守りの言葉は使わない
責任が自分にはないということを主張するような言葉
今回の話は自戒の意味も込めているのだけれど、日々の業務活動の中で、「守りの言葉」を使わないことが重要である、ということを書いていく。
ここで言う「守りの言葉」というのは、「自分を守る言葉」というようなニュアンスである。
「逃げの言葉」と言い換えてもいい。
とにかく、責任が自分にはない、ということを主張するような類の言葉をここでは「守りの言葉」と定義することにする。
それをできるだけ使わないようにする。
そうすれば、自然とそこにリーダーシップは立ち現れるし、自然と部下は付いてきてくれるようになる。
では本題に入っていこう。
自分を守ろうとすることは自然なこと
何かコトが起こった時に、咄嗟に自分を守ろうとしてしまうことは、ある種の本能であり、それはどうしようもないことだ。
自動機械のように、反射のように、そのように思ってしまう。
たぶん動物としての我々は、そのようにして何とか野生の中を生き延びてきたのだろう。
自動防衛機構が働いて、頭で考えるより先に「私のせいではない」的なことを言ってしまいそうになること、それはある種仕方ないことでもある。
どのようなタイプの人間であれ、まずガードを上げてしまうものなのだ。
だから、そう思ってしまうことは避けられない。
そして、避けられない自分を責めても仕方がない。
それは自己修練うんぬんでどうにかできるものではない。
自然な反応なのだ。
まずそれを受け入れる。
思ってもいいから、外に出さないようにする
その上で、何とかして言葉としてその思いを外に出さないようにする。
今回の要点はこれだけだ。
反射的に言ってしまいそうになる自己弁護の言葉を、外部に発さない。
それだけで十分だ。
そう思ってしまう自分に対して嘆いたり、改善しようとしたりすることは、必要ない(もちろんそう思い続けることでいつかはその反射反応ですら抑え込むことができるようになるのかもしれないが、取り敢えずは不要だ)。
言葉を飲み込んで佇んでおく
これは言い換えれば「聖人になれ」ということではない、ということだ。
中身はそのままでいいから、ただ言葉を漏らすな、ということである。
思っていてもいい。
言うな、ということだ。
自分で書いていても消極的な対応方法であるとは思う。
でも、現実的にはこれで十分だ。
言葉をぐっと飲み込んで、ただそこに佇んでおく。
そして淡々と物事を解決していく。
そうすれば自然と部下からリーダーであると認められるようになる。
地盤の部分の信頼度がメンバーのリスクテイク力に影響を与える
今更の話ではあるが、思いのほか他人というものは、他の人の振る舞いを見ていたりするものだ。
すぐにそれとわからなくても、継続的にそのような振る舞いをしていれば、それに気づくことになる。
そういう意味では、僕は以前よりも部下を信頼している、と言えるのかもしれない。
別に余計なアピールをしなくても、黙々と難題に向き合っていれば、「ああ、あの人は逃げない人なのだな」という本当に地盤の部分の信頼度が上がってくるのだ。
この地盤がしっかりとしていれば、例え口が滑って変なことを言ってしまったとしても、おかしな行動をとってしまったとしても、それでマネージャーの株が急落するなんてことは起こらない。
「ああ、疲れているんだな」というような受け止め方をしてくれるようになる。
僕がマネージャーというのは、人間性が大事である、と常々言っているのは、こういう日々のちょっとした振る舞いの累積が、波のように増幅されてチームに影響を与えると考えているからだ。
そしてマネージャーが「逃げない」「守らない」ということは、メンバーのリスクテイクの度合いが上がることにも繋がっていく。
「散らかす人」と「片づける人」
これは考え方とか価値観の問題なのかもしれないけれど、僕は過去はもう起こったことであるから仕方ない、と考える傾向がある。
そして様々な理不尽な事象により、自分に責任が押し付けられる局面においても、「まあそういう会社だしな…」と思うことにしている。
世の中には、「散らかす人」と「片づける人」がいて、たぶん僕は片づける側の人間なのだ。
誰に褒められるわけでもないけれど、淡々と掃除人のように日々を元の状態に保っていく仕事。
確かに内面においては様々な感情が渦巻いている。
憤ることもしょっちゅうである。
でも、そこに怒ったとしても、そこから逃げたとしても、現実はそのままである。
過去が変わる訳ではない。
それならまず目の前の事象に対して力を注ぐべきだ。
後のことは後で考えればいい。
そんな風に僕は考えている。
リーダーになろうとするのではなく、リーダーになってしまっている
悲劇のヒロインを気取る訳でもなく、ただ静かに黙々と物事に対峙していく。
誰も知らない間に、日常が回復する。
手のひらを返す連中がたくさんいるけれど、それにも構わず、また次の仕事をしていく。
リーダーになろうとするのではなく、後ろを振り返ればメンバーがついてきていて、自然とリーダーになってしまっている。
責任の矢面に立たされることは、そしてそれに対して抗弁しないことは、その瞬間や、短いスパンにおいては大きなマイナスだ。
下手をすればそのまま自分のせいにされてしまうし。
ただ、中長期的に見れば、そこでの振る舞いというのは、必ず大きなリターンとして返ってくる。
それを信じて。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
自分の会社で評価されている人達を見て、「ああはなりたくないな」と思うことがよくあります。
それは彼らが「責任逃れをすることに長けている」ということが端々に見え隠れするからなのだと思います。
自分が善人だと言うつもりは全くないですが、「そこまでして出世したいのだろうか」と思うことが多々あって、「ああなるなら出世しなくてもいいな」と僕はその度に思うわけです。
僕は責任を引き受けながら、それでも自分が納得できるやり方で仕事をしていこうと思います。
賛同頂けたら幸いです。