意思疎通は困難だ

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意思疎通業

マネジメントとは意思疎通業である。

今日はそんな文章から話を始めてみる。

いや、マネジメントに限らず、仕事というのは意思疎通業なのかもしれない。

というのは、結局のところ、「相手を動かす」ことができれば、仕事というのは進んでいくものだからだ。

それが仕事の要諦である。

でも「仕事」だと対象範囲が広すぎるので、今回はそれをマネジメントという業務範囲に限定して話をしていこうと思う。

参考になるかどうかはわからないが、読んで頂けるとありがたい。

カオス的状況をマネジメントする

営業を生業にしてきた僕からすると、現在のマネジメントの仕事というのは内部の人との折衝の割合が物凄く多い、と感じる(営業は外部の人との折衝が主な仕事である)。

ここで言う内部の人というのは、上司もそうだし、部下もそうだ。

そして直接の上司・部下だけでなく、本社の人などもここに含まれてくる。

そういう「関係者」はかなりの数になる。

そして(当たり前の話であるが)それぞれが自由意思を持っていて、価値観も様々である。

その人達がそれぞれに言いたいことを言い、やりたいことをやる。

そのような無数の動き、カオス的状況の中で、何とか舵取りをするのがマネージャーの仕事であるのだ。

その舵取りの方法の1つがコミュニケーションである。

リモートワークが増えたこと、飲みニュケーションがなくなったこと、によりこの意思疎通の難易度は従来よりも高まっている。

でもそれをやらなければ仕事は進まないし、組織は動かない。

ただ、そんなに簡単な仕事でもない。

地上の話と地下の話

僕は意思疎通には2段階あると思っている。

表面的な話深い話である。

地上の話地下の話と言い換えてもいい。

多くの職場でのコミュニケーションは地上で行われる。

公式のやりとりというか、表面的な付き合いというか、上司部下という擬制を基に会話が行われる(それを組織と呼ぶ)。

指示や命令や、報・連・相などがここに含まれる。

地下には魔物がいるぜ?

もちろんこの地上部分でもうまく意思疎通ができない場合は多い。

それぞれのキャリアの違いや、価値観の相違、その他諸々によって、そもそもの言語運用自体が違うので、まずは使用する言葉を擦り合わせること(共通言語の構築)から始めなければならないことだってある。

それでもまだ地上部分でのコミュニケーションには具体物があって、それを中心に話を進めていけばいいので、そこで完全にディスコミュニケーションになることは(殆ど)ない。

ただ地下部分はそうではない。

もっと深いもの、価値観や思想・ポリシー・プライドみたいなものの混合物がそこには泥のように横たわっている。

それをベースとした話が行われる。

それはもっと生っぽくて、荒々しくて、刺々しいものですらある。

やすり掛けを行う前みたいに。

でも、だからこそその底流の部分が通じ合えた時には無限の力を持つ。

前置き不要な人

職場において、職場内での人間関係において、この地下部分の会話は不必要なのかもしれない。

僕たちは日の当たる場所にいて、そこに見えるもの、つるっとした綺麗な話だけをしていれば、日々の仕事がスタックすることはないからだ。

上司部下ごっこの中で、他愛ない話をする。

それに苛立ったり、ささくれだったりすることもあるけれど、それはそれだけの話である、とある種捨象してしまう。

そういう仕事のやり方もある。

でも、時にこの地下部分を共有できる人が現れたりする。

前段を超えて、下らない前置きを跳躍して、本題にすっと入っていける人。

言葉の置き方を考える必要もなく、ただ相手の力量を信頼して、ある程度乱暴に言葉を投げられる人。

言葉が言葉を呼び、アイディアがどんどん進化していくようなイメージ。

それを僕は真のコミュニケーションと呼びたいと思う。

コミュニケーションは困難であるという前提を持つ人同士の交流

そういう意味において、真のコミュニケーションを取れる人というのはごく少数である。

そしてその他大勢の真のコミュニケーションを取れない人に限って、「コミュニケーション力を高めなければならない」みたいな空言を吐いたりするものなのだ。

こういう人は地下部分の共有化は不要であると思っているように僕には感じられる。

言葉の空中戦、やり取りそのものによって、円滑な意思疎通が可能であると思っているように僕には思われる。

そして実際に、言葉の運用に長けていたりする。

でも、僕は思うのだ。

言語運用が上手いということがコミュニケーションが取れるということに直結するわけではない、と。

たどたどしくても、朴訥であっても、そこに芯みたいなものがあれば、コミュニケーションは成立する。

というか、コミュニケーションは困難であるという前提を持っている人のみが真のコミュニケーションを取ることができるのだ。

そういう人達同士が出会うことはレアな事象であり、それを逃してはならないという切迫感があるからだ。

大事なものは地下にある

僕は軽い言葉を嫌う

それでどうにかなると思っている浅はかさを笑う。

大事なものは地下にある。

そこに潜るには時間がかかる。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

偉そうな言い方になってしまうかもしれませんが、僕が言葉を全力で使うことができる相手は殆どいません。

僕は営業に絶対の自信を持っているのですが、それは自分の言葉のチョイスを相手に合わせることに長けていることが関係しているような気がしています。

でもそのような相手に合わせた言語運用(ある種の手加減)というのは、僕にとっては時にストレスとなるわけです。

時々それを異種格闘技戦みたいに、「何でもあり」で話したい衝動に駆られて、実際にやってみて、その度に何度も(勝手に)幻滅したりしているわけです。

だからこそそういうことができる希少種に出会った時に僕は何とも言えない興奮に駆られますし、それこそが仕事の醍醐味なのだと思っています。

こんな僕ですが、懲りずにお付き合い頂けたら幸いです。

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