上手くできたこととその理由を書かせる
ポジティブな諦めによる部下教育論
今日は実際的な話を。
部下の教育で悩んでいる人は多いと思う。
「なぜこんなことをしてしまうのか?」
「ありえない!」
その気持ちはとてもよくわかる。
5年以上マネージャーをやっていても、それは変わらない。
そんな気持ちがずっと続くことに疲れてしまって、僕は今「部下は成長しないものだ」ということをデフォルトとして仕事をしている。
それこそマネージャーになりたての頃は、「彼ら(彼女ら)を成長させるのが自分の仕事だ!」なんて思っていたけれど、今は違う。
成長させるのではなく、成長するのを待つ、というような感じだ。
植物を人間が無理やり成長させられないように、そしてその成長に個体差があるように、ただじっと待つことが結果的には部下の成長に繋がるのだ。
そういう意味では、僕は「ポジティブに諦めている」と言えるのかもしれない。
「いつか芽を出したらいいな(まあ出さなくてもいいけど)」
それが僕の部下教育へのスタンスだ。
そんな僕が部下にやらせていることを今日は書いていく。
どうしようもない部下への指導法
それは「上手くできたこととその理由を書かせる」というものだ。
これは部下全員にやらせている訳ではない。
平たい言葉で言えば、「どうしようもない部下」にこれをやらせている。
何回言っても改善しない、何度やっても上手くいかない、そういう部下を対象として僕はこの指導法(?)を編み出した。
そこにはもちろん「部下を成長させたい(したらいいな)」という気持ちがないわけではないけれど、どちらかというと自分自身の精神衛生上良いのでこれを取り入れている。
もう少し詳しく書いていく。
反省させるのは無意味では?
部下が何か失敗をした時に、「反省文を書かせる」というのは割と一般的なアプローチであると思う。
「なぜ失敗したのか」という原因を問うことで、次回同じような失敗を犯さないようにする。
自分の思考の癖や陥穽みたいなものを改めて思い返すことで、それを教訓とすることで、同じようなシチュエーションに対応できるようにする(トヨタの「なぜなぜ5回」もその範疇の1つだ)。
その考え方自体は決して間違っているものではない。
でも個人的にはあまり意味がないように感じている。
絶望的なことを言うと、「どうしようもない部下」というのは前回の反省を活かせないから「どうしようもない」のだ。
そして、それはいつまでも変わらない(少なくとも僕がマネジメントをしている期間では急成長は望めないだろう)。
とすると、結果的には反省文ばかりが積み上がっていくことになる。
「新しい反省」がどんどん増えていくことになる。
自己成就予言
これは自己暗示みたいなものだ。
「自分は失敗ばかりしているダメな人間なのだ」という呪いのようなものだ。
難しい言葉で言うと、これは「自己成就予言」というもので、意識していなくても失敗するように自分の行動を「寄せていって」しまうようになる。
結果「どうしようもない」状態が続くことになる。
それはあまり建設的とは言えない。
反省の無限ループはこっちもしんどい
ではどうするか?
どうせ失敗するのであれば(成長しないのであれば)、せめて気持ちくらいは明るくしたい、というのが僕の思いだ。
「部下:失敗しました… マネ:じゃあ原因を考えて反省文書いて? 部下:反省文書きました(とても暗い内容)、マネ:次からは気をつけてよ! 部下:また失敗しました…」というループは正直言ってとてもしんどいので、そうはしたくなかった。
自分の行動を振り返る習慣づけと自己肯定感
そこで僕がやることにしたのは、「上手くできたこととその理由を書かせる」というものだ。
これはポジティブだし、少なくとも読んでいて暗くなることはない。
大抵の「どうしようもない部下」にとって「上手くできた」ことなんてない、そう言いたくなる気持ちはとてもよくわかる。
実際に部下自身の自己評価もとても低い場合が多いので、最初の頃は「特にありません」みたいな感じになってしまっていたのも事実だ。
でも、こういう「どうしようもない部下」こそ自己肯定感が必要である、と僕は考えている。
そして、自分の行動を頻繁に振り返る(習慣をつける)ことはとても大事なことでもある。
だから、何でもいいから「できたこと」と「なぜうまくできたのか」を業務日報に書かせている。
そこに書かれている事柄は、本当に取るに足らないものである。
素の僕からしたら、「うーん…」と唸りたくなるものばかりだ。
でも、そのような少しずつのステップが自信を生んでいく。
小さなゴールの繰り返しとささやかな自信
断っておくが、僕は「ポジティブ心理学」みたいなものが好きではない。
ただ自分自身の性格がネガティブであることもあって、経験上、このような「小さなゴールの繰り返し」と「ささやかな自信」が仕事には必要だということが身に染みてわかっている。
そしてその方が仕事は楽しくなる。
それだけで十分な気がしている。
息苦しさを少しでも変える為に
上手く言えないけれど、日本社会においては、控えめであること、抑制的であること、が社会的な振る舞いとして適切であるとされることが多いような気がしている。
できたことを「できました!」と言うと疎まれるので、「いやあ…たまたまです(皆さんの支えがあったからです)」みたいに言うことが良しとされる。
また、失敗した時には「反省している」ということを分かり易く示すことが求められる。
それはそれで慎ましやかだし美徳であると思うのだけれど、時に息苦しくなってしまうことも事実だ。
僕はその空気を少しでも変えたいと思っている。
誰かに対して大っぴらに言うのではなく、日報の中で自分に言い聞かせるように「できた!」と言う、それを続ける、ということは特に若手社員には必要な行為であるような気がしている。
そうは言っても失敗は続くし、成長なんて夢のまた夢だ。
それでも会社に来て、下らないことを話して、たまには仕事が楽しいな、なんて思ってくれれば十分であると僕は考えている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
僕がマネージャーとして成長した部分があるとするなら、部下ができなくてもある程度の成果を出すことはできるようになった、という点だと思っています。
できないならできないなりのやり方がある、なんて書くと偉そうですが、そんな風に柔軟に考えられるようになったことで、仕事がだいぶやり易くなりました。
多くのマネージャー達のように、僕もできない部下を大声で叱ってみたい、と時々思いながらも、「叱ったってどうせ変わらないよな」という諦めの中で、「じゃあどうやったら成果を出せるようになるのかな」というような思考経路を辿った結果が現在位置です。
そういう意味では僕はとても冷めているとも言えるし、建設的だとも言えるわけです。
これからも「チームの成果」にこだわって仕事をしていこうと思います。
参考になる部分があれば幸いです。