若さは舐められがち
同じように苦しんでいる人へ
僕が管理職になって苦労したのは若さが原因だ、と言ったら他責過ぎるだろうか?
自分のことを棚に上げ過ぎだろうか?
でも今日は敢えて書こうと思う。
どこかで同じように苦しんでいる人がいるかもしれないから。
その人の助けになるかもしれないから。
マネージャー経験年数<年齢
僕は若くして管理職になった(あくまでも社内的にはということだけれど)。
それによって、必要以上の向かい風を感じるようになった。
(もちろん、ここには被害妄想的な要素がないとは言い切れないけれど、それを無視して今回は書いていく)
同じ権限を持っていても、そのマネージャーが若いか、そうでないか、によって、相手の受け止め方は変わる。
これは事実だ。
若いマネージャーの方がマネージャー経験が長くてもこれはそうだ。
5年以上の経験を経た今だって、この壁に当たることがあるくらいだ。
もう少し嫌らしい言い方をすると、僕の方が等級が上でも、若いというだけで軽んじられることがある(いや、それは若さが原因なのではなく、僕の人格的な問題があるのだろう)。
能力<年功という古臭い概念
本当にうんざりする。
でもこれは事実だ。
だからこそ、日本企業においては新陳代謝が進まないのだろう。
旧態依然とした発想が維持されるのだろう。
若さに未熟さという要素が含まれていることは否定できない。
でも僕が感じるのは、「能力<年功」という古臭い概念だ。
年上は無条件で敬え、という昭和体育会系的に時代遅れな観念だ。
もちろん、有能であれば年上の人も敬うべきだ(というか、有能さに年齢は関係ないはずだ)。
でもそうでない人が多すぎる。
大事なのは、試合で使えるかどうかだろう?
レギュラーでない先輩に必要以上に大人しくしている必要なんてあるのだろうか(もちろん最低限の儒教的な敬意は前提とした上で)?
文句があるなら実力で
ベンチに座っている連中も、文句があるなら実力で示したらどうか、と僕は思う(たぶんこういう考え方だから僕は嫌われるのだろう)。
先輩というだけで一律に尊敬されると思っている時代錯誤な連中が多すぎる。
時代は変わったのだ。
実力主義の時代なのだ。
でもそういうことを言っていると、石が飛んでくる。
たくさんの投石を浴びて、血まみれになりながら、僕は何とか生き残ってきた。
被害妄想過ぎるって?
否定はしない。
でも、もしこの文章を読んで、共感してもらえる人がいるとするなら、その人とは友達になれそうだ。
うまい酒が飲めそうだ。
人間の「深さ」は年齢とは関係ないのでは?
こういうタブー的なことは反感を買う。
それこそ若造が、と罵られる。
でも大事なのは年齢ではない。
その人がどれだけの「深さ」を持っているかだ。
僕は仕事柄、様々な年齢層のお客さんと会うけれど、それによって思うのは、人間の懐の深さというのは年齢とは関係ないのだな、ということだ。
もちろん比例的な傾向はある。
でも、子供のままのおじさんやお爺さん、おばさんやお婆さんがたくさんいることも事実だ。
反面、年齢が若くても、徳の高い人はいる。
それは苦労の度合いによるものなのかもしれない。
修羅場の経験の数なのかもしれない。
育ちの良さとか教育の賜物なのかもしれない。
はっきりとはしないけれど、少なくともそれが年齢によるものではないことだけは確かだ。
老害たちが日本をダメにしている
でも多くの人はそこまで見定めることはない。
表面的な年齢という物差しだけで相手を判断しようとする。
時折テレビや新聞紙面を賑わせたりする連中もこういう判断軸に基づいて行動しているのだろう。
店員に無礼な連中も、駅員を殴ったりする連中も、この手の考え方を持っているのだろう。
だから若者は日本から離れていくのだ。
そういう「老害」的な連中にうんざりしているから。
下らない年功序列に辟易しているから。
(今回は年齢をテーマに書いているけれど、これに加えて性別というのが大きな問題として日本社会には存在している。「女子供が」みたいな悪口が未だに罷り通る状態は本当に信じられないし、だからダメなんだよな、と僕は思っている。男性である僕が書くと、その時点である種のポジショントークになってしまうので憚られるけれど、女性管理職についてはどこかで書いてみたいと思っている。しかしながら、余計なフェミニズムを完全に排するのは不可能だし、手垢が付きすぎている議論でもあるので、正直二の足を踏んでいるのも事実だ)
年齢という尺度のウェイトを下げる
僕はフェアネスを重んじている。
もちろん、何が公平かというのは人によって議論が分かれるとは思うのだけれど、実力によって、成果によって、その人を処遇すべきだと思っている。
もちろん、年単位では成果が出なかったり、運の要素や外部環境の影響など、色々な要因はあるだろう。
それらの要因を完全に排除するのは不可能だろう。
でも、100%でなくとも、「今よりは」公平にすることは可能であるはずだ。
そういう意味においては、もう少し、「年齢」という尺度のウエイトは下げてもいいのではないかと僕は考えている(「性別」もそうだ)。
もう少し未来になったら、僕たちはスカウターみたいな機器を装着して、相手の実力を測れるようになるのかもしれない。
その人のオーラや徳の高さみたいなものを計測できるようになるのかもしれない。
そんなバカみたいなことを夢想しながら、僕は今日も仕事をしている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
誰しも自分が一番可愛い。
それは事実です。
でもその自己防衛本能が他者に向かう時には自覚的であるべきです。
自分の立場を守ろうとしていないか、ということを意識しているかいないかでは、マネジメントの方向性は大きく変わります。
たとえ自分に素晴らしい能力がなくても、その能力がないという事実を認めることができれば(他者を攻撃して貶めようとするのではなく)、マネージャーはいい仕事をすることができます。
脅かされる恐怖を楽しみながら、仕事をしていきましょう。