アメもムチもいらない

UnsplashŞahin Sezer Dinçerが撮影した写真

褒める? 叱る?

部下育成においては、アメ型の方法を取るマネージャーと、ムチ型の方法を取るマネージャーに二極化する傾向がある、と僕は思っている。

アメ型というのは、昨今流行りの「褒める」育成である。

ムチ型というのは、以前からある「叱る」育成である。

そして、「どちらもいらないのでは?」というのが今日の結論である。

それでは始めていこう。

外発的動機付けと内発的動機付け

外発的動機付け内発的動機付け。

モチベーション理論の中でよく言われる話である。

外発的動機付けとは、評価や報酬、罰則や懲罰など「外部からの働きかけ」による動機付けのことである。

内発的動機付けとは、好奇心や探求心など「人間の内部要因によって生まれるものを活かす」動機付けのことである。

そして、後者が有用だよね、という結論になっていくことが多い。

内発的動機付けは難しい

では、なぜ未だに外発的動機付け(アメとムチ)をしているマネージャーが多いのか?

それは、内発的動機付けは難しいからである。

その理由は、1つにはマネージャーのスキル不足があり、もう1つには時代背景が関係している。

内発的動機付けにはマネージャーのスキルが重要となる。

いや、スキルと言っている時点で、内発的動機付けは難しくなる、とも言えるかもしれない。

表現が難しいのだけれど、内発的動機付けを引き出すためにスキルを活用するという発想自体が外発的動機付けっぽくなってしまうのである。

結局はその人の価値観に左右されるのでは?

身も蓋もない言い方にはなってしまうが、内発的動機付けというのは、対象者本人の属性によることが大きい、と僕は思っている。

先天的、とまでは言えないまでも、ある種の才能というか資質というか、その人の生き方や考え方、価値観みたいなものが大きく関係してくる。

そしてその価値観がマネージャーの共感できるものであればいいのだけれど、そうでない場合、もっと言えば、現状の会社が求めているものと方向性が異なる場合、内発的動機付けを行う難易度は格段に上がる。

それを前提としてマネージャーができることとは何か?

「そこにいてもいい」と思ってもらえること

僕が思うのは、その人に「そこにいてもいいのだ」と思わせられるかどうかである、ということである。

モチベーション理論的に言うなら、「有能感」を持たせ、「自律性」を感じてもらい、「関係性」を良好なものにする、ということなのかもしれない。

何らかの意味というか、存在承認というか、チームの中で役割を担っているという感覚を持ってもらうというか。

もちろん、どのように客観的に見ても「厳しいな…」という水準の部下はいる。

それでも、何らかの存在意義みたいなものを見出し、それを本人にも感じてもらうようにすることが大事なのである。

待てないから、アメとムチを使う

上記したように、内発的動機付けというのは、多くの部分、その対象者の資質に関わるものであり、マネージャーのような部外者がどうこうできるものではない、というのが前提ではあるけれど、それでもその少ない割合の中でできることはあるのだ。

というか、あると思うしかない、と僕は思っている。

でも、多くのマネージャーはここまで我慢できない。

焦れてしまって、アメなりムチなりを使ってしまう。

アメやムチというのは、上下関係を想起させるものなのだ。

というか、その感覚が無意識的にマネージャーにもメンバーにもあるから、外発的動機付けというのはうまくいかないことが多いのである。

一時的には作用するとしても、それが持続することはない。

むしろ、中毒症状みたいな状態になって、より事態が悪化することだってあるくらいだ。

部下を自律的にしたいなら、アメとムチは使わない方がいい

「褒められないと仕事をしない」「怒られないと仕事をしない」人というのは、それこそ腐るほどいる。

そういう部下を育てたいなら、外発的動機付けを使えばいい。

自律性のない部下が簡単に誕生するから。

そして、先手を打っておくけれど、自分がアメとムチを使ってマネジメントをしているのに、「部下が自律的に動かなくて困るんですよ…」というのはナシでお願いしたい。

それは不可分のものであるから。

アメとムチに頼ったマネジメントをしているから、そういう部下しかいないのである。

合わせ鏡

そこに映る顔をよく見てみるといい。

組織では無理でも、チームならできるのでは?

内発的動機付けが難しい理由の2つ目、時代背景については言わずもがなであると思う。

ブルシットジョブが溢れる現代において、内発的動機を喚起するのはとても困難である。

先ほど挙げた3つのうち、特に「有能感」が持ちづらいのが現代という時代である。

自分の仕事が無駄であることに気づいていながら、気づかないフリをしなければいけない状態。

そうでないと、自分自身が耐えられなくなってしまうような感覚。

でも、生きていくためには仕事をしなければならないし。

そんな中で、内発的動機を持続的に高い状態に保つのはかなりの困難である(気が狂っていなければ)。

だからこそ、本当にちょっとした仕事、些細な物事の中に、僕たちはやりがいを見つけなければならない。

会社という大きな組織の中では、それは難しいかもしれない。

でも、チームくらいの小さな単位であれば、きっとできるはずだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

「動機を持たせる」というところに、そもそも疑問を感じることが僕にはあります。

上手く言えないのですが、「仕事は仕事であり、そこに臨むスタンス(取り組み姿勢)というのは、その人本人が用意するべきなのでは?」と僕は考えています。

でも、(日本以外がどうなのかわかりませんが)日本においては、動機は外部から与えられて然るべきだ、と思っている人が多いような気がしています。

「別にこっちはやって欲しくて(強制的に)仕事してもらっている訳じゃないんだけどな…」と思う僕はおかしいのでしょうか?

最低限のモチベーションというか、やる気というか、対価が発生するものに臨む姿勢はその人当人が準備すべき範疇のものです。

それができない奴は試合に出るなよ?

厳しい言い方にはなりますが、この辺の感覚が日本でマネジメントを行うことを難しくしているような気がしています。

子供は放っておいて、大人と仕事をしていきたいものです。