ジョブ型雇用の可能性

大事なのは成果だ。プロセスじゃない。

コロナウイルスによるメリットを敢えて挙げるとするなら、「不要な仕事が明確になった」ということだと思う。

そして仕事における悩みの大半は「人間関係」であることが露わになった(再認識された)ことも合わせて挙げておきたい。

世代によって受け止め方は異なるのかもしれないけれど、僕自身は仕事(本業)に集中する方が性に合っていて、媚びへつらいやゴマすり等の余計な気遣いをしなくていい(少なくていい)というのは正直とても心地が良い。

これは職種的な要因も関係しているのだろう。

僕は営業の人間であるし、入社した時から「数字を出してナンボ」というような価値観に馴染みまくっているので、人間関係などの下らないことに影響されないで済むのは快適この上ない。

余計な飲み会も社内行事もないし、うるさい上司も画面の向こう側(リモートの場合)だし、ダラダラと付き合い残業もしなくていいし、良いことだらけだ。

もちろん、今は管理職という役職上、メンバー間でのやり取りは求められるのだけれど、究極的には「成果だけ上げてくれればあとは好きにやってくれてよい」というのが僕のスタンスであって、一人で黙々と数字を出してくれるのであれば、それはそれで構わないとすら思っている。

同じ管理職の中には、リモートワークにおいても「朝礼」や「夕礼」をやっていたりする人もいるようだけれど、そんなもの必要ないと僕は考えているし、仕事をしているフリをしていたって構わないとすら思っている。

大事なのは成果だ。

プロセスじゃない。

僕たちはプロフェッショナルであって、仕事の対価として給与を受け取るのだ。

こういう風に考える人間にはジョブ型雇用というのは素晴らしいものになる可能性がある。

そんなわけで、今日はジョブ型雇用について書いていこうと思う。

ジョブ型雇用に合う職種と合わない職種はある

まず前提として、ジョブ型雇用が合う職種と合わない職種があるということは押さえておいた方がいい。

僕のような営業職であれば「成果」が「数字」というもので明確に定義できるので、ジョブ・ディスクリプション上でも明確に謳うことが可能であるだろう。

でも、成果の定義が難しかったり、業務要件が多岐にわたっていたり、柔軟に変更する必要があるような職種であれば、ジョブ型雇用は適切とは言えない。

もちろん、アングロサクソン系の会社のように、雇用の流動性があって、職が先にある(職に人を合わせる)という考え方が明確にあるのであれば、それは機能するだろう。

でも、現状の日本において解雇はとても困難であるし、減給のハードルも非常に高い。

社会的・文化的な抵抗感も強い。

そういう意味では、ジョブ型雇用の導入が難しいというのは事実だろう。

(ただ一方でこのような業務領域が不明瞭であるところに「働かない社員」がいるのも事実であって、本当はそこにこそ手を入れた方が良いのだとは思う)

ジョブ型雇用と成果主義は同義?

次に、「ジョブ型雇用というのは成果主義と同義なのではないか」ということについて書く。

結論から言うと、これは大枠ではYesだと思う。

というか、「仕事というのはそもそもが成果主義である」と考える僕にとっては、なぜこれ程までに成果主義へのアレルギーが強いのか理解に苦しむ部分はあるのだけれど、確かにジョブ型雇用にすれば色々と不都合がある人もいるのだろう。

「アップ・オア・アウト」とは言わないまでも、仕事の範囲が明確に定義されていて、その水準に達するか、そうでないかによって、処遇が変わるというのは当たり前であると僕は考えている。

もちろん、「成果を評価する側」が無能であることが多いので、それが機能しないことが多いというのは重々承知している。

そして「成果を評価する側」は(実際には)成果主義に組み込まれていない、というのが一番のこの制度の問題点だということもわかっているつもりだ。

「成果主義=コストカットの一形態」ではない。

でも現実的には、上に行けば行くほど、「自分は置いておいて(例外として)」となってしまうので、何となく釈然としないのだろう。

プロとして働く

これはたぶん「プロ経営者」が日本には少ないことにも関係してくる。

アングロサクソン系であれば、経営者であれ、成果が出なければ(株主によって)解任される。

でも日本には「サラリーマン経営者」が多いし、株主資本主義というのも徹底していないので、成果が出なくてもそのままその座に居座ったりしている。

例えるなら、選手だけが成果主義で、監督はそうではないのが日本だ。

それでは確かに納得がいかないだろう。

監督もオーナーによって成果を求められるべきだし、それが未達であるなら替えられる(少なくとも減給)べきだ。

それがプロフェッショナルの仕事であると思う。

もちろんそこには上手くいかない時の厳しさはある。

賃金は変動するし、仕事の密度(負荷)は上がるだろう。

でも、先述したように余計なものは取っ払われて、単純明快になる。

(というか、「成果を出さないのに、給与を受け取る」という状態が社員全体に蔓延しているなら、その会社は早晩潰れるだけだ)

「社会主義的クッション」としての会社の制度疲労

厳しいことを言うと、リスクは犯したくないけれどリターンは欲しい、ということを色々な理屈をつけて言っているだけのように僕には見える。

だからこそ、日本はこの30年停滞したままなのだ。

資本主義に「会社という社会主義的クッション」を加えることで我々は成功してきたことは事実だ。

でもそれはもう制度疲労を起こしてしまっている。

ジョブ型雇用が万能薬であるとは思わないけれど、現状を打開する一助にはなるはずだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

「間接部門にジョブ型雇用は馴染まない」「成果が明確でない」という議論があります。

それを超克するのが「チーム型のジョブ型雇用」だと僕は考えています。

会社という大きな規模では見えづらいですが、直接部門と間接部門の仕事の結果の総体として、会社の利益というものは生じている訳です。

そしてその利益の分配の一部として給与が発生する訳です。

そう考えると、それを縮小していけばチーム単位(直接部門と間接部門が最小限混在するくらいの規模)に自ずとなる訳です。

そしてチーム単位であれば、誰が間接部門としてどのくらいチームに貢献しているか、というのはわかるはずだと僕は考えています。

もちろんジョブ型雇用が100点満点ではありません。

ただ現状の制度はもう限界に近づいていてしまっている(60点くらいになってしまっている)と僕は考えています。

そんな中で、80点くらい出せるような制度はないものか?

名案があれば教えて頂けたら幸いです。