職場は苦痛じゃなきゃいけない?

Working Dead

死んだような顔で働いている人は多い。

朝の通勤時、電車の向かいに座っているサラリーマン達の顔は一様に暗い

そこに僕も含まれている。

もちろん、電車の中で幸せそうな顔をしていたら、それはそれで気味が悪いのかもしれないけれど、職場に着いてもその表情が明るくなることはない。

皆しかめ面をして、下を向いて、黙々と働いている。

特に朝の時間は静かだ。

挨拶の声が聞こえるので、何となくコミュニケーションをしているような感じではあるけれど、それ以外の雑談は一切ない

空調の音だけが聞こえている。

そんな職場で僕は働いている。

みなさんはどうだろうか?

雑談を禁止すると成果が上がる?

昭和時代の部活と同じように、笑うことは厳禁だ。

なぜ笑っているのか、と糾弾される可能性があるからだ。

職場において笑うとはなんて不謹慎な奴なんだ。

冗談みたいな話だけれど、本当にこんな風に考えるマネージャーはいる。

多いと言ってもいいかもしれない。

そういうマネージャーは実際に雑談を禁止したりしている。

余計な無駄口は叩かずに、仕事に集中しろ、ということらしい。

僕は基本的に成果で判断するので、そのルールによって成果が出ているのであれば、他のチームだし、とやかく言う必要はないのだろうけれど、こういうチームの成果が上がっている場面に出会ったことはない。

一度たりとも

当然だよな、と僕は思う。

でも、どうやら他の多くの人にとってそれは当然ではないようだ。

0から1を生み出す為に雑談は不可欠だ

同じことを繰り返していくこと、同質のものを生産していくこと、昭和時代であれば、それは尊い行為であったのだろう。

でも、現代において大事なのは、0から1を生み出すことだ。

新しい発想を持ちこんで、風を吹き込むことだ。

そこにはある種の「不真面目さ」が求められる。

目の前の対象から離れた、俯瞰した視点が必要とされる。

自己と他者と第三者の立場を入れ替えながら、ツッコミを入れ続けながら、リーン的に物事を構築していく。

その際に「雑談」は不可欠だ。

ジャパン・アズ・ナンバーワンと失われた30年

ひと頃前、スポーツ選手が試合中に笑った時に「真面目にやれ!」と青筋を立てていたような人が未だに職場には存在する。

喧嘩を売るような話になってしまうけれど、真面目にやれば成果が上がるのだろうか?

いや、ここで言う真面目というのは、仏頂面をしてつまらなそうに働くこと求道者のようなイメージで働くこと、を指すのだろう。

職人的な仕事であれば、それは必要なのかもしれない。

でも、それによって僕たち日本人は世界から何週も遅れることになったのではないか?

たぶん、歴史のある地点でパラダイムシフトが起こったのだ。

ジャパン・アズ・ナンバーワンと失われた30年のどこかで。

でもまだ僕らはその幻影に憑りつかれている

かつての成功体験を捨てきれずにいる。

アイディアのインプロビゼーション

僕たち日本人は1を10にする仕事は大得意だ。

「カイゼン」を続け、換骨奪胎をし、色々なものと混ぜ合わせて新しいものを創造していく。

黙々と地道にそれを続けていく。

それで僕たちは成功してきた。

でもたぶんそれだけではもうダメなのだ。

0を1にしなければならないのだ。

それは何も発明家になれということではない。

些細なインスピレーションを組み合わせて、下らない話に盛り上がって、物事を進めていく。

波が波を呼ぶように、発想が発想を呼ぶように、創発的に仕事をしていく。

アイディアのインプロビゼーション

それを生むためには少なくとも職場が苦痛でないことが必要だ。

黒と濃いグレーの間で

僕たちは奴隷ではない

労働は必ずしも苦役ではない

僕が社畜論を好まないのも関係しているのだと思う。

もちろん色々な会社がある。

ブラックから濃いグレーまで、一様に(笑)。

そんな暗い日々の中で、僕らは光明を探し、何とか日々を明るいものにしようと藻掻いている。

忙しいフリをしなくちゃいけなかったり、みんな帰るまで残っていなくちゃいけなかったり、そういう前時代的なものはもうやめにしないか?

大事なのは成果だろう?

パフォーマンスの出来だろう?

職場で笑っちゃいけないとか、不謹慎だとか、不真面目だとか、僕には全く理解ができない(部活の時に水を飲んじゃいけなかった時のような理不尽さを感じる)。

それで成果が出ていないのであれば、いくらでも批判は受け止めるけれど、僕はそのような「真面目な」人達と比べて圧倒的な成果を残し続けている。

そして残業も殆どない。

会社にとってどちらが有用なのだろうか?

僕たちを起点として

僕は空気を読まずに、同調圧力に屈せずに、チームとして圧倒的な成果を残し続けているし、これからもそれを続けるつもりだ。

彼らが前時代的な仕事を続ければ続けるほど、僕たちの相対的な優位は揺るがないのだろう。

でも大事なのは相対性ではなく絶対性なのだ。

日本社会全体の生産性を上げることなのだ。

楽しく濃密に、それこそのめり込むみたいに仕事ができれば、短時間で圧倒的な成果を出すことができる。

それはコストカットによる生産性向上とは大きく異なる方法論だと思う。

無能なマネージャーたちと、優秀な部下たち。

上に行けば行くほど、能力が落ちていく構造はいつまでも変わらない。

僕たちの代でそれを変えていかないか?

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

日本人が諸外国の人に比べて幸福を感じないのも、自殺者が多いのも、労働が苦痛である苦痛であるべきとすら思っている)ことが関係していると僕は考えています。

そして、多くの人がそれは「仕方がない」と諦めている。

でも果たしてそれは本当に「仕方がない」ことなのでしょうか?

僕は日本人に足りないのは、自分で自分のことを決める(決められる)という考え方(自己効力感)だと思っています。

誰か(お上)が決めたから仕方ないと諦める(甘える)のではなく、自分でそれを決める(変える)という自信と覚悟が必要です。

そこには当然責任が伴います。

そういう意味においては僕らは子供と一緒です。

子供のままでいるのは楽ですし、無垢な振りをして誰か(大人)のせいにしていれば、傷つかずに済みます。

でもそろそろ僕たちは自由と引き換えに責任を伴う大人にならなくてはならないのではないでしょうか?

「世間」も「社会」も所詮は個人の集まったものです。

僕たち1人1人が変われば、「世間」を変えていくことも可能だと思います。

成果を出す為の、意味のある仕事をしていきましょう。