ

プレイヤーに求められるものが速さであるのに対して、マネージャーに求められるものは遅さだ、といったら言い過ぎだろうか?

ここで言う速さというのは、レスポンス的なイメージで、ツーと言えばカーというような、パンパンと物事が進んでいくイメージを僕は持っている。

顧客からの依頼事項にどんどん応えていく。

それをできるだけ速いサイクルで回していく

それが「できるプレイヤー」のイメージだ。

でもその延長線上に「できるマネージャー」もいるかというと、必ずしもそうではない、というのが今回のテーマだ。

武道の極意のように

速さを受け止めて、その流れをゆったりとしたものに変換する。

場にゆとりというか、余裕を生じさせる。

そんなものがマネージャーには必要な気がしている。

それは武道の極意のようなイメージだ。

何の型にも囚われずに、ゆったりと自然体で構えているのが一番強い。

相手の動きを先読みしすぎていたり、考えすぎていたりすると、瞬時に反応できないように、なるべく何も考えず、その場にすっといる、ようにしていると、どんな場面にも対応できる。

そしてマネージャーに必要なのは、この「どんなことにも(冷静に)対応できる」という信頼感だ。

メンバーが窮地に陥った時に、後ろにマネージャーがいるので何とかなりそうだ、という安心感だ。

最近はそんなことを考えている。

能ある鷹は爪を隠す

マネージャーになりたての時にやりがちなのが、自分の力を誇示しようとすることだ。

スタープレイヤーであった自分の、その多方面に亘る類まれなる力を、存分に発揮しようとする。

プレイングマネージャーとか、カリスママネージャーとか、そういう名前が余計にそういう傾向を助長しているのだと思う。

でも、マネージャーを5年以上経験して今思うのは、そういう力は土壇場になってから発揮すればいいのだな、ということだ。

能ある鷹は爪を隠す、ではないけれど、普段は暇そうな、使えないマネージャーを演じていて、本当に力が必要な時にどんっと出力を上げる、そんなイメージで構わないのだな、ということだ。

自分の力で解決しようとするのはプレイヤーだけでいいのだ。

それ以外の力を使って解決しようとするのがマネージャーの仕事なのだ。

このイメージがあるかないかでは、仕事の方向性が大きく異なる。

大事な場面にはスローモーションが使われる

前者はちゃきちゃきとしていて、後者はのろのろしている。

でも、この「のろのろ」こそがマネージャーには必要なのだ。

もう少しカッコつけて言うのであれば、「大局観」というか、「大きな視点」から物事を眺めていくことがマネージャーには求められる。

目の前の事象をスピード感を持ってどんどん片づけていくことはもちろん大事なことではあるけれど、本当に大事なのは、その事象はなぜそのような形を伴って我々のところに来るのか、それを改善する方法はないのか、ということを考えることだ。

スピードが上がると視野が狭まるように、映画などの大事な場面でスローモーションが使われるように、僕らの心には、ゆっくりとしたものに対する「尊崇」のような気持ちがある。

「落ち着いている」という安心感がある。

それをメンバーに与えることがとても大事なのだと思う。

かかっているなら要注意

チームのスピードが上がっていること自体は悪いことではない。

でも、それが「焦らされている」ような感じであるのであれば注意が必要だ。

何かしらのミスや問題が持ち上がる可能性が高いからだ。

そのようなある種「かかっている」状況の中で、マネージャーは錨のように、重石のように、そこに存在しなければならない。

時にはスピードを落として、遠くを見るようにみんなを導かなければならない。

腹を括っていれば部下は自発的に動く

僕はよく「よきにはからえ」という言い方をするけれど、基本的にはメンバーが良いように、気持ち良いように物事を判断すればいい、と考えている。

人によってはそれは責任放棄だというのかもしれないけれど、最終的な責任は僕が負えばいい(そして実際に負う)と僕は考えている。

そのような腹の括り方と、メンバーへの信頼が僕にはある。

マネージャーが腹を括っていれば、メンバーは自発的に動くものなのだ。

もっと言うと、そのようにマネージャーが構えていると、存外問題というものは起こらないものなのだ。

こじんまりと仕事する人たちの中で

国家や社会や組織などに信頼感が失われている現在において、頼れるのは自分だけだと、みんな何となく思っているような気がする。

火の粉ができるだけ降りかかってこないように、責任を負わなくて済むように(誰かのせいにできるように)こじんまりと仕事をしている人が多いような感じがする。

そのような環境の中で、マネージャーが鷹揚に構えていると、外部環境との落差もあって、信頼感が増すことは間違いない。

僕ははしごを外さないし、部下のせいにしない。

全部マネージャーが悪いとまでは思えないけれど、大部分はマネージャーの責任だと思っている。

最終的には会社を去ることになっても、たぶん僕の実力であれば、どこかでは働けるという自信もある。

管理職から支援職へ」でも挙げたことであるが、多少の失敗も許容しながら部下を支援していくことがこれからのマネージャーには必要だし、それをする為には腹を括っていなければいけない。

そんなことを考えながら、僕はまた今日もテキトーなことを言い続けている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

思い出補正がかかっていることは承知の上で言うと、大物が減ったなあ、と最近は良く思います。

みんな自分のことを考えるのに精一杯で、他の人まで構っている余裕はない、それもわかります。

視野狭窄のまま仕事をして、自分のテリトリーを小さくして、余計な厄介事に巻き込まれないようにする。

それも1つの身の守り方だとは思います。

でも僕はそうはなりたくない

そういう仕事のやり方はしたくない

それがただの自己満足に過ぎないことはわかっています。

でも仕事(人生?)において大事なのはその自己満足度です。

自分の価値観を大事にしながら仕事をしていきましょう。