みんなに優しくする人は誰からも信頼されない
多くの人と濃い人間関係を築くことは不可能に近い
マネジメントのジレンマとして、「少なく濃く」or「多く薄く」というものがある。
これは少数の人と濃い人間関係を築くか、多くの人と薄い人間関係を築くか、ということで、どちらも両立させた「多くの人と濃い人間関係を築く」というのは不可能に近いということだ。
もちろん、本当に優れたマネージャーであれば、両立することも可能なのかもしれない。
でも僕のような凡庸なマネージャーにはそれはできない。
というか、大半のマネージャーにとってもきっとそうだ。
「いや、私は多くのメンバーと良い人間関係を築いていますよ」という人もいるかもしれない。
それはたぶん思い込みだ。
マネージャー側はそう思っているかもしれないが、向こうはそう思っていない。
今日はそんな話をしていく。
八方美人戦略は有効じゃない
八方美人という言葉がある。
そして、マネージャーにとっては敵を作らないという意味で、この八方美人戦略が有効なように思える。
それこそマネージャーになりたての頃は僕もそう思ったものだった。
実際にそのように振舞ってもいた。
ただ、経験を経た今になって言うとすれば、それは間違いだ。
というのは、マネージャーの認識とメンバーの認識には大きな差があるからだ。
マネージャーはどのメンバーに対しても公平に接していると思っている。
でも、メンバーからすると、そこには確実に好き嫌いがあるように感じる。
嫌われているメンバーは自分は嫌われているから距離があるのだと感じ、好かれているメンバーにとっては他のメンバーとの差があまりないので物足りなく感じる。
結果として、誰からの信頼も得られない。
仲良しチームは仲が良くない
もちろん、平時にはこの差は表には見えない。
特に上司から見ると、どのメンバーともうまくやっているように映るようだ。
でも、平時でない時(何か問題が起こった時)には、その信頼のなさが露見する。
もう少し正確に言うと、平時においても表に見えないだけで、そこに信頼関係はないことがチーム内では共有されている。
全体として「そこそこ」な働き方になる。
それ自体は悪いことではない。
でも「そこそこ」な働き方をするチームは「そこそこ」な成果しか出せない。
誰からも等距離にあるマネージャーには馬力が足りない。
重大な局面で勝負をかけることができない。
仲良しチームは仲が良くない。
僕にはそういう反省がある。
人間的には好きでなくとも信頼できる関係性、というのがある
八方美人という言葉がネガティブなものとして使われているように、マネジメントにおいてもそのように振舞うのは効果的ではない。
最初それは僕のキャラクターに合わないからだ、と思っていたけれど、他のマネージャーを見てみても、八方美人戦略で高い成果を出している人が少ないことを鑑みると、これは有効な戦略ではないのだ。
それは人間の能力の発出というのは単線的ではないからだ、というのが僕の仮説だ。
そして「人間的には好きではないが、信頼できる」という関係性もある、ということがそれを強化する。
それについてもう少し詳しく書いてみる。
線形な世界からジャンプアップするために
チームで仕事をしていて思うのは、成果というのはある閾値までは単線的に伸びていくが、そこからは不連続なものになる、ということだ。
例えるなら、80%までは線形な構造を示すけれど、そこから上は線が繋がっておらず、さらに指数関数的になる。
仲良しチームというのは、この80%までの線形な世界での戦いを示していて、そこから先に行こうとしても、線が繋がっていないのでそれは不可能となる。
そこからジャンプアップするためには、「ポジション」を取らなければならない。
人間関係という文脈で言うのであれば、「嫌われる勇気」を持たなければならない。
ポジションを取ることで関係性を構築する
では、一部のメンバーとよろしくやって、その他のメンバーとはテキトーでいいのか、というと、そうではない。
どのメンバーとも人間的には好きではなくても信頼できる、という関係性を構築する必要がある。
これはポジションを取っていると、リスクを取っていると、実現することが可能だ。
あの人の考え方は好きではないが、そのリスクを自分で背負っているし、それはあくまでも思想の違いであって一理あるな、と思わせられるかどうか。
それができれば、仲が良くなくても線形な世界から逃れることができる。
仲間というよりは同志的な感じで付き合うことができれば、高い成果を上げることができるようになる。
非線形な世界へ
戦場においては、上官が優しいかどうかはあまり重要でない。
指揮官として有能かどうか、信頼できるか、背中を預けることができるか、がその生死を分けるからだ。
これは「覚悟」と言い換えることもできるし、「ビジョンを示す」ということにも繋がってくる。
僕たちは「傭兵」の集まりで、そこでの「毛繕い」には何の意味もない。
戦いにおいて、成果を上げることができるか、生きて帰ってくることができるか、それだけが重要なことだ。
色々なキャリアの背景を持った人たちと働く上では、そのような心構えが求められる。
別に優しいことは素晴らしいことじゃない。
嫌われてもやり遂げたいことがある、オレはそれを実現する為にこのように考えている、ということを示すことができれば、非線形な世界に移ることできる。
そしてそのように振舞っていれば、案外嫌われないものなのだ。
というか、嫌われるかどうかなんて関係ない世界に移行することができるのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
線形な世界と、非線形な世界の議論は分けて考える必要がある、と僕は思っています。
でもこれがごっちゃになっている人が多い。
大抵のマネジメント論は線形な世界を記述していますし、こうすればこうなる、というような世界観は感覚的に「わかりやすい」ものでもあります。
でもそれだけでは圧倒的な成果を残すチームを作ることはできません。
非線形な世界に移行するためには、ポジションを取ることが必要です。
毒にも薬にもならない人になるのではなく、毒すらも面白いと思ってもらえるようなマネジメントを行っていきましょう。