部下に期待したって何にもいいことないぜ?

UnsplashMarc-Olivier Jodoinが撮影した写真

性善説は無責任なのか?

僕の友人のマネージャー(他社)が、部下がやらかしたことで、マネージャー職をクビになって、違う部署に飛ばされた。

憔悴という所までは行かなくても、茫然という感じの友人と飯を食いながら、「そうなんだよな。どんなに一生懸命仕事していたって、部下に裏切られてしまうんだよな」と思うことになったのが、今日の話の題材である。

僕は常々「性善説」を主張している。

部下とは性善説で接しろ、とこのブログで何度も書いている。

でも、こういう事態に遭遇すると、「そんなに無責任に言ってられないよな」とも思うことになる。

期待すると裏切られる。

部下に期待するほどコスパの悪いものはない。

今日はそんな気鬱なことを書いていく。

部下は期待すれば伸びるもの?

冒頭に書いた友人はそうでもなかったけれど、マネージャーの中には「部下を信頼し、期待するからこそ、その成長がもたらされるはずだ」と考える人がいる。

できない部下には伸びしろがあるから、どのような部下であっても諦めてはいけない、その種の部下を導くのが良いマネージャーの条件だ、というような思想。

あながち間違いとは言えないと思う。

でも、やや距離が近い。

というか、暑苦しい、と思うことが僕にはある。

ビジネス性善説

性善説を主張している僕が言うのもなんであるが、部下にはできる部下とできない部下がいて、できない部下はどうやってもできるようにはならない。

性格に問題のある部下が、明日から急に性格が良くなることはない。

20歳(今なら18か?)を超えた大人なのだ。

そう簡単には変わらない。

そういう意味では、僕は物凄くドライなマネージャーであると思う。

性善説を主張しているのも、マネージャーとしての仕事が効率よく行えるからそうしているだけであって、本質的な意味で「部下はみんな良いヤツ♡」というようなことは微塵も思っていない。

むしろ、人間なんていう生き物はとんでもないことを平気でやらかす、という人間不信一歩手前くらいの人間観を僕は持っている。

そういう意味では、僕が主張している性善説は、ビジネス性善説というべきものなのかもしれない。

「でも、それくらいでいいのでは?」というのが今日の話である。

部下ガチャ

職場には色々な人がいる。

チームだって同様である。

ある種ランダムに部下が配置される(上司ガチャならぬ部下ガチャだってあるのだ)。

年齢も性別もキャリア志向も処遇も性格もバラバラな人たちと仕事をすることになる。

モンスターみたいな人だってざらにいる。

ましてや上司と部下の関係性である。

面倒くさくならない訳がないのだ。

どんなに目を細かくしても、見えない部分は生じる

だからマイクロマネジメントという手法をとって、部下をがんじがらめにして、問題行動を未然に防ぎたい。

その気持ちもわからないではない。

でも、どんなに細かくマイクロマネジメントを行ったとしても、悪いことをやるやつは平気でやるし、マネージャーから部下の行動が見えない時間は必ず存在する(なくなることはない)、という事実には目を向けておいた方がいいと思う。

四六時中監視下に置くことは不可能だ。

そしてそのコストたるや想像を絶する。

だったら、性善説でコトに当たった方がいいのでは?

それが僕が普段から言っていることである。

乾いたマネジメント

僕は人間に期待していない。

だからこそ性善説を主張できるのかもしれない。

そんなことを書きながら思っている。

部下と人間的な(人間味のある)関係性を築きたいとは思わないし、それがマネジメントという仕事において有効であるとも思わない。

それなりの距離感を保ち、それなりの関係性のままでいい。

期待すれば応えてくれるはずだ、なんていう昭和スポ根的発想は僕にはない。

乾いたマネジメント。

それが僕がマネージャーとして7年以上やってきて出した答えである。

仕事は仕事でしかなく、マネージャーはマネージャーでしかない

僕のやり方は部下によってはとても冷たく映るようで、「普通」のマネジメントに慣れた部下は、もう少し関与して欲しい、距離を詰めて欲しい、と思うようである。

「なにそれおいしいの?」

それが僕の感想である。

マネジメントにおいて有効であるなら、僕は幾らでも距離を詰めるだろう。

でも、様々な経験を経て、僕はそれが有効ではないと判断しているのだ。

もしかしたら時代が変わり、部下の属性が変化したら、そのような手法を取ることがあるかもしれないけれど、現在のところこのやり方を変えるつもりはない。

仕事は仕事であり(仕事でしかなく)、誰かに寄りかかったりするものではないはずだ。

もちろん上司として最低限のことはする

でも、それ以上でもそれ以下でもないのでは?

それが当たり前のものとして通る日本企業ってやっぱりどこかおかしいのでは?

というか、だからこそ生産性が上がらないんでしょ?

そんな風に思うのである。

効率が全てでは?

冒頭の友人のように、本人に責がなくても、責を問われてしまうのが、マネージャーという仕事である。

そのような地雷が常に埋まっているような状況の中で、どのように仕事をしていくかを僕たちは考えなければならない。

ウェットにやるか、ドライにやるか。

どちらがより効率的で、地雷を踏む確率を下げられるのか?

それだけのことである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

ビジネスを家族的に捉えるやり方。

それが日本流です。

でも、僕はそこに常々疑問を持っています。

別に仲違いしろとは思いませんが、適度に節度ある距離を取った方が、ビジネスは効率的に進む。

僕はそんな風に考えています。

それは対部下も同様です。

「父(母)」になることなく、ビジネスライクにやってきましょう。