自由を勝ち取る為には成果が必要だ

他者の評価なんて…

今日は仕事論みたいな話を。

僕は組織も上司もあまり信用していない。

組織というのは簡単に理不尽なことを押し付けてくるし、上司というのは言うことがコロコロと変わるものだ、そんな価値観がベースにある。

キャリアというのは息の長い話で、評価される時期もあるし、そうでない時期もある。

組織の考え方が変われば、評価される人物像は変わっていく。

上司が変われば、評価される人物像は変わっていく。

僕は全く変わっていないのに。

本当に不思議なことだけれど、同じようなスタンスで働いていても、ある人からは激賞されるし、ある人からは毛嫌いされたりする。

あいつは優秀だ、とか、あいつは無能だ、とかいう評価はあくまでも他者がするもので、そのような毀誉褒貶は「水者」だと僕は考えている。

そこに価値を置く必要はない。

それに振り回される必要はない。

もちろん最低限のマナーみたいなものは備えるべきだとは思うけれど、それ以上のことは僕が関与できることではなくて、勝手に言っていろよ、というくらい僕は冷めている。

それくらい僕は他者というものに対して信頼を置いていない。

栄枯盛衰ではないけれど、本当にその時その時において僕の評価は株式市場のように変動していくので、人事評価なんてものは全くあてにならない、と考えている。

仕事のハンドリングを持つためには成果が必要だ

ただ、そうは言っても仕事というものは目の前にある

そして成果を出していないと、やりたくないやり方で仕事をやらされることになる。

それは僕にとっては我慢がならないことだ。

僕はやりたいように仕事をやりたいと思っている。

僕自身の評価はどうでもいいけれど、仕事のハンドリングは持っていたいと思っている。

そしてどんな状況(組織・上司)においても、自分がやりたいように仕事をする為には、そいつらを黙らせるような圧倒的な成果が必要だ。

ぐうの音も出ないくらいの圧倒的な成果が。

「優秀な上司」という冗談

僕が成果に妄執しているのは、このような組織観・人間観が背景にある。

自分でも寂しい生き方ではあると思う。

でも、そのくらい組織や上司というのは信頼ならないものだ。

僕は何度も裏切られてきたし、簡単に梯子を外されてきた。

そういう人達がのうのうと「優秀な上司」として生き残っている。

反吐が出るくらいだ。

それはきっと当社だけでなくて、日本企業(外国企業も?)というのはそういうものなのだろう。

だからこそ、僕たち日本人は沈み続けているのだろう。

僕らはずっと進化しないまま

無能な組織や上司は、会社の業績が悪くても、「オレ流」のやり方を押し付けてくる。

かつては有効だった「謎のセオリー」を適用させようとする。

どう考えてもナンセンスであるそのやり方に対して、疑いを持つことなく、愚直に遂行できる者を有能であると評価する。

そこでは「成果」よりも「遂行能力」が求められる。

命令は絶対である。

その命令が全く的を射てなくても。

戦車に竹槍で突っ込むこと。

飛行機に爆弾を積んで戦艦に突っ込むこと。

人間魚雷。

エトセトラ。エトセトラ。

僕らはずっと進化しないままだ。

沈むべくして沈んでいる僕たち

精神が肉体を凌駕するのだ。

神風がきっと吹いてくるのだ。

命令に疑問を持つことは絶対悪で、もっと効率の良いやり方を考えるのは不届き者で、異端分子として排除される。

建設的な議論?

本質的な会話?

すべては「べき論」で行われる。

それができるかどうかは別問題だ。

無意味なスプレッドシート。

数式も使えないような上司達。

お粗末なDX。

僕たちは沈むべくして沈んでいるのだ。

それを変える為には成果が必要なのだ。

成果・成果・成果

僕は明らかに不必要な指示や、明らかに非効率な命令下で、それを跳ね返すようなやり方を考えながら、チームを運営している。

不本意な方針を換骨奪胎させて、僕なりのやり方に咀嚼して、組織や上司を満足させるような成果を出し続けている。

それは僕なりの抵抗でもある。

そしてそれを続ける為には、成果が必要なのだ。

組織も上司も変わらない、だから…

組織は変わらない。

上司は変わらない。

それに対して嘆いても、反抗しても、意味がないし、労力の無駄である。

そんなに僕は青くないのだ。

僕はとんちを効かせて、さも指示に従っていますよ、という顔をしながら、全く別のことをやっている。

そして、命令に忠実な数多くのマネージャー達を横目に、それ以上の成果を出し続けている。

自由に働く為に

僕は「なぜ成果が出るのか?」と聞かれることがある。

「同じメンバーでなぜそんな違いが出るのか?」と聞かれることがある。

答えは簡単だ。

無駄なことをやらないからだ。

無駄なことはメンバーを確実に疲弊させる。

誰もが無駄だと思っているのに言い出せないこと、それを僕は言ってしまう。

「有能な上司」はそれに唯々諾々と従うのだろう。

疑問を持たないAIみたいに。

僕は疑問を持つ。

そして無駄だと言い放つ。

たくさんの大人たちに疎まれる一方で、僕はメンバーからの絶大な支持を得ている。

それが成果を出せている理由だ。

簡単なことだ。

でもこれができないのだ。

時代は変わってきていることを僕はひしひしと感じている。

旧世代のやり方は時代遅れになりつつある。

僕はこれからも自由に働く為に成果を出し続けるつもりだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

日本社会の閉塞感の原因の1つに「言ってもムダ(どうせ変わらない)」という諦めがあると僕は思っています。

僕たちは義務教育期間を通じて、この信条を文字通り心身に叩き込まれて成長していきます。

それは社会に出ても一緒です。

何も言わずに、それこそ唯々諾々と指示に従っていれば、そつなく人生を送ることができます。

でもそれでいいのでしょうか?

世界一会社を憎んでいる民族である僕たちは、このまま会社を、そしてそれに従っている自分を、憎み続けていくのでしょうか?

まずは手に届く範囲から変えていきましょう。

言いたいことを言いましょう。

僕は滅多打ちにされながら、日々そうやって仕事をしています。

ご賛同頂けたら幸いです。